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その日は雨が降っていて、道路がいつもより混んでいた。
濡れたバスの窓から、白く霞む街を眺める。ちっとも進まないバスの動きに、少しイライラしながら。
バスを降りるといつものように走った。水たまりの泥が跳ねて、足元が濡れてしまったけれど、あたしは気にしないで走った。
傘を差した人が行き交う駅前広場。いつもよりなんとなく人通りが少ない。
待ち合わせのように立っている何人かの人の顔を、傘の陰から確かめる。
だけどその場所に、奏くんの姿はなかった。
花壇の脇に立ったまま、傘に当たる雨音を聞く。目の前に見える時計台の針は、もう塾の始まる時間を指していた。
――今日は来ないのかな……。
今まで塾のある日は、いつもここで待っていてくれたのに。
今日は雨が降っているから?
あたしが来るのが遅かったから?
もうバイトに行っちゃったの?
小さく息を吐いて、あたしは雨の中に一歩を踏み出す。
そして塾とは反対方向の、奏くんがアルバイトをしている、あのコンビニへ向かった。
「いらっしゃいませぇ」
自動ドアが開いて店へ入ると、けだるそうな店員の声が聞こえてきた。
レジの中にいる人、品出しをしている人、ぐるりとまわりを見渡しても、奏くんの姿はない。
「あ、あの……」
しゃがみ込んでパンを並べている女の店員さんは、声をかけてきたあたしを見上げて、「はい?」と首をかしげた。
「あの、ここでバイトしている真行寺さんって人……今日はいませんか?」
「ああ、真行寺くん?」
店員さんは立ち上がって店内を見回す。
「今日は……まだ来てないのかな……」
そんなあたしたちの後ろを、店長らしきおじさんが通りかかった。
「真行寺くんだったら、さっき電話があったよ。ちょっと体調が悪いから、申し訳ないけど休ませてくれって」
「ええっ、それでオッケーしちゃったんですかぁ? 今日は人手が足りないって、店長言ってたじゃないですか」
「しょうがないだろ。無理に出て来いとも言えないし」
「ですって」
女の店員さんがあたしに振り向き、そう言った。あたしはなんだか頭がぼうっとするのを感じながら、二人にぺこりと頭を下げた。
「ありがとうございました」
明るい音楽の響く店内から外へ出る。雨の降り続く街は、もうすっかり薄暗くなっていた。
雨の中を歩きながら携帯を開き、それをそのまま、また閉じる。
あたしは奏くんの連絡先を知らない。奏くんがどこに住んでいるのかも知らない。
このまま奏くんに会えなくなったら、どうしよう……。
そんなこと、あるわけないのに。なのにあたしの頭の中は不安でいっぱいで、心臓が痛いほど強く音を立てている。
どうしよう、どうしよう……だけど、どうしようもないんだ。あたしは奏くんのことを何にも知らなくて、してあげられることも何もないんだから。
「ゆずちゃん?」
雨音の中でその声を聞いた。傘の陰で振り返ったあたしは、どんな顔をしていただろう。
「……ごめん。遅くなって」
黒い傘を差した奏くんが、あたしを見て言った。
「塾……は?」
あたしは黙ったまま、首を横に振る。
立ち止ったあたしたちの脇を、足早にすり抜けていく人々。どこか遠くで響く車のクラクション。雨で滲む街の灯り。
少し揺れた傘の下から、奏くんの手がすっと伸びる。そしてその指先が、そっとあたしの頬に触れた。
あたし……なんで泣いてるんだろう。
あたしの涙をぬぐった奏くんは、何も言わずにただ、傘の陰からあたしのことを見つめていた。