5
「どうして隠したりしてたの?」
いつものように学校から帰ると、ママが怒った顔をしてあたしに言った。
ママはあたしがいない間に勝手に塾のバッグをあさって、この前返された模試の成績を見つけたみたいだ。
「隠してたわけじゃないよ」
ママがあたしの前でため息をつく。模試の成績は前回よりかなり下がっていた。
「遊んでばかりいるからよ。ちゃんと勉強しないと」
遊んでなんかいない。勉強だってちゃんとやってる。ママがあたしのことを見ていないだけ。
あたしはママの手から模試の結果をひったくると、それを丸めてバッグの中へ突っ込んだ。
「ゆず!」
「塾、行ってくる」
逃げるようにリビングを出る。あたしを呼ぶママの声が聞こえたけれど、返事もしないで玄関から飛び出した。
夕暮れの街は、オレンジ色に染まっていた。
あたしは息を切らしながら、いつもの場所に立つ奏くんの姿を見つける。
どんな人ごみの中でも、あたしはすぐにその姿を見つけられるようになっていた、んだけど……。
奏くんに二人組の女の子が話しかけていた。どこの学校か知らないけど、可愛い制服を着た高校生たちだ。
二人はどこかを指さして、奏くんを誘っているみたいだった。奏くんはそれを突き放すわけでもなく、でも浮かれてる様子もなく、いつもと同じように淡々と返事していた。
あたしは小さく息を吐く。こういう場面を見たのは、実は二回目。
モテないなんて言うけれど、そんなの絶対嘘だと思う。
やがて二人の女の子が、あきらめたように奏くんから離れていく。あたしはゆっくりと一歩を踏み出し、奏くんのそばに近寄った。
「またナンパされてたでしょ?」
あたしが言うと、奏くんは笑って答えた。
「カラオケ行こう、だってさ」
「行けばいいのに。歌上手いの自慢できるじゃん」
「行かないよ。バイトあるし。いま彼女と待ち合わせ中って言っといた」
奏くんがいたずらっぽく言って遠くを見る。その視線を追いかけたら、さっきの女の子たちが、あたしと奏くんのことをじいっと見ていた。
「やだぁ! 絶対誤解されてる!」
「誤解させとけばいいよ」
ふっと笑った奏くんが、いつものように花壇の淵に腰かける。あたしはちょっとドキドキしながら、そんな奏くんと少し距離を置いて座る。
こんな所でこんなふうに、この人と座っている自分がすごく不思議だった。
初めて会った時、あたしは遠くから奏くんのことを見ているだけだったのに――あの女の子たちと同じように。
「ねぇ、前に奏くん言ったよね? あの歌作ったの、ぼくじゃないって」
「ああ……」
黙っているのが恥ずかしくなって、あたしは必死に話題を探していた。
「じゃあ誰が作った歌なの?」
奏くんはちょっと遠くに視線を移してから、つぶやくように答えた。
「高校生の頃、一緒にバンドやってた女の子が作った歌」
女の子が? それがちょっと意外だったけど、あたしは続けて話した。
「バンドやってたんだ。カッコいい」
「高校生のバンドなんて、部活の延長みたいなもんだよ」
そう言いながらも奏くんは、懐かしそうに笑う。
「高一の時、ギターにはまった友達がいてさ。バンドやるぞーって突然言い出して。それに乗ったピアノ弾ける女の子が、奏、歌上手いからボーカルやんなよって。それで強制的に」
「うん、確かに上手いもんね。奏くんを誘った子、見る目あるよ」
奏くんは、なんだかすごく嬉しそうだ。
あたしは、あたしの知らない高校生の奏くんを、頭の中で一生懸命想像する。
「で、その言い出しっぺの男が佐久間ってやつでさ。決めたバンド名が『佐久間ドロップス』。いま思い出すと鳥肌立つほど恥ずかしい」
「あは、まんまだしね。でもあたしそのバンド、見たかったなぁ。なんで辞めちゃったの?」
奏くんは一瞬動きを止めて、それから大きく伸びをするように、両手を空に伸ばした。
「バカバカしくなったから。歌なんか歌ったって、べつにプロになれるわけでもないし」
あたしはそんな奏くんの、夕焼け色の横顔を見る。奏くんは両手を下すと、この前と同じように、黙ってどこか遠くを見つめた。
「じゃあなんで……歌ってたの?」
あたしの声に、奏くんがゆっくりと顔を向ける。
「バカバカしくなった歌を、どうしてここで一人で歌ってたの?」
奏くんがふっと笑ってあたしに答える。
「ヒマだったから。ずっと前、佐久間とここでやったの思い出して……なんとなくだよ」
あたしの隣で、奏くんが立ちあがる。
「もう時間だよ。行かなきゃ」
あたしはぼんやりと、奏くんの背中を見つめる。静かに振り返った奏くんが、いつもみたいにあたしに笑いかける。
「じゃあ、また。ゆずちゃん」
夕日の中で見た奏くんの笑顔は、なんだかすごく寂しそうに見えた。