13
駅前でタクシーをつかまえて、奏くんと一緒に乗った。
夜の街を走るタクシーの中、奏くんは一言もしゃべらないで、ずっと頬杖をついて窓の外を見ていた。
あたしはそんな奏くんの横顔をちらりと見たあと、やっぱりずっとうつむいたままだった。
マンションの前でタクシーが止まる。奏くんはお金を払ってくれて、そしてあたしと一緒に車を降りた。
「部屋まで行こうか?」
「ううん、ここでいい」
あたしはバッグの中に手をつっこみ、財布を取り出して中を見た。夕方コンビニで、お菓子と雑誌を買ってしまったせいで、小銭が何枚か入っているだけだ。
「あの……タクシー代……」
「いらない」
「今はないけど……今度必ず返すから」
自分でそう言ってから、あたしたちに「今度」なんてあるのかな、って思う。
「帰り、どうするの?」
「歩いて帰る」
「駅まで、遠いよ?」
「大丈夫。歩きたい気分だから」
月のない暗い夜だった。マンションのエントランスだけがぽっかりと明るくて、駅へと続く道は、薄暗い街灯だけがずうっと先まで続いていた。
あたしは、この月も星も見えない夜空の下を、奏くんが一人で歩いて帰る姿を想像して、なんだかすごく寂しくなった。
「……ごめんなさい」
奏くんの前で頭を下げる。
「わがまま言って……」
何も考えずに家を飛び出して、泣いて奏くんを呼び出して、わがまま言って家まで送ってもらって……あたしはやっぱり子どもだ。
うつむいたまま、顔を上げられないあたしに、奏くんが言う。
「いいよ。ぼくも謝らなきゃいけないし」
ゆっくりと視線を上げて、奏くんを見る。そんなあたしに、奏くんがつぶやく。
「好きに……なっちゃう気がした」
「え?」
なにを好きに?
「ゆずちゃんのこと。好きになっちゃう気がしたんだ」
蒸し暑い空気。ぼんやりと灯る街灯。音のない世界に、奏くんの声だけが聞こえる。
「でもまだどこかで、未練たらしく、ひなののことを追いかけてる自分もいる」
胸がぎゅうっと痛くなった。
奏くんは片手で自分の髪をぐしゃぐしゃとかきまわして、そしてあたしから顔をそむけた。
「最低だよ。自分で自分がわかんない。だけどこのままじゃ、ゆずちゃんのこと傷つける気がして……それでもう、会うのはやめようと思った」
足もとを見つめ、ぎゅっと唇を噛みしめる。
泣くな、泣くな。泣いちゃダメだ。奏くんがそう決めたんだから……あたしが泣いたら、きっと奏くんを困らせる。
どこか遠くで救急車の音がした。初めて知った真夜中の匂いは、なんだかすごく切ない。
「ごめんな? 一緒に海、行けなくて」
手を伸ばせば、すぐそこに奏くんがいるはずなのに、聞こえてくる声はとても遠い。
うつむいたままのあたしの前から、奏くんの足音が遠ざかる。その気配が消えてなくなるまで、あたしはずっと顔を上げなかった。
「ゆず?」
マンションの前で立ち尽くしていたあたしに声がかかった。
「ゆず! どこに行ってたの! 電話にも出ないで……」
道路の反対側から、駆け寄ってきたのはママだった。ゆっくりと顔を上げたあたしは、部屋着のままで、あたしを捜しまわっていたようなママにぽつりと言った。
「ママ……ごめんなさい」
パパとママのしていること、納得したわけじゃない。居心地の悪いあの家に、帰りたいわけでもない。
だけどそこから逃げ出したって、何にも変わらないってこと、なんとなくわかった。
「……もういいから。早くうちに入りなさい」
ママの手が、あたしの背中をそっと押す。七階のあたしたちの部屋に、ぽっかり灯りが灯っている。
「パパも……待ってるのよ」
疲れ果てたようなママの声。こんな娘でごめんね、ママ。
ママと二人でエレベーターに乗る。ママは何もしゃべらなくて、あたしも何もしゃべらない。
あたしたちを運ぶ深夜のエレベーター。奏くんが歩くあの道へ、あたしはもう戻ることができない。
「ゆず? どうしたの?」
七階に着いて扉が開いた。ママがエレベーターを降りかけて立ち止る。
「ゆず?」
「う……うぇぇん……」
耐え切れずに声が漏れた。涙があふれてどうしようもない。
奏くん、どうして? どうしてあたしと会えないの? あたしは奏くんと会いたいよ。奏くんがまだ――ひなのさんのこと、好きでもいいから。
言いたかったのに、言えなかった言葉。我慢して、我慢して、言わなかった言葉。
「ゆず。ほらもう、泣かないの」
ママにうながされるように部屋に入る。泣きじゃくるあたしの頭を、待っていたパパが子どもみたいになでる。
だけどあたしは今夜、ちょっとだけわかった。
大人になるって――すごくつらいことなんだ。




