日向のこれから
少し調子に乗って書いたら、一話の文章量が一気に増えました。
==最上日向==
抜き足、差し足、忍び足、という言葉を知っているだろうか。
これはある歩き方を指した言葉である。通常の歩行法が重心と踏み込みを同時に行うのに対し、この歩行法は重心を後ろに残したまま踏み込む。それから重心を前へ移し、最後に蹴り足を離す。
実に奇妙な歩行法だ。主に足音を立てないように動くための歩行法である。
なぜ急にこんな話を始めたかというと、今現在その歩行法を実践中だからである。もちろん日向ではなく、日向たちを乗せたヤックル鳥のヤキトリが、だ。
背の高いヤキトリが身体を完全に伸ばし切ると頭が木の枝にぶつかってしまうため、体勢を低くして歩く。すると結果的にこの奇妙な歩行法になるのだ。
だがしかし、ヤキトリは速い。
こんな歩き方でよくここまでのスピードが出るものだと驚く。
足はたいして動かしていないものの、その長身からくる歩幅によりそれなりの速度が出ているのだ。
例えるのなら自転車程度。
その程度か、と想ったヤツ。手入れのされていない森の中を自転車で駆け回る自分を想像してもらいたい。この恐怖を理解していただけると思う。
やがて、いつ樹木に衝突するか、はたまた振り落とされやしないかの恐怖は唐突に終わりを告げた。
「……やっと、出口か」
森に出入口の概念があるのか疑問に感じたが、見渡す限りの草原を見たらどうでもよくなった。
「お疲れ様でした。ここから町まであっという間ですので、もう少し頑張ってくださいね」
「町?」
日向は辺りを見渡すが付近に街並みのようなものは見当たらない。
いや、よくよく目を凝らすと地平線の辺りに人工物的な何かが建っているのに気付いた。
「町ってあれか?」
「そうですあれです。ここから先は平坦な道が続くのでヤキトリも楽に走れますから。この分だとちゃんと日の落ちる前に到着できそうですね」
「へー。日の落ちる……前に……だと?」
アーネの言葉に日向は悪寒を感じた。
あわてて太陽の位置を確認する。そこには真っ赤な夕日が輝いていた。
「アーネ、ちょっと待っ――ッ!」
「行け!」
「ぁああああっ!」
「ウケケケケッ」
速い。
さっきまでが自転車なら今はロードバイク並みの速度に違いない。
森と違い障害物にぶつかる心配はないが、ヤキトリの全力はその速すぎる速度にただ恐怖する。
「風になったようでとても気持ちがいいですねー」
「……! ……ッ!」
今の状態を楽しむ余裕を日向は持ち合わせていなかった。
バイクのように安定しているのならまだ余裕を持てただろう。しかし、ここは全力疾走する生き物の背中である。そこは絶えず上下に揺れ、身体が浮き上がるたびに絶叫マシンに乗った時のような、背筋が冷える感覚が日向を襲う。
それを知ってか知らずか、アーネは激しい揺れの中ほとんど揺れることなく落ち着いて騎乗していた。
日向は揺れる荷物ではなく、アーネの安定した背中に何度もしがみ付きたいと思った。しかし、自分より華奢な女の子にしがみつくなど、男としてのプライドが許さなかった。
「カッコ悪いもんな」
誰にも聞こえないように呟く。
最上日向。自己の安全より自尊心を優先する人間である。
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落馬(または落鳥)することもなく、無事町に到着した日向たちは一軒の宿屋に落ち着いた。
この宿屋は旅人などを相手にする店で食事処も兼ねている。
「――では、お料理が出来たらお持ちいたします」
わざわざ店の隅に陣取った日向たちの注文を取ると、店員(エプロンにズボンの似合うきれいな女性だ)はぎこちない笑顔とともにカウンターへと下がっていった。
それもそのはず、日向たちは奇妙な格好をしていたからだ。
アーネリク・フランジュベル。異様に整った顔立ち、白い肌に白い髪、赤い瞳が特徴的な亜人の少女だ。話によると白兎の血を継いでおり、その耳はとても長い。その耳は大きな帽子で隠されている。亜人であることがバレると色々と不都合があるらしい。
対する日向は高校の制服(紺色のブレザー)や日本人特有の掘りの浅い顔、その振る舞いから周囲に妙な威圧感を放っている。ちなみに、髪が黒いのは特に珍しいことではないらしい。
恰好だけを見るとアーネは旅人、日向はどこか身分の高い人間。
しかし二人は対等に、いや、むしろアーネの方が師のように話している。
そのため店にいる人々は二人の関係を判断できずにいた。
「それじゃあ先の続きを説明しますね。ここが“ユーギル王国”の国外れにある名前がないほど小さな領地で、その領地のさらに外れにある小さな町というのはわかりましたね」
「おう」
店員がいなくなるとアーネがこの世界に関する説明を再開した。
「これから僕たちは数日かけて王都へ向かいます。王都には知の遺産を専門にした学者たちがいますので、召喚されたあなたを送還するには彼らに頼るのが一番でしょう。ちょうど僕も王都に商品を売りに行く予定があります。遺跡でヒナタに出会ったのも何かの縁、一緒に王都へ向かいましょう」
「ああ、俺もどうしたらいいか途方に暮れてるからそうしてもらえると助かる。いやー、この世界に来て最初に出会ったのがアーネでよかった。盗賊とかだったら即バッドエンドだったぜ」
「はい。運命の女神に感謝ですね」
そう言うとアーネは目を細めて笑った。その仕草一つ一つが愛らしい。
それなのにドキドキしないのは、アーネがきれいすぎてかえって下種な欲望が湧き起こらないせいだろう。きっとそうだ。
「どうしました? 僕の顔に何かついてますかね?」
「…………こういうとき『目、鼻、口』と答えるか『見惚れてた』と答えるかでその後のルートがわかるよな」
「ルート?」
「いや、なんでもない。ただ、きれいな顔してるなーって思っただけだ。下心はない、断じてない」
「…………」
そういう日向の言葉にアーネは不服そうな表情を浮かべた。
実際のところ下心はなかったがハッキリ言いすぎただろうか、と日向が心配になり、謝ろうとした瞬間、店員がタイミング悪く料理を持ってきた。
アーネは不機嫌なまま食事を始めた。
日向もつられて食べ始めてしまう。
「…………」
「…………」
空気が重い。
料理の味もよくわからない。
しかし、それもすぐに終わりを告げた。
「……ここじゃ言いにくいことなので部屋に戻ったら説明しようと思いましたけど」
「うん?」
「このままじゃ不味い食事になってしまうので、今から説明します。黙って聞いてください」
「お、おう」
「僕たち亜人は美しい種族です。耳が大きかったり角があったり、羽やウロコがある者もいますけど、総じて整った顔立ち、均整のとれた身体、きめの細かい肌。僕は醜い亜人に会ったことがありません。亜人とはそういう種族です」
アーネは淡々と語る。
「ですが美しい造形というものは多くありません。必然的に亜人の顔は似たり寄ったりですよ。そんな種族だから外見を重要視しません。代わりに内面を気にかけます。彼は優しい、彼女は器用などです」
「…………」
「ですけど、僕たち亜人も相手の容姿を褒めるときがあります。それは相手を侮辱するときです。『あなたのいいところは容姿程度しかありませんね』という風に」
「……なるほど」
「ヒナタに悪意がないことはわかりますけど、やっぱり言われてうれしい言葉じゃありませんね」
「ああ、俺も悪かったよ。つまりこう言えばよかったんだろ」
日向はキメ顔で芝居がかった声音で言った。
「アーネの心は綺麗だよ」
「はい?」
「…………」
「………………」
「……………………」
「…………………………ぷッ!」
唖然。沈黙。そして先に笑ったのはアーネだった。
「な、なんですかそれは!」
「内面を……褒めただけだッ!」
「内面って……ッ! ヒナタは心が見えるんですか!」
どうやらツボにハマったらしい。アーネはしばらく笑いの発作に見舞われた。
その後、二人は苦労して料理を食べ終えた。
アーネが発作的に笑いだし、ヒナタもつられて笑ってしまうので食べ終わるまでかなり時間がかかった。
店内が食事より酒目当ての客でにぎわう頃、アーネが言った。
「ここで説明したくなかったのは僕の正体に関わることだったからだよ」
容姿を褒めると侮辱になる。その説明をここでしたくなかった理由だろう。
「亜人であることがバレると面倒だからね」
アーネは周囲に聞き耳を立てている者がいないか確認した後、説明を始めた。
人間と亜人は永く激しい戦争をしていたらしい。原因は宗教やら権利やら、どこの世界でも戦争の理由なんて同じようなものだ。
それがつい最近終わりを迎えた。亜人の敗北によって。
人間軍が投入した新兵器によって、それまで優勢だった亜人軍はあっさりと敗北したようだ。
それから生き残った亜人たちはチリヂリになり人間に目をつけられないようにひっそりと暮らしている。
アーネがこの若さでトレジャーハンターなどという危ない仕事をしているのも、ひとところに留まると正体がバレやすくなるからだそうだ。
それまでの楽しい雰囲気が霧散していた。
ただ、アーネ本人はそのことに何の感情も抱かないかのように、無感情に、遠い昔話を語るように話した。
「まあ、そういうわけですので、人前で僕の正体に関わる話はしないでくださいね」
「…………ああ」
アーネ本人は何も思うところがないのだろう。しかし、ヒナタの胸中では妙な怒りが渦巻いていた。
過去の人間が勝手に始めた戦争。そのせいで、今を生きるアーネが理不尽な人生を歩いている。
それなのに、それなのに!
それなのに、アーネ本人が先祖の過ちに対し、一切の恨みを持っていないことが腹立たしい!
なぜここまで腹立たしいのか、自身でさえ困惑する感情が日向を突き動かす。
「ッ! アー――」
「や、やめてくださいッ!」
アーネを呼ぼうとしたその瞬間、店員の悲鳴が薄暗い店内に響いた。
日向がカウンターの方を向くと、そこには下卑た笑いを浮かべながら酔いに任せて店員に詰め寄る男たちがいた。
「へっへっへーっ! いいじゃねぇかよぉ!」
「そうだぜねぇーちゃん! 戦争のとき俺らがいたから今のへーわがあるんだ!」
「そうそう! だからごほーびくれなきゃ!『兵隊様ありがとー』ってよぉ!」
どうやらこの国の兵隊のようだ。
筋肉質な男が三人。とても清潔に見えないシミのついた服を着て、腰には剣をぶら下げている。
その男たちを見て日向の中に渦巻いていた感情が、そのはけ口を見つけたとばかりに暴れ狂う。
(お前らのせいか)
日向は荒々しく席を立つ。
しかし、三人の兵隊は店員に夢中でそれに気づかない。
(お前らのせいでッ!)
日向は肺一杯に息を吸う。
そして――。
「貴様ら、その手を離せ――ッ!」
驚くほど大きな声で一喝したのだった。