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第1話 振られました。

 田中里奈 21歳。

 高校を卒業して3年、在学中からお付き合いしていた彼に振られました。


 元カレ・宏樹とは入学時してすぐの部活動紹介で出会った。

 なんだかんだ話していたら仲良くなり、ある日、遊びに行った観覧車で宏樹に告白され、私も宏樹が好きだったから付き合った。

 クラスも違ったけれど、在学中3年間もトラブルなく、仲良くやって愛を育んできた。

 進路は宏樹が進学、私は就職でお互い違ったけれど、それから3年間恋人でやってきた。だから、このまま結婚するのかもと思っていたのに。


 なのに!


 「あの男……他の女に私の悪口を刷り込まれてまんまと信じて私を振った……!」


 

 仕事終わり、里奈は小さな居酒屋で眉間に皺を寄せながら酒の入ったグラスを握りしめていた。


 カウンターを挟んだ向かいでは、居酒屋店員の千隼が里奈の話を聞きながら困り顔で焼き鳥をコツコツ焼いている。


「いいじゃん。そんな人に流されやすい男、別れて正解だよ」


「それはそう!本当にそうなんだけど!」


 別れてからも、元カレをいつまでも思い出してしまう。

 宏樹の顔、宏樹の姿、宏樹との思い出。

 いろんな記憶が胸の奥から溢れて前が見えなくなる。

 6年。6年も一緒にいたのに。

 私の青春は全て、宏樹と一緒。

 

 初めてのキスも、初めての経験も、全部あげてずっと一緒に居たい。

 記念日も毎年お祝いしたし、誕生日も。

 宏樹の予定合わせて仕事も組んだし、スケジュールもずらして合わせた。

 大好きで大好きで。

 でも、そう思ってたのは私だけだった。


「うっ……ううっ……」


 里奈の目からは涙が溢れて止まらなくなる。

 

「あーわわわ、えっと、はい!ティッシュ!あと、ねぎま!焼けたよ!」


 千隼は優しく里奈の前にティッシュと焼きたてのねぎまを置く。

 里奈はティッシュで涙を拭きながら差し出されたねぎまを頬張った。

 

「あひがほう……」


「ふふっ。食べてから喋りな?それだけ泣いてもねぎまは食べるんだね」


 千隼は里奈を見つめて優しく微笑む。


 千隼とは1ヶ月前に知り合ったばかりだった。

 宏樹に振られて自暴自棄になって入った繁華街にあった小さな居酒屋。カウンターと立ち食いスペースがあるだけで、客も常連がほとんど。

 

 たまたま里奈が行った日は空いていて、客は私ひとりだけだった。

 初来店で千隼の優しい接客に心が絆され、迷惑も考えずに初対面で泣き散らかした。

 

 優しく、接客上手。常連にも大人気なこの店員は店長などではなく、ただのアルバイト。聞けばこの家は親の店らしく、本業は別にあると少し前に聞いた。詳しくは私も知らない。


 それから1ヶ月。

 私は仕事が終わると、この見た目も中身もイケメン店員のいる居酒屋に通い、こうやって元カレの愚痴を聞いてもらっている。


「はぁ……」


 いつも通りひとしきり話し終え、酒を仰ぐ。

 

「千隼さん、熱燗。日本酒の熱燗ちょうだい!あとスライストマト!」


「里奈ちゃん、熱燗なんて飲めたっけ?」


「わかんない!けど今日は金曜日だし、大丈夫だもん!」


 完全に酔っていた。

 宏樹のことを思い出すと感情に飲まれて涙が止まらなくなる。もう、何も考えたくない。

 そういえば、絵梨花がクラブはみんながワイワイしてて楽しいよって言ってたなぁ。


 絵梨花は私の高校からの友達。

 人と騒ぐのが好きな子でいつも誰かと一緒にいた。

 私も友達と遊ぶのは好きだったから仲良く遊んでいた。

 でも、20歳になった頃から絵梨花は夜遊びが酷くなって話が合わなくなり、疎遠になって連絡も取らなくなった。


 あの時はクラブなんて危ないところになんでいくんだろうって思ったのに、今は全てを忘れられるならいいかもしれないなんて思ってしまう。


 千隼は仕方なく、里奈に日本酒の熱燗を出す。

 でもその目は心配そうに里奈を見つめていた。


「……里奈ちゃん、本当に大丈夫?」


「大丈夫大丈夫!千隼さんには迷惑かけないようにちゃんとお店は出るし、お金も払うよぉ〜このあと一人でクラブでも行ってみようかなぁ!」


 よく考えもせずに思ったことを口に出す。

 

 里奈の言葉に千隼の顔が分かりやすく曇り、強めの口調に変わる。

 

「ダメだよ。あそこはそんなに軽い気持ちで行っていいところじゃない」


 いつもと違う千隼の言葉に里奈は少しだけびっくりした。


「クラブって、そんなに危ないところなの?」


「危ないよ。女の子が1人で行っていいところじゃない。危ない男も沢山いて」


「千隼さんは行ったことあるの?」


「……。」


 千隼は気まずそうに里奈から目を逸らす。

 里奈は千隼が行ったことあると察して目を輝かせる。


「私、行ったことないけど友達が楽しいって言ってたから……1人で危ないなら行ったことある千隼さんと行ったら少しは安心かな?!」


 里奈は酔いに任せていつもなら絶対言わないようなことを口走る。

 千隼はピクッと体を震わせて考える。


 何も言わない姿に調子に乗って気分を悪くさせてしまったかもしれないと里奈は慌てた。


「あ、いや、その、ごめんなさい……調子に乗って……ただの客なのに……迷惑かけてごめんなさい!私帰りますね……」


 焦って財布からお金を出そうとすると千隼がカウンターから手を伸ばして里奈の動きを止めた。


「……いいよ。行こうかクラブ。ちょっと仕事変わってもらってくるから支度して待っててくれる?今日は奢るから、お金はいらない」

 

 千隼は言い終えるとエプロンを脱いで店の奥へと入っていった。


 ……え?え???え???


 まさか千隼に承諾してもらえるなんて思わず、あまりの衝撃に思考が止まる。

 私、今から千隼さんとクラブデビューするの!?


 自分から誘ったくせに緊張で居た堪れなくなり、飲みかけだった熱燗を一気に煽って緊張を誤魔化す。

 一気に熱くなる体に酔いが強く回ったのを感じた。


「〜〜っっっ」


 緊張する。でも、今日は1人で泣かずに夜を過ごせる。

 明日明後日と仕事も休みを取ってるし酔い潰れて寝込んでも問題ない。


 酔いのせいか、段々とワクワクしてきて楽しくなる。

 

 里奈は心から千隼に感謝した。

 

 ——数分後。


 私服に着替えた千隼が店の奥から出てくる。

 ラフなグラフィックTシャツにデニム。千隼の見たことのない姿に里奈は少しドキドキした。


「里奈ちゃん、お待たせ。」


「全然!……私服の千隼さんはなんか、不思議ですね!」


「ははっ褒めてる?」


「めちゃめちゃ褒めてます!」


「ならいいよ」


 千隼は笑うと「じゃあ行こうか」と店の外へと歩き出した。

 店からクラブまでは15分くらいだった。繁華街にあった千隼の居酒屋はクラブのある歓楽街からも近い。


 クラブまでの道、千隼と2人。居酒屋じゃない場所で千隼と歩いてるのは変な気分だった。


「あの、誘った私が言うのもあれですけど……お店任せてきてまで私とクラブなんて、良かったんですか?」


 今更すぎる言葉に自分で自分が嫌になりそうだ。


 千隼は里奈の言葉に「今更?」と笑って聞き返す。


 本当にその通りです。

 里奈は頭を下げて反省する。千隼はその様子を見てクスクス笑った。


「いいんだよ。俺が行きたくて一緒に行くんだから。……1人で行かせたくないしね。」


「1人は危ないって言ってましたもんね。私は正直、今日は1人で泣きながら夜を過ごさずに済んで助かりました!」


 里奈は千隼を覗き込むように見つめて無邪気に笑った。


「ありがとうございます。千隼さん」


「……いいよ、里奈ちゃんのためだけじゃないし」


 千隼の言葉の意味がわからず、聞き返す。


「それってどういう……」


「それじゃあ、何かあった時のために連絡先を交換しておこうか。さ、QRコード出して出して」


 千隼に急かされて言葉の意味を聞くのも忘れてQRコードを探す。新しい連絡先なんて久々すぎてやり方がどうだったか忘れていた。


「えっと……QR……」


「わかる?」


 千隼の体が里奈に触れる。

 元カレ以外とこんな距離になったことがない里奈は心が落ち着かない。


「あ、はい!いや!わかりません!」


「あはっはっ!何それ面白いんだけど」


 居酒屋の時と空気の違う千隼の様子に里奈もなんだか楽しくなってきた。

 もしかしたら熱燗の酔いが今強く出てきてるのかもしれない。


「よーし!連絡先も交換したし、千隼さん行きましょう!」


「千隼ね」


「え?」


「ち は や」


「ち、ちはや……」


 千隼は名前を呼ばれて満足そうだった。

 こんな感じの人だっけ……?

 戸惑いながら2人で歩く。

 

「あ、そういえば千隼さ……千隼は何歳なの?」


 忘れてたけど年齢を知らなかった。見た目から20後半くらいかな?


「24歳」


「若!」


 黒い笑みを浮かべた千隼が里奈を見つめて、ジリジリと顔を近づける。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。老けて見えるとかじゃなくて大人っぽくて!大人っぽいから!!」


 にじり寄ってくる姿に必死に自分の失言をフォローした。

 千隼はわかっていたのか黒い笑みを消していつも通り笑って「わかってるよ」と微笑む。

 

 千隼は建物の前で歩みを止める。

 前では屈強な肉体を持つガードマンが入ろうとする人たちの身分証を一つ一つ確認していた。


「里奈ちゃん、ここが君の行きたがっていたクラブだよ」


 男女がどんどんと中に入っていく。

 独特の空気を醸し出すその未知の入り口に、里奈は怖さを少しだけ感じた。


「さ、行こうか。」


 千隼と里奈は身分証を見せて中へと入った。


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