第88話 乾布四が見た第二座
乾布四が見た第二座は、低く鳴ること自体が異常ではなかった。
『第二座、粉なし。沈みなし』
『鳴り、きん。のち、ぐ』
古い座見記録に残された音。
ガルドさんの荷物袋へ噛み込んでいた細粒Bも、その奥に似た響きを持っている。
きん。
……ぐ。
だが、細粒Bには、さらに別の音が重なっていた。
き。
……ざ。
重さを受けたまま、石の面がわずかに擦れた音。
低く鳴る石だったから、異常なのではない。
本来の低い鳴りへ、新しい擦れ音が加わっている。
そこを分けなければ、古い第二座を悪い石だと決めつけてしまう。
◇
朝、俺たちはいつもの順番で村の音を確認した。
井戸札は『使用できます』。
ハンナさんが白い器へ水を汲み、朝の光へ透かす。
「濁りなし。匂いも味も、昨日と変わらないよ」
俺は井戸の縁へ手を置いた。
さら。
りん。
水脈石の音は澄んでいる。
水車小屋では、影車へ細い水を通した。
こ、と。
北結界石が応える。
りん。
水車本体にも、無理のない水量を流す。
こ、とん。
こ、とん。
二回転。
軸と軸受けの音に乱れはない。
挽き石から落ちる粉も、いつもと同じ粗さだった。
「井戸、水車、影車、粉、異常なし」
ミラが帳面へ記録する。
最後に、北結界石を確認した。
根元の湿りは、もう周囲の土とほとんど見分けがつかない。
石そのものの音。
りん。
……りん。
北側の石片裏にある浅溝。
す。
……り。
中央奥に残っていた冷えの芯は、耳を澄ませても、ほとんど聞こえなかった。
……ん。
「北結界石。石音安定。浅溝の抜け音継続。冷えの芯、ほぼ消失」
ミラが朝の記録を締める。
ガンツさんは結界石の座りを確認した。
「追加処置なし」
「はい」
次に、工房の床下を聞いた。
乾布四を回収してから、二度目の朝だ。
点検板は閉じたまま。
低い棚も、空箱も、使い終えた布も動かしていない。
白緻石。
こん。
……りん。
西寝石。
ご、と。
東寝石。
ご、と。
二つの寝石は、今日も近い音を返している。
中央の息。
す。
……り。
乾布四を回収する前に聞こえていた、東側の低い沈みは戻っていない。
「床下の左右寝石、音差小。中央通気継続」
ミラが記録する。
ポロが聞いた。
「もう、乾布四が原因って言っていい?」
「通気を弱めた原因の一つだった可能性は高いです」
俺は答えた。
「でも、床下の状態はこれからも確認します。布を取ったあと、別の変化が出ることもあります」
「よくなったようでも、見る」
「はい。ただし、触らずに」
村と工房の音が安定していることを確かめてから、俺たちは回収枠に載せた乾布四へ向き直った。
◇
乾布四は、床下で折られていた形のまま残してある。
広げていない。
裏返してもいない。
黄土色の平織り布。
東端の返し縫いは一か所切れている。
木札には『乾布 四』。
裏面には、床板交換年の印。
杉葉形の作業組印。
配置印『東』。
布の下面には、二本の青い短線と半輪。
座見布の用途印である可能性が高い。
昨日確認した布使分控では、青糸の意味がこう記されていた。
『半輪は受け石』
『二線は二つの座』
さらに、乾布四と外観が近い黄土平織座見布には、西分け石第二座の再点検履歴があった。
『粉なし』
『沈みなし』
『鳴り、きん。のち、ぐ』
その後、洗浄、乾燥され、床替え用の乾布へ用途を変えられている。
『新札、四』
記録はつながった。
しかし、乾布四が見た第二座が、どの石材で作られていたのかは、まだ調べていない。
「第一座と第二座は、同じ白緻石ではなかった可能性があります」
ミラが言った。
「音が違うからですか?」
ポロが聞く。
「それだけではありません。第一座を替えた時の石材受入記録に、産地名がありました」
俺たちは、乾布四をその場へ残し、水守小屋の記録棚へ向かった。
◇
開いたのは、『第三水守筋 座石材控』。
西分け石の第一座と第二座。
それぞれに使われた石材の受入、点検、交換を記録した帳面だった。
ミラは受け台へ帳面を置き、頁を慎重に開く。
最初に書かれていたのは、古い第二座。
『第二座』
『西峰白緻石』
『古座』
『白に青返りあり』
『鳴り、きん。のち、ぐ』
ポロが顔を上げる。
「青返り?」
「光を斜めから当てた時、少し青く返す石だったようです」
ミラが答えた。
ガンツさんが記録へ顔を寄せる。
「白緻石の中でも、目の詰まり方が違う」
西峰産。
白く見えるが、石の薄い層へ光が入ると、淡い青みを返す。
叩いた音は低い。
きん。
その後、石の奥で重さが沈む。
……ぐ。
「低い鳴りは、西峰白緻石の性質です」
俺は言った。
「正常な時から、この音を持っていた」
ポロが乾布四の記録を思い出す。
「だから、第二座の『きん、ぐ』は悪い音じゃない」
「はい」
次に、第一座。
古い第一座の産地記録は一部欠けていた。
ただし、交換時に使われた新しい石の記録は残っている。
『第一座替え』
『東山白緻石』
『乳白、青返り少なし』
『鳴り、こん。返り、りん』
工房床下に保管されている、使われなかった第二座用替え石。
その音も近い。
こん。
……りん。
「床下の替え石は、東山産の可能性があります」
ミラが言った。
「受入控では、第二座替え用白緻石としか書かれていませんでした」
「この座石材控には、次の納入分について記録があるかもしれません」
頁を進める。
第一座交換から数年後。
『第二座替え備え』
『東山白緻石一枚』
『西峰石、入手難し』
『旧座と同じ形に切らず』
『一枚形にて備う』
ポロが首を傾げる。
「同じ石がなかったから、東山の石を用意した?」
「はい」
俺は答えた。
「でも、すぐ第二座と同じ形にしなかったようです」
ガンツさんが記録を読む。
「石の鳴りが違う。実際に替える時、座りを合わせる必要があったんだろう」
第一座へ使われた東山白緻石。
第二座に残された西峰白緻石。
二つは、どちらも重さを受ける緻密石だ。
だが、音の返し方が違う。
東山。
こん。
……りん。
軽く、澄んで戻る。
西峰。
きん。
……ぐ。
低く、奥へ沈む。
単純に、新しい石の方が良いわけではない。
同じ白緻石という名前でも、受け方が違う。
◇
座石材控には、二つの石の使い分けも書かれていた。
『東山石、荷を早く渡す』
『西峰石、荷を抱き、緩く返す』
『第一座、北門渡りには東山を良しとす』
『第二座、西息戻しには西峰を良しとす』
ポロが二つの石の絵を描く。
東山石。
受けた矢印を、すぐ外へ渡す。
西峰石。
矢印を一度広く抱え、ゆっくり返す。
「第一座と第二座で、仕事が違う」
「そうです」
俺は答えた。
「第一座は北側へ重さを渡す。第二座は西側の息道へ、重さを急に返さず戻す。だから、向いている石も違ったようです」
ガンツさんが言う。
「同じ形の石を置けば済む仕組みじゃない」
「はい」
ポロは大きく書いた。
『同じ白い石でも、仕事がちがう』
『音も、ちがう』
ミラが記録する。
『第一座交換石、東山白緻石。
第二座旧石、西峰白緻石。
役割と鳴りの性質が異なる』
これで、細粒Bの音をもう一度考えられる。
細粒B。
きん。
……ぐ。
基礎にある低い鳴りは、西峰白緻石の特徴と近い。
そこへ、荷重下の擦れ音が加わっている。
き。
……ざ。
外観にも一致点がある。
細粒Bは白色。
比較的均一。
黒い粒はほとんどない。
角度によって淡い光沢を返す。
アルバの報告では、光の色までは特定されていなかった。
白く光る。
その程度の記録だ。
「細粒Bを、もう一度見ます」
俺は言った。
◇
工房へ戻る。
ガルドさんの荷物袋は、木枠の中にある。
向きは変えていない。
袋を開いていない。
左底の縫い目にも触れていない。
細粒Bは、縫い糸の奥へ噛み込んでいる。
ハンナさんが窓の光を調整した。
直風は入れない。
上の小窓から、斜めの光だけを入れる。
細粒Bが淡く光った。
白。
その奥に、本当にわずかな青み。
はっきり青いわけではない。
灰色とも違う。
角度が変わると消える、薄い返りだ。
「淡い青返りの可能性があります」
ミラが記録する。
「二人で独立して見ます」
最初にハンナさん。
次にガンツさん。
二人は先に互いの判断を聞かない。
別々の札へ書く。
ハンナさん。
『白。斜光で、ごく薄い青み』
ガンツさん。
『白。青灰の返り、わずか』
表現は違う。
だが、どちらも青みを見ている。
「西峰白緻石の記録と一致しますか?」
ポロが聞く。
「一致点があります」
ミラが答える。
「ただし、実物の西峰白緻石見本はありません。記録文との比較だけです」
俺も細粒Bの音を聞く。
きん。
……ぐ。
西峰白緻石らしい低い返り。
その上。
き。
……ざ。
擦れた音。
「細粒Bは、西峰白緻石系の石材から出た可能性があります」
ミラが筆を構える。
「第二座由来の可能性は?」
「以前より高まりました」
俺は答えた。
「ただし、ガルドさんの袋は地鳴り後にも使われています。別の西峰系石材の粉が後からついた可能性は残ります」
ガンツさんも言う。
「西峰石が第二座にしか使われなかったとは限らん」
「はい」
ミラが正式に記録する。
『細粒B。
西峰白緻石記録との一致点あり。
白色細粒。
比較的均一。
淡い青返りの可能性。
基礎鳴り、きん、のち、ぐ。
荷重下擦過音を伴う。
西分け石第二座由来の可能性上昇。
地鳴り当日付着および第二座由来は未確定』
ポロは細粒Bの絵へ、青い小さな線を加えた。
『西峰の石の粉かもしれない』
『第二座かもしれない』
『まだ、決めない』
◇
乾布四が見た第二座の記録には、もう一つ重要な項目があった。
再点検時の布の向き。
『青糸半輪を、座の西へ』
『二線を、北門側へ』
『東縁より粉を受く』
乾布四の青糸は、単に座見布であることを示すだけではない。
第二座へ置いた時の向きも残していた。
半輪。
二線。
布の東端。
現在、切れた返し縫いがある側だ。
ミラが乾布四の現在図と、座見時の配置図を比べる。
「布の東端が、第二座の外側を見ていたことになります」
「細粒Bが出たと考えられる、地鳴り位置は?」
ポロが聞く。
アルバ旧地図。
西分け石。
床継ぎ目。
ガルドさんの荷物袋が置かれていた位置。
第二座の東外側に近い可能性がある。
ただし、旧地図と現在地図には誤差がある。
「位置関係も近いように見えます」
ミラが言う。
「でも、完全には重なりません」
「はい」
俺は答えた。
「音、光沢、位置。三つに一致点があります。それでも、現地を見ていない以上、第二座の粉とは断定できません」
ガンツさんが頷く。
「その慎重さでいい」
ポロが少し困った顔をした。
「いっぱい合っても、まだ決めない」
「はい」
「いつ決めるの?」
「決める必要がある時です」
俺は答えた。
「今、必要なのは第二座を交換することではありません。何が起きた可能性が高いかを、壊さずに知ることです」
北回廊旧水守門では、冷えが弱まっている。
水滴紋も薄くなった可能性がある。
右寄りの息は続いている。
門の仕組みは、少しずつ働きを取り戻しているかもしれない。
今すぐ西分け石へ行き、床を開ける理由はない。
第二座が擦れた可能性が高まっても、座替えを急ぐ理由にはならない。
◇
さらに頁を進めると、第二座用替え石についての注意があった。
『東山替え石を、西峰旧座へ直に置くべからず』
ポロが顔を上げる。
「替え石なのに?」
「音と重さの返し方が違うからです」
ガンツさんが答えた。
ミラが続きを読む。
『鳴り違えば、荷の渡りも違う』
『座合わせ片二枚を備え、重さの返りを整うべし』
『西峰の低鳴りを、東山に求むるな』
床下に残る第二座用替え石は、東山白緻石。
澄んだ音。
こん。
……りん。
現在の第二座は、西峰白緻石。
低い音。
きん。
……ぐ。
同じ場所へ、そのまま置き換えることはできない。
新しい石を、古い石と同じ音にしようとして削るのでもない。
二枚の座合わせ片で、重さの渡り方を調整する。
「替え石が見つかったから、すぐ交換できるわけではありません」
俺は言った。
「はい」
ミラが記録する。
「座合わせ片の記録も必要です」
ガンツさんが言う。
「替え石だけあっても、合わせ片がなければ仕事は終わらん」
ポロが聞いた。
「座合わせ片も、工房の床下?」
「分かりません」
俺は答えた。
「替え石と一緒に運ばれた可能性はあります。でも、今の保管記録では白緻石一枚しか確認していません」
新しい調査項目が生まれた。
『第二座 座合わせ片』
一、材質。
二、枚数。
三、保管記録。
四、替え石との同送記録。
五、現在位置。
六、見つけても動かさない。
七、第二座交換を前提にしない。
ポロは大きく書いた。
『替え石だけでは、替えられない』
『同じ形でも、同じ音じゃない』
◇
夕方、工房の床下をもう一度確認した。
白緻石。
こん。
……りん。
東山白緻石に近い、澄んだ返り。
西寝石。
ご、と。
東寝石。
ご、と。
中央の息。
す。
……り。
朝から変化なし。
乾布四回収後の通気改善も続いている。
回収枠の中の乾布四。
青い糸。
二本の線と半輪。
布の奥に残る、かすかな古い音。
きん。
……ぐ。
強くはない。
洗われ、乾かされ、別の仕事へ使われた布だ。
それでも、青糸の周囲には、西分け石第二座を見た時の低い鳴りが、ごく薄く残っているように聞こえた。
「乾布四の青糸周辺に、第二座記録と似た低音があります」
ミラが顔を上げる。
「布が石の音を残しているのですか?」
「同じ音とは言えません。布地へ残った古い鳴りです」
俺は慎重に続ける。
「細粒Bの擦れ音とは違います。乾布四の音には、傷みの濁りがありません」
正常だった第二座。
きん。
……ぐ。
地鳴り後の粉。
きん。
……ぐ。
き。
……ざ。
基礎の鳴りは似ている。
だが、細粒Bにだけ擦れがある。
「乾布四は、第二座が正常だった時の音を残している可能性があります」
ミラが記録する。
『乾布四青糸周辺。
第二座正常記録に類似する低音残響。
荷重擦過音なし。
布の前歴を支持する可能性。
同一音とは断定せず』
ポロが乾布四と荷物袋の絵を並べた。
『布が見た第二座』
『きん、ぐ』
『袋に残った粉』
『きん、ぐ、ざ』
その下へ書く。
『前は、擦れてない』
『あとで、擦れたかもしれない』
俺は、その紙を見た。
乾布四が見た第二座は、低く鳴る正常な石だった。
古いから悪いのではない。
低く鳴るから壊れているのでもない。
地鳴りのあとに残った細粒Bには、その正常な鳴りへ、擦れの音が加わっている。
西分け石の第二座が少し動いた可能性は、また一段高まった。
それでも、旧水守門は回復へ向かっているかもしれない。
今すぐ交換する必要はない。
必要なのは、第二座の現在を壊さずに知ること。
そして、もし本当に替える日が来た時、新しい東山白緻石を古い西峰白緻石と同じものだと思わないことだった。
工房の看板が夕風で鳴った。
からん。
井戸の札が鳴る。
から。
影車が鳴る。
こ、と。
北結界石の浅溝から、細い息が抜ける。
す。
……り。
工房の床下。
使われなかった替え石。
こん。
……りん。
回収枠の中。
乾布四が知っていた第二座。
きん。
……ぐ。
同じ白緻石でも、同じ音ではない。
同じ役目に見えても、同じ重さの受け方ではない。
使われなかった替え石が見つかっても、すぐに古い座の代わりにはできなかった。
第二座を替えるためには、石だけではなく、二つの音をつなぐ座合わせ片が必要だった。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
今回は、乾布四がかつて点検した西分け石第二座の材質と、正常時の音を調べる回でした。
記録から、第一座と第二座には異なる白緻石が使われていたことが分かりました。
【第一座交換石】
・東山白緻石
・乳白色
・青返りは少ない
・鳴りは「こん。返り、りん」
・重さを早く渡す性質
【第二座旧石】
・西峰白緻石
・斜光で淡い青返り
・鳴りは「きん。のち、ぐ」
・重さを抱き、緩く返す性質
第二座の低い鳴りは、正常時から持っていた石材の特徴です。
そのため、細粒Bで異常を示すのは低音そのものではなく、そこへ加わった荷重下の擦過音だと考えられます。
細粒Bには、
・淡い青返りの可能性
・西峰白緻石に近い低い基礎音
・重さを受けながら擦れた残響
がありました。
西分け石第二座由来の可能性は高まりましたが、地鳴り当日の付着や第二座由来を確定する証拠にはなっていません。
また、工房床下に残る第二座用替え石は東山白緻石の可能性があります。
西峰白緻石とは重さの返し方が異なるため、そのまま置き換えることはできません。
交換には、二枚の「座合わせ片」が必要だったことも分かりました。




