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戦えない調律係はいらないと追放されましたが、壊れた魔道具の声が聞こえるので辺境で重宝されています  作者: 空乃 カナタ
第1章:捨てられた少年と鳴らない鐘

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第80話 二つの寝石

 東の寝石は、壊れていなかった。


 少なくとも、割れた石の音ではない。


 低く沈む響きの横で、石ではない何かが、細い息を吸い込んでいる。


 ご。

 ……ぐ。


 ふ。

 ……さ。


 硬い石と、柔らかなもの。


 二つの音が重なったせいで、東の寝石だけが西より低く鳴っていた。


「東の石の横に、何かあります」


 俺が言うと、ガンツさんは床板を見たまま腕を組んだ。


「石か」


「違います。布か、厚い紙に近いです」


「落ちた物が、息を塞いでる?」


 ポロが聞く。


「その可能性があります」


 俺は工房の北側へ耳を澄ませた。


 床板は、まだ開けない。


 低い棚も動かさない。


 二つの寝石に支えられた白緻石も、そのままだ。


 今は、床の上から聞こえる音だけを分ける。


 西の寝石。


 ご、と。


 乾いた石の返り。


 東の寝石。


 ご。

 ……ぐ。


 低く沈む石の音。


 その横。


 ふ。

 ……さ。


 何か柔らかなものが、中央の細い空気を吸っている。


 東の寝石そのものが壊れているのではない。


 その可能性が高まっただけでも、胸の奥にあった重さは少し軽くなった。


     ◇


 床下の確認を始める前に、俺たちは村の音を聞いていた。


 井戸札は『使用できます』。


 ハンナさんが白い器へ水を汲み、朝の光へ透かす。


「濁りなし。匂いも味も変わらないよ」


 俺は井戸の縁へ手を置いた。


 さら。

 りん。


 水脈石の音は澄んでいる。


 水車小屋では、影車へ細い水を通した。


 こ、と。


 北結界石が応える。


 りん。


 水車本体も、無理のない水量で二回だけ回す。


 こ、とん。

 こ、とん。


 軸と軸受けに乱れはない。


 挽き石から落ちる粉も、いつもと同じ粗さだった。


「井戸、水車、影車、粉、異常なし」


 ミラが帳面へ記録する。


 最後に、北結界石を確認した。


 根元の湿りは、周囲の土とほとんど見分けがつかなくなっている。


 石そのものの音。


 りん。

 ……りん。


 北側の浅溝。


 す。

 ……り。


 中央奥に残っていた冷えの芯は、耳を澄ませても、ほとんど聞こえない。


 ……ん。


「北結界石。石音安定。浅溝の抜け音継続。冷えの芯、ほぼ消失」


 ミラが朝の記録を締めた。


 ガンツさんは結界石の座りを見て、短く言った。


「追加処置なし」


「はい」


 村の音は、今日も落ち着いている。


 それを確かめてから、俺たちは工房の床下へ意識を戻した。


     ◇


 工房の北側。


 低い棚と北壁の間には、古い床板が並んでいる。


 その下にある可能性が高いものは、三つ。


 第二座用として運ばれた白緻石。


 白緻石を支える、西と東の二つの寝石。


 二つの寝石の中央に残された、細い空気の道。


 昨日の確認では、白緻石に割れや擦れの濁りはなかった。


 こん。

 ……りん。


 一枚石らしい、澄んだ返り。


 西の寝石も安定している。


 ご、と。


 問題は、東の寝石だった。


 ご。

 ……ぐ。


 ただし、割れた石なら、音の中に鋭い欠けが混じる。


 か。


 き。


 そうした音はない。


 土へ沈んでいるなら、石の下から湿った重さが返る。


 も。


 ……ず。


 それも聞こえない。


 代わりにあるのは、柔らかい音だ。


 ふ。

 ……さ。


「石が低く鳴っているというより、石の周りの音が低くされています」


 俺が言うと、ミラが筆を止めた。


「寝石そのものの異常ではない可能性があるのですね」


「はい。東の寝石の横で、空気を吸うものがあります」


 ポロが床を見た。


「布?」


「布に近いです」


「木屑ではないのか」


 ガンツさんが聞く。


「木屑なら、一つずつ乾いた音がします」


 俺は耳を澄ませた。


 かさ。


 こ。


 細かく散る音ではない。


 一枚の柔らかなものが、折れたまま空気の通り道へかかっている。


「細かな木屑ではありません。まとまった布か、厚い紙だと思います」


 ハンナさんが北側の床へ近づいた。


 ただし、床板へ膝はつかない。


 棚にも触れない。


「布なら、湿りを抱えて音を低くすることはあるね」


「腐っていますか?」


 ポロが心配そうに聞く。


「まだ分からないよ」


 ハンナさんは鼻へ意識を向けた。


「この距離では、強い腐り臭はしない。でも、床下だからね。開けないうちは決められない」


 ミラが記録する。


『東寝石付近。

 柔軟物による通気阻害の可能性。

 布または厚紙状。

 腐敗、湿り、材質は未確認』


 ポロが紙へ寝石を二つ描いた。


 西の石。


 東の石。


 その間に白緻石。


 東側へ、折れた布のようなもの。


『西は、かわいた音』

『東は、低い音』

『横に、やわらかいもの?』


「疑問符を大きくしてください」


 ミラが言う。


「うん」


 ポロは最後の疑問符を太くした。


     ◇


 次に調べるのは、寝石の記録だった。


 白緻石を北床蔵へ保管した時、どのように床下へ収めたのか。


 二つの寝石に使われた石材。


 中央の空隙。


 その後の床板交換。


 古い保管帳と補修帳を、水守小屋の奥で一冊ずつ確認する。


 ガルドさんの荷物袋へ、古い紙の埃を混ぜないためだ。


 工房には荷物袋を残し、俺たちは水守小屋の記録机へ移った。


 ミラが乾いた布を敷く。


 最初に開いたのは、『北床蔵 石預け控』。


 白緻石の保管記録の下に、寝石についての記述があった。


『寝石二つ』


『灰受石、同じ割りより選ぶ』


『左右、鳴り近きを用う』


「西と東は、同じ種類の石です」


 ミラが言った。


「記録上は、同じ岩から割り出した石ですね」


 ガンツさんが頷く。


「材質差だけで東が低い可能性は下がった」


「はい。ただし、実物は未確認です」


 記録には続きがある。


『西、東へ置く』


『中央、指二つの息を残す』


『替え石、土へ触れさせず』


『寝石の鳴り、左右近きを良しとす』


 昨日確認した内容と一致している。


 さらに、頁の端に小さな注意書きがあった。


『片鳴り沈む時、石を起こすな』


『先に土、息、落ち物を聞け』


 ポロが顔を上げた。


「落ち物」


「床下へ落ちた物です」


 俺は答えた。


「昔の水守も、寝石そのもの以外で音が変わることを知っていたようです」


 ガンツさんが続きを読んだ。


『木屑は散りて鳴る』


『土は面にて重くなる』


『布は息を吸い、片鳴りを低くす』


 工房で聞いた音と近い。


 ふ。

 ……さ。


 柔らかなものが、空気を吸う音。


「布で寝石の音が低くなる記録があります」


 ミラが言った。


「東の寝石も、同じ状態ですか?」


 ポロが聞く。


「似ています」


 俺は答えた。


「でも、まだ布があるとは確認できていません」


 ミラが記録する。


『保管控に、布による片鳴り低下の記載。

 現在の東寝石音と類似。

 落下物の存在は未確認』


 次に、床板交換記録を開く。


 現在の工房の床板が替えられた時の帳面だ。


『北床蔵、床板替え』


『座石棚を動かさず』


『替え石、寝石へ触れず』


『乾布四枚を敷き、木屑を受く』


 ハンナさんが言った。


「木を削る時の屑が、床下へ落ちないように布を敷いたんだね」


「はい」


 ミラが次の行を読む。


『作業後、乾布三枚を回収』


 工房が静かになった。


 ポロが指を折る。


「四枚使って、三枚戻った」


「一枚足りません」


 ミラの声が硬くなる。


 次の行。


『東点検板下、布一枚見失う』


『北水路呼び出しにつき、確認を後へ回す』


 その下。


 後日の確認欄。


 空白。


 日付もない。


 確認者の印もない。


 布を回収した記録は残されていなかった。


「落ちた布を、そのまま忘れた?」


 ポロが聞いた。


「可能性があります」


 俺は答えた。


「北水路で急な対応があり、床下確認を後回しにした。その後、記録が途切れたのかもしれません」


「でも、今聞こえる布が、その時の一枚とは限りません」


 ミラが付け加える。


「はい。後の時代に、別の布や紙が落ちた可能性もあります」


 ガンツさんが床板交換記録を見た。


「東点検板、とある」


「床下を見るための板でしょうか」


「そうだろう。床全体を外さず、一部だけ確認するための板だ」


 ミラは旧間取り図を広げた。


 北床蔵。


 白緻石。


 西寝石。


 東寝石。


 その東側に、小さな長方形が描かれている。


『点検板』


 現在の工房配置を重ねる。


 低い棚の東脚と、北壁の間。


 古い床板の一枚が、点検板の位置と重なった。


 ポロが言う。


「今もある?」


「記録だけでは分かりません」


 ガンツさんが答えた。


「後の床板交換で、普通の板へ替えられた可能性もある」


「まず、上から見ます」


 ミラが帳面を閉じた。


     ◇


 工房へ戻り、床板の表面を確認する。


 棚は動かさない。


 布も空箱も、そのまま。


 棚の東脚と北壁の間には、細長い床板が一枚ある。


 他の床板には、梁の位置に合わせて鉄釘が二本ずつ打たれていた。


 だが、その板だけは違う。


 鉄釘がない。


 代わりに、板の端へ丸い木栓が二つある。


 周囲には、細い継ぎ目。


 板の北端には、削れた小さな印が残っていた。


 水滴の形。


 その下へ、短い横線。


「水守の点検印です」


 ミラが言った。


「点検板が残っています」


 ポロが嬉しそうにする。


「ここから見られる?」


 ガンツさんがすぐに言った。


「今日は開けん」


「どうして?」


「棚の東脚が、点検板の縁に近い」


 棚そのものは軽い。


 だが、板を外す時に棚へ触れれば、床へかかる重さが変わる。


 木栓が固着している可能性もある。


 無理に引けば、板が割れる。


「開ける前に、点検板の受けと、棚脚の位置を記録する」


 ガンツさんが言う。


「それから、板を上げた時に埃や木屑が床下へ落ちないようにする」


 ハンナさんも続ける。


「布を取るために、別の屑を落としたら意味がないからね」


 ミラが新しい確認項目を書く。


『東点検板 開放前確認』


 一、棚を動かさない状態で、棚脚と板縁の位置を記録。

 二、点検板が床荷重を受けていないか確認。

 三、木栓、板縁、受け木の状態を確認。

 四、開放時の埃落下防止を準備。

 五、床下へ道具を差し込まない。

 六、白緻石、寝石、落下物へ触れない。

 七、板を外せない場合は無理に開けない。


 ポロが書く。


『点検板を、むりにあけない』

『見えても、すぐとらない』


「見えても取らないのですか?」


 ポロが、自分で書いた言葉を見て聞いた。


「まず、位置と状態を記録します」


 俺は答えた。


「布が白緻石や寝石に引っかかっているなら、引くだけで石の音を変えるかもしれません」


「布だけだと思って引いちゃだめ」


「はい」


 ガンツさんが頷く。


「落ちた物が、今は別の物を支えていることもある。先に見る」


     ◇


 点検板の上から、もう一度音を聞いた。


 西寝石。


 ご、と。


 東寝石。


 ご。

 ……ぐ。


 中央の息。


 す。


 だが、東側へ行くほど、空気の音が弱くなる。


 そして点検板の直下。


 ふ。

 ……さ。


 柔らかなものの音が最も強い。


「落下物は、点検板の下に近いです」


 ミラが記録する。


「東寝石の真下ではありませんか?」


「少し外側です。東寝石と中央の空隙の間へ、端だけがかかっているように聞こえます」


 それなら、東寝石そのものは沈んでいない可能性がさらに高まる。


 布状のものが、中央の息を吸い、寝石の横へ湿りと低い音を残している。


 ハンナさんが言った。


「布が折れて、東側の隙間に垂れてるのかもしれないね」


「可能性があります」


 俺は耳を少し移動させた。


 柔らかな音の奥。


 布とは違う、薄く硬いものがある。


 から。


 ごく小さな音。


 風が通るたび、何かが寝石か床下の木へ当たっている。


 もう一度。


 ふ。

 ……さ。

 から。


「布だけではありません」


 ミラの筆が止まる。


「何がありますか?」


「薄い木か、硬い札のようなものです。布と一緒にあります」


 ポロが目を大きくした。


「作業布の札?」


「その可能性があります」


 昔の作業布には、枚数を管理する木札が結ばれていたのかもしれない。


 乾布四枚。


 回収三枚。


 一枚見失う。


 もし、点検板の下にある布へ木札がついているなら。


 床板交換時に落ちた一枚である可能性が、さらに高まる。


 だが、まだ見ていない。


 音だけだ。


 ミラが記録する。


『東点検板下。

 布状物の音。

 薄い硬質物が付随する可能性。

 木札または別落下物の可能性。

 未確認』


 ポロは布の絵を描いた。


 端に、小さな四角い札。


 札の中には、大きく『四』。


「まだ四って決めないでください」


 ミラが言う。


「じゃあ、疑問符」


 ポロは『四』の横に、大きな疑問符をつけた。


     ◇


 夕方、東寝石の音をもう一度確認した。


 ご。

 ……ぐ。


 朝から変化なし。


 割れ音なし。


 沈みの悪化なし。


 白緻石との擦れ音なし。


 布状物の音も同じ位置にある。


 ふ。

 ……さ。


 時々、小さな札のような音。


 から。


「東寝石の低音、朝夕で変化なし」


 ミラが記録する。


「落下物による通気阻害の可能性が高い。寝石本体の破損、沈下は現時点で確認できず」


 ガンツさんが点検板を見た。


「明日、開ける条件を整える」


「棚を動かしますか?」


 ポロが聞く。


「棚を先に動かすかは、板と脚の荷重を見てからだ」


「点検板だけ上げられるかもしれない?」


「そうだ。だが、無理ならやらん」


 床下の替え石を見つけたからといって、急いで取り出さない。


 東寝石の音が低いからといって、石を動かさない。


 布らしいものが見つかったからといって、すぐ引き抜かない。


 見る前に、動かさない。


 見えた後も、状態を残す。


 それが今の工房のやり方だった。


 ポロは点検板の横へ、今日の札を立てた。


『二つの寝石』

『西は、かわいた音』

『東は、低い音』

『東の横に、布かもしれない』

『明日、点検板を見る』

『まだ、ひっぱらない』


 工房の看板が夜風で鳴る。


 からん。


 井戸の札が鳴る。


 から。


 影車が鳴る。


 こ、と。


 北結界石の浅溝から、細い息が抜ける。


 す。

 ……り。


 工房の床下では、白緻石が澄んだ音を返している。


 こん。

 ……りん。


 その下の西寝石。


 ご、と。


 東寝石。


 ご。

 ……ぐ。


 そして、東側の息を塞いでいる柔らかな音。


 ふ。

 ……さ。


 布の奥で、小さな木札らしいものが鳴る。


 から。


 東の寝石は、壊れていない可能性が高い。


 低く鳴らしていたのは、長い間、床下へ忘れられていた一枚の布だったのかもしれなかった。

ここまで読んでくださりありがとうございます。


今回は、白緻石を支える「二つの寝石」の音を確認する回でした。


西の寝石は、乾いた安定音。


東の寝石は、少し沈むような低い音。


最初は東寝石の破損や沈下も疑われましたが、


・鋭い割れ音がない

・土へ沈む湿った重音がない

・白緻石との強い擦れ音がない

・寝石の横から柔らかな音が聞こえる


ことから、寝石そのものではなく、空気の通り道を塞ぐ落下物が音を低くしている可能性が高まりました。


古い床板交換記録には、


・作業用の乾布を四枚使用

・三枚だけ回収

・一枚を東点検板の下で見失う

・急用により確認を後回し


という記述が残っていました。


現在の工房にも、古い点検板が残っています。


その下からは布状の音と、薄い木札のような音が聞こえています。


ただし、まだ床板は開けていません。


布が見えても、石や別の物へ引っかかっている可能性があるため、すぐには引き抜かない方針です。

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