第四話①
クオーレの森には、四日後の昼過ぎに到着した。
葉っぱの緑が鮮やかな、鬱蒼としている森だ。静かだ。誰も人はいない。って、当たり前か。ここには魔獣が潜んでいるんだから。
「サーナ。俺の傍を離れないでほしい」
「分かった」
俺はムーシュさんの後ろにくっついて歩いた。草を踏みしめながら、ひとまず真っ直ぐ進む。
俺の周りには、それぞれ四方八方に騎士のみんながいて、俺のことを守ってくれる体制を取っている。
「サーナ。魔獣の気配は感じられるか?」
「うん。奥の方から魔の気配を一つ感じる」
俺は奥の方を指差しながら、ムーシュさんに返した。
魔獣ひいては魔の気配は、俺のように素養のある者しか感じられない。だから、ムーシュさんたちには詳しくは分からないんだ。
「ありがとう。やはり、聖職者がいるとありがたいな」
「俺はもうただの一般市民だよ」
肩を竦めて応える。苦笑いしながら。
聖職者というのは、聖帝を含めたいくつかの教団に所属する人たちのことだ。魔祓いをできる者がなれる職業になる。
「でも……この隊には、どうして聖職者がいないんだ?」
「実は最近まで女性の聖職者がいたが、ちょうど産休に入ってしまって。だから、代わりの聖職者を探していたんだ」
「聖職者ならすぐに見つかるんじゃ?」
「いや。ルミルカ王国では、聖職者はあまりいない。だからサーナがきてくれて本当に助かる」
そうだったのか、と俺は目を丸くした。
聖イチア教団にはたくさんの聖職者がいたからビックリだ。てっきり、どこの国も同じような人員だと思っていた。
そうか。国によって、構成割合は違うんだな。
「そっか。じゃあそれまで、みんなを助けられるように頑張る」
「ありがとう」
ふわりと微笑みを浮かべるムーシュさん。騎士のみんなも、ほっとしている顔だ。俺がやめると言い出さなくて安心したんだろう。多分。
そのあとは会話をやめ、俺たちは黙々と草道を歩いた。
魔獣が俺たちの存在を察して逃亡しないよう、なるべく静かに移動する。息を殺しながら、魔獣のところまで進んだ。
「あ! あいつか!?」
と声を上げたのは、ディトラさんだ。
俺ははっとして顔を向けた。――とうとう魔獣が出たのか!
でも、おかしい。まだ魔獣の気配は遠く感じていたのに……。
と思ってよくよく『その魔獣』を観察してみると。
「……違います。あれはただの大きな鹿です」
「え!?」
驚くディトラさん。
周りのみんなは呆れ顔だ。ムーシュさんがツッコミを入れた。
「依頼書に書いてあっただろう。魔獣は、イノシシだったと」
「あ! そうだった! ……すみません」
ディトラさんは、さすがに気恥ずかしそうに体を小さくさせていた。……っていうか、俺は聞いてないんだけど。その話。
むっとして、前を歩くムーシュさんに視線を戻した。
「ムーシュさん。俺は聞いてないよ、その報告」
「え? ああ、すまない。君には必要がないだろうと思って」
「そんなわけないだろ!」
俺にだって心の準備というものがあるし、みんなと共有して知りたかった。
少し眉尻を上げると、ムーシュさんは慌てて謝罪してきた。
「す、すまん。次からは気を付ける。……そうか、そうだよな。魔獣の形態をしておかないと、君も緊張するよな」
「当たり前だろ。それに俺だってみんなの仲間なんだから。……のけ者はやめてくれよ」
はっとした顔をするムーシュさんだ。本人に悪気はなかったみたいだ。もう一度、今度は真摯な表情をして「すまなかった」と謝罪した。
俺が思い出していたのは、聖宮での生活。みんなと仲良くしたくても、俺が偉い地位だからと遠巻きにされて、親しくできなかった。
でも、ここのみんなとは仲良くしたいし、きっとできると思っていたんだ。
気まずい沈黙が下りてしまったせいか、ザルフェさんが明るい調子で口を開く。
「ま、とにかくさっさと任務を終わらせてしまいましょうや。それで帰りにみんなで腕相撲大会でもしましょう」
吹き出して笑うのは、クロイツさんだ。
「どうして腕相撲大会なんですか。宴会でもいいのに」
「確かに」
ヴァルガさんが厳めしい顔で同意して頷く。
一気に重い雰囲気が和らぎ、俺とムーシュさんも小さく笑った。
落ち着いた頃を見計らって、ムーシュさんに顏を向ける。バツの悪い顔で謝った。
「ムーシュさん。ごめん。さっきは強く言い過ぎた」
「いや、いい。俺の方が悪かったんだから」
お互いに謝り合って、きちんと仲直り。俺たちはにこりと笑い合う。
「じゃ、行きましょうか」
急に仕切り始めるディトラさんに、騎士三人のツッコミが相次いだ。みんな、半笑いを浮かべながらだけど。
「「「お前が仕切るな」」」」
「……ちぇっ」
わざとらしく、そして楽しそうに拗ねるディトラさん。
「お前たち、いい加減にしろ。――行くぞ」
元の真剣な表情に戻したムーシュさんが、颯爽と歩き始める。
「うん」
「「「「はい!」」」」
俺たちは再び歩き始めた。
――その時だ。
「グォオオオオ!」
獣の唸り声が響いた。前横の茂みから突然、飛び出してきたのはイノシシだ。
俺はすぐに叫んだ。
「みんな! あれが魔獣だ!」
ムーシュさんがずいっと前に進み出る。
「サーナ。下がっていろ。――クロイツ」
「はい!」
「サーナを頼む」
「分かりました」
クロイツさんが俺のすぐ隣に立ち、ムーシュさんたちは魔獣に向かっていく。
みんなの勢いに驚いたのか、魔獣はびっくりした顔をして、そのまま逃げるように疾走していった。みんなはさらに追いかけ、俺たちも小走りであとを追う。
「ディトラとザルフェは右! ヴァルガは左へ!」
ムーシュさんが走りながら、みんなに指示を飛ばす。
はいと応えた三人はそれぞれ、魔獣の右側左側に向かっていった。ムーシュさんは魔獣の背後を追いかけているから、魔獣は方向転換できずに前に進むしかない。
逃げ場を封じられた魔獣は、――あっ!?
――ドォオオオオオン!
目の前の木に正面からぶつかって、魔獣はよろめいた。衝突された木が木端微塵に折れかけているところが、イノシシの突進力の凄まじさを物語っている。
う、うわぁ……あんなに威力があるのか。みんな、すごいのと戦っているんだな。
後方で驚くしかない俺だ。俺だったら……あんなに飛びかかっていけるか分からない。
「すまないが、死んでもらうぞ」
ムーシュさんが僅かに痛みを堪えるような表情を浮かべ、剣で魔獣の心臓部を力強く突き刺した。ぴゅっと鮮血が噴き出し、みんなに返り血が飛ぶ。
ぴくりとも動かなくなった魔獣。おそらく死んだからだろう、周りに黒いモヤのようなものが漂い始めた。
魔だ。早く浄化しないと!
俺はすぐさま前に進み出て、手をかざして魔祓いの力を解き放つ。
すると、黒いモヤ――『魔』は消滅した。これで魔祓いは終わりだ。しばらくこの辺りで魔獣が発生する可能性は低いだろう。
「終わったか、サーナ」
「うん。ムーシュさんたちも……お疲れ様」
無害だったはずのイノシシが、死んでしまった。
俺は何とも言えない気持ちで胸を痛めつつも、表向きは笑顔でムーシュさんに応える。ズボンのポケットからハンカチを取り出して、ムーシュさんの顏に付着した鮮血を拭った。
ムーシュさんは驚いた顔をしたものの、黙ってされるままでいる。
後ろでディトラさんが茶化すように「ひゅー」と口笛を吹いた。クロイツさんがすぐ、「バカ、やめろ」とディトラさんの頭をぺしりと叩いたから、やめたけど。
俺は気恥ずかしくなって頬を赤らめた。俯くと、ムーシュさんが「だから、いい加減にしろ」と一喝する。本人もちょっと顔を赤くしながら。
「はぁ……。それよりも、お前たちは大丈夫か?」
「「「はい」」」
「サーナとクロイツは?」
「大丈夫だよ」
「問題ありません」
みんなの無事を確認したムーシュさんは「よし」と一つ頷き、イノシシを振り返った。
「このイノシシを埋葬しよう。手伝ってほしい」
「!」
ちゃんと弔うんだ、ムーシュさんは。
俺は驚きに目を見開いた。……今まで出会った騎士で、わざわざ埋葬する人なんていなかったから。俺だって遺体に手を合わせることはあっても、埋葬しようとまで言い出したことはなかった。
やっぱり、優しい人なんだな。ムーシュさんって。
騎士のみんなもやれやれと言いたげな顔をしつつも、優しい表情を浮かべながら頷いた。
「「「「はい」」」」




