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第一話②



 国境には、一ヶ月ほどで着いた。路銀は教皇が前払いしていたらしく、代金はいらないと言われた。少しはまともなところもある奴だったみたいだ。


「身分証は?」

「これです」


 国境の門のところで、ノルディーナ王国内で使用していた身分証を兵士に見せる。すんなりと通らせてもらえるかと思ったのに、兵士は顔をしかめた。


「こちら、有効期限が切れていますよ」

「え?」

「ほら。先月末で無効になっています。新しく発行してもらわないと、お通しできません」

「ええ!?」


 俺は身分証のカードを見つめた。確かに期限が切れている。気付かなかった。

 どうしよう。馬車はもう去ってしまった。ここで馬車の手配をしてもらうにしても、王都までの路銀を支払う余裕はない。

 となると、徒歩で王都まで歩くしかないが……途方もない距離だ。一体、何日かかるのか。飲食物に困って餓死してしまう。

 困惑し、突っ立ったままでいると。門の向こう側から見知らぬ誰かが静かにやってきた。


「困っているようだな」


 低いがよく通る声。俺ははっとして顔を上げる。

 気付いたら、兵士の隣に……美しい容貌を持った黒髪の青年が立っていた。年は二十歳くらいかな。見慣れない騎士服を着ている。ルミルカ王国の騎士なのかもしれない。


「君。名前と国籍は?」

「えっと、サーナ・ベルガ。ノルディーナ王国出身です」


 俺がそう答えると、美青年ははっとした顔をした。


「君がサーナか。聖イチア教団の……元・聖帝の」

「え? ご存知なんですか」

「もちろん。教皇猊下から追放されたのだろう。個人的な伝手で聞き及んでいる」


 個人的な伝手、とは。人脈の広い人なんだろうか。

 不思議に思っていると、美青年は身を翻した。


「君に話がある。ついてきてほしい」


 その言葉に慌てたのは、兵士だ。


「あの、ムーシュ殿下っ。こちらの方は身分証が無効になっておりまして……」

「問題ない。俺が身元を保証する。通せ」

「う……わ、かりました」


 ムーシュという名の美青年に命じられ、兵士は渋々と俺のことを通す。

 前に進んだ俺は国境線を越えて、青年――ムーシュ殿下のあとを追いかけた。殿下呼びされているということは、もしかしてルミルカ王国の王族なのか? この人。

 でも、どうして俺の身元を保証してくれたんだろう。ありがたくはあるけれど。


「あの、ムーシュ殿下。助けていただいてありがとうございます」

「いや。気にしなくていい。君に用があったから声をかけただけだ」


 素っ気なく応えるムーシュ殿下に、俺は首を傾げる。


「俺に? どのようなご用なんでしょうか?」

「俺と白い結婚をしてもらえないか」

「へ?」


 白い結婚。

 なんだっけ、と俺は思考を巡らせる。えっと、確か……お互いに気持ちがないまま、夜の生活をしないことを条件に表向きだけ夫夫になることだ。つまり、偽装結婚。

 意味が分からなかった。もう一般市民である俺と偽装結婚して何になるんだ。


「どういうことですか」

「君の魔祓いの能力が欲しい。だが、ルミルカ王国では異国出身の騎士は許されていない。だから、俺の伴侶として、魔獣討伐の任務を手伝ってほしいんだ」


 俺は目を瞬かせた。なるほど、と思う。要は、俺の『元・聖帝』としての高い能力を欲しているわけか。

 でも、偽装結婚なんて……。結婚するなら好きな人としたいし、仕事だってもっと別のことをしてみたい。だいたい、なんなんだこの不躾な求婚は。

 ……と思ったものの、考える。ここでムーシュ殿下と白い結婚をすれば、慣れない異国でしばらく身を寄せる先ができる。


「そのお話、賃金は?」

「もちろん、ある。月額十万ガルド支払おう」


 月に十万ガルド。そのお金を貯金すれば、いずれ一人で生きていくための貯蓄費用に十分なる。

 俺は迷わなかった。


「分かりました。一年の期限付きでもいいなら、お引き受けします」

「一年? なぜ」

「俺だって結婚は愛する人としたいですし、経済的にも自立したいんです。ダメですか」


 ムーシュ殿下はしばし考えるそぶりを見せたが、しつこくしても逆効果だと思ったのか。諦めたように息をついた。


「……分かった。一年間だけでもありがたい。提案を呑もう」


 これで取引は成立だ。

 俺はほっと息をついた。まさか、初婚が白い結婚になるだなんて思っていなかったけど……仕方ない。身を寄せる先を確保できたら、しばらく安心して暮らせるんだ。ルミルカ王国での暮らしに早く慣れ、独り立ちできるようにならなくては。


「では、俺の家に案内する。向こうに馬車を停めてあるから、行こう」

「はい」


 それまで通り敬語で応えると、ムーシュ殿下は無表情のまま言った。


「タメ口でもいい」

「え? でも、王族の方なんですよね?」

「そうだが、これから夫夫になるんだ。敬語で話していたら、不審に思われてしまうだろう」

「あ、なるほど」


 俺は一つ頷いて、「じゃあ、ムーシュさん」と呼び方を改める。ムーシュさんは「なんだ」と短く応え、俺を見やる。


「これから一年よろしく」


 にこりと笑ったけど、ムーシュさんの憮然とした表情は変わらない。


「こちらこそ」


 ただ一言、そう応えた。





 ――魔祓い。文字通り魔を祓う能力のことだ。

 この世界には、人々の負の思念から生まれる『魔』という概念が存在する。『魔』は主に野生動物に憑りつくことが多く、『魔』に憑依された状態の野生動物のことを魔獣と呼ぶ。

 聖イチア教団は主にその魔獣退治を任務としていた。だから聖帝であった俺も、もちろん魔祓いの能力を持っている。

 この能力の保有者は少ない。教皇だって持っていなかった。そういえば……今頃、あっちでは新しい聖帝が誕生しているのかな。

 馬車の中で、一人考え事をしていたら。


「ところで、サーナ」

「あ、はい」


 うっかり敬語口調でムーシュさんに応えてしまい、俺は慌てて「なに?」と聞き返す。いけない、ぼんやりとしていた。


「教皇猊下は……君が自分と不倫しようとした男だと言っていたそうだが。本当のことなのか?」

「……違うよ。あいつのでっち上げだ」

「というと?」

「誘ってきたのは、教皇の方なんだよ。それを断ったら……こんなことになった」

「そう、なのか……。大変だったな」


 あまりにもあっさりと理解してもらえて、俺は意外に思った。信じてくれるのか。


「……俺が腹いせに噓をついてるとは思わないのか」

「君の表情から嘘をついているように見えないし、なんとなく嘘ではないかと思っていたから。だいたい、十八歳の若者があの小太りの五十路男に色目を使うとは思えない」


 小太りの五十路男。俺は「ぷっ」と吹き出した。その通りだ。なんであんな不潔そうな男に抱かれたいと思われないといけないのか。

 失礼かもしれないが、少なくとも俺にとっては完全に恋愛対象外の人だったのに。


「ふっ、あはは! はっきりと言うんだな」

「親子ほどの年の差があるのに、疑わない方がおかしい」

「そうだよな。ちょっとスカッとしたよ。本当にありがとう」


 今、思い出しても腹立たしい面があるが、溜飲が下がった。これもムーシュさんの率直な言葉のおかげだ。

 これから始まる異国生活、そして偽装結婚生活。

 ムーシュさんとなら、穏やかに過ごせそうだ。



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