第六話①
翌日。
「わぁ、おいしそう!」
運ばれてきたパエリアを見て、俺は目を輝かせた。
アサリや海老がふんだんに使われている、パエリアだ。米粒の色は鮮やかな黄色をしている。
「こういったパエリアが、ルミルカではスタンダードなんだ」
俺の向かい側の席に座っているムーシュさんが、穏やかな笑みを浮かべながら言う。
「そうなんだ。じゃあ、昨日モカさんが作ったものは?」
「ああいったパエリアは、どちらかというと家庭料理で作られることが多い。魚介類は高価だし、あまり市場で売られていないものだから」
「なるほど」
確かにノルディーナ王国でも、新鮮な魚介類はお目にかかることすら滅多にない高級食品だった。なにせ、漁港から内陸の街まで輸送するとなると腐ってしまう。だからそもそも市場に生食のまま出回らないんだ。
「あれ? じゃあ、ここのお会計……」
「心配しなくていい。先日の任務に同行してくれたお礼でもあるから。気にせず、たくさん食べてほしい」
「あ、ありがとう。じゃあ遠慮なくいただきます」
せっかくの心遣い。頑なに拒否しても失礼だろうから、俺はぎこちなく笑顔を浮かべてパエリアを口元まで運ぶ。
「ん、おいしい!」
控えめな塩味が口の中に広がる。優しい味わいだ。
おいしいものを食べられた幸せで破願すると、ムーシュさんも嬉しそうに笑った。
「よかった。ここの店は、昔から俺も気に入っているんだ」
「よく食べにくるのか?」
「騎士になってからはそうでもないが、昔はお忍びでよく食べにきていた」
「そうなんだ」
そういえば、料理を運んできてくれた人が、ムーシュさんの顏を覚えているみたいだったな。気にしていなかったけど、常連客だったってことなんだ。
俺は食器をテーブルクロスの上に静かに置いた。そっと目を伏せ、お皿から少し抉られたパエリアを見つめる。
「ムーシュさんって……やっぱり王族なんだな」
「え?」
「俺とは住む世界が違う人っていう感じがする。俺は……ムーシュさんには分不相応な男だよ」
「サーナ……」
ムーシュさんは、テーブルクロスの上でぐっと拳を握った。
「そんなことはない。俺だって別に大層な人間じゃない。ただの一市民だ」
「王子だろ」
「そうかもしれない。だが、心はルミルカの民と同じつもりで生きている」
「!」
俺ははっとする。ムーシュさんは、苦笑いで付け加えた。
「俺のことを美化しすぎだし、持ち上げすぎだ。俺だって……好きな相手にはただ傍にいてほしいと思う、普通の人間だよ」
「……」
俺は恥じ入るように俯く。そうか。そうだよな。王族であろうと、一人の人間であることに変わりはない。
それなのに、俺は……。
「……ごめん。勝手に決めつけていた王族のイメージで、勝手に距離を置こうとして」
ムーシュさんは、ムーシュさんだ。王族であろうと、住む世界が違うわけじゃない。同じ世界で、同じ空気を吸って、一緒に生きている。
何を卑屈になっていたんだ、俺。
「俺も、ムーシュさんみたいな誇りに思えるような大人になる。ムーシュさんの隣で、胸を張って生きられるような」
顔を上げ、ムーシュさんの驚きに目を見張っている目を真っ直ぐに見つめながら、力強く宣言する。
「そうなれた時にこの間の告白の返事をさせてほしい。……待っていてもらえますか?」
おずおずと訊ねると、ムーシュさんはふわりと微笑む。
「分かった。待つよ。サーナのためなら、いつまでも」
「ありがとう……!」
「さぁ、食べよう。料理が冷めてしまう」
「うん」
パエリアを再び食べようと、食器を手に持った時だ。カタカタと音を立てて食器が震え始めた。
「ん? なんだ?」
不思議に思って窓の外を見ると、街の外れの方に砂埃が舞い上がっているのが見える。――って、ハリケーンか何かか!?
ムーシュさんも気付いたようで、表情を引き締めた。ナプキンで口元を拭ってから、急いで席を立つ。
「様子を見てくる。サーナはここにいてくれ」
「俺も行くよ!」
俺も慌てて椅子から立ち上がり、ムーシュさんのあとに続く。ムーシュさんは困った顔をしつつも、「俺の傍から離れないでくれ」と言うだけだった。
お店の外の出ると、砂塵が舞がっている方角から、人々が逃げ惑っている。我先にと前に進もうとして、中には押し倒される人もいるほど、大混乱だった。
「サーナ。やはり、君はここに……」
後ろにいる俺を振り向くムーシュさん。
「待って。ムーシュさん」
「どうした」
「――悪魔の気配がする」
「悪魔!?」
――悪魔。
それは『魔』が寄り集まって自我を持った存在のこと。生き物に憑りつき、その憑依対象の人生を奪う最低最悪の存在だ。
「これは、悪魔による暴動かもしれない。だから、俺も行く」
「……分かった。一緒に行こう」
俺たちは頷き合い、流れ進む人々とは真逆の方向へ駆け出した。
「いた! あそこだ!」
なぜか、一頭だけぽつんと木の下にいる牛を見つけ、俺は『その魔獣』を指差す。
市街地を抜け、街外れまでこの魔獣を追いかけてきた俺たち。俺の隣にいるムーシュさんは即座に剣を抜いた。
俺たちの姿に気付いた魔獣は、挑発的な目でムーシュさんを睨み、凄まじい勢いで突進してくる。牛の突進力だって半端ないわけで、俺は少し怯んだ。
「ム、ムーシュさん……」
「大丈夫だ。約束しただろう。――サーナのことは俺が守ると」
剣を構え、魔獣めがけて駆けていくムーシュさん。
――ガンッ!
魔獣の突進をひらりと避け、魔獣の首を容赦なく斬り落とす。切断口から鮮血が噴き出し、文字通り血の雨が降った。
悪魔はあの牛の遺体から出てくるはず。その瞬間を待って、魔祓いするしかない。
前に進み出ようとした俺の目の前で、え? ムーシュさんが突然、苦しそうに顔を歪めて呻き始めた。
「うっ……」
「ムーシュさん!」
「くる、な……サーナ……」
途切れ途切れに、けれど必死に拒否するムーシュさん。
俺は構わず近付こうとしたけど、ムーシュさんの方が後ろによろめきながら一歩下がる。
「どうしたんだよ、ムーシュさん」
「――そいつにそれ以上近付くな!」
鋭い声が空に響く。俺はびくりと体を震わせ、声がした方向を振り向いた。
そこにいたのは、ムーシュさんと同じ髪色をした美青年だ。上品な装いから、身分が高い人だと一目で分かる。




