第五話②
タウンハウスの中に入ってすぐ、自室に戻った。モカさんの言う通り、寝具が整えられてあったので、俺はベッドに横たわる。
「ふぅ、疲れた……」
一週間ほどの遠出。思ったよりも体が疲れている。魔獣退治のあとから、まだあまり疲れが抜けていない。
――それにしても。
俺はベッドの上で、胸元にある水晶のペンダントをぎゅっと握った。疲れてぼんやりと遠くを見ながら、ムーシュさんとの未来を考える。
『なら、ずっと俺の伴侶でいたらいい』
ムーシュさんから……きっと、本気で申し込まれた結婚。
「どうしたらいいんだろう……」
俺はぽつりと呟き、目を閉じた……。
一休みした後、五時過ぎには一階の厨房に下りた。するとそこには、ちょうど橙色のエプロンを身に着けている最中のモカさんがいた。
「モカさん。俺も作るよ」
「サーナ様。まだお部屋で休まれていてもいいんですよ?」
「ううん。俺も作りたい。ちゃんと休んだから」
「そう、ですか? では、一緒に作りましょうか」
俺もエプロンを身に着ける。俺の方は、青いチェックのエプロンを。
モカさんと流し台に立ち、まずは手を洗う。
至っていつも通りに振る舞っているつもりだったけど、ぼんやりとしているように見えたのかな。モカさんが気遣わしげに俺を見た。
「サーナ様。まだお疲れなのではないですか?」
「え? そんなことないけど……」
「ですが、心ここにあらずといった気がします」
「えっと……」
バレたか。実は……ムーシュさんのことが頭から離れないんだよ。
俺は誤魔化すように笑った。
「いや、本当に大丈夫だって」
「では、何かお悩み事があるのでは?」
じーっと俺のことを見つめるモカさん。話してほしいという無言の威圧を感じる。
俺は「うっ」となった。どうしよう。モカさんになら……話してもいいかもしれない。俺としてもこのまま一人で悩みを抱えきれない。
「……うん。実はそう。ムーシュさんのことでちょっと悩んでいて」
「ムーシュ様が何かされたのですか? まさか、――サーナ様に告白なされたとか?」
「!」
鋭い観察眼に俺は舌を巻く。マジか。なぜ分かったんだ。
「わ、分かるのか? ムーシュさんが俺のことを好きだって」
「はい。お帰りになってきてから、サーナ様のことを見る眼差しがとてもお優しいので。何かあったのだとは気付いていました」
「そうだったんだ……さすが、モカさん」
俺は自分のことで頭がいっぱいで、現実のムーシュさんのことをよく見ていなかった。そういう風に今は俺のことを見てくれているんだな。
ちょっと……嬉しいかも。戸惑いもあるけど。
俺は蛇口を捻って水を止め、タオルで濡れた手を拭く。ぽつぽつと続けた。
「俺、ムーシュさんのことをどう思っているのか分からないんだ。人としてはもちろん尊敬しているけど、一人の男性として好きかどうか分からない」
「……」
「こんなあやふやな気持ちのまま、告白を受け入れるわけにはいかないし……かといって、曖昧に断わったらそれはそれで後悔しそうで。俺、どうしたらいいのかなって」
「……なるほど。そういったことで悩まれていたんですね」
モカさんは優しく相槌を打つ。
「サーナ様は、とても誠実な方ですね」
「え? 俺が?」
「はい。このまま告白を受け入れてムーシュ様に甘えてもいいのに……それをしない。素敵な方だなと思います。サーナ様がムーシュ様の旦那様になられてよかった。たとえ、一時的なものであったとしても」
「……俺はそんな大した人間じゃないよ」
白い結婚は、結局身の保身から承諾したものだ。確かにいつまでも甘えるつもりはなかったものの、ムーシュさんに都合よく頼っていることは事実。
俺はそっと恥じ入るように目を伏せる。
「ムーシュさんみたいないい人に、俺は……ふさわしくないよ」
自信なさげに呟くと、モカさんはびっくりした顔をして「ふさわしいに決まっていますっ」と強く否定した。
「サーナ様は優しく思いやりのあって、けれど控えめな方です。他の高慢な王侯貴族とは違う。ムーシュ様の伴侶として十分すぎるくらい、しっかりとされていて素敵な方ですよ」
「モカさん……」
「自信をお持ちになって下さい。……すぐには答えは出ないかもしれませんが、大丈夫です。ムーシュ様なら返答があるまで待っていて下さいますよ」
にこりと微笑むモカさんの言葉に、俺はほっとした。そうか……そうだよな。ムーシュさんはそういう人だ。
「ありがとう。もっとゆっくりこの悩みに向き合って答えを出すよ」
「はい!」
モカさんはどことなく嬉しそうに笑っていた。
「――ん、おいしい」
ムーシュさんが鶏肉たっぷりのパエリアを口に運び、口元を綻ばせる。
その日の夕食の席で、俺とムーシュさんは食卓を挟んで座っていた。パエリアと野菜スープ、そして新鮮なサラダがテーブルに置かれている。
モカさんはもういない。夕食作りを終えてすぐ、帰った。
「おいしいよ。ありがとう、サーナ」
「う、ううん。俺はモカさんのお手伝いをしただけだから」
俺はぎこちなく曖昧に笑う。
パエリアなんて高級食、貧民街育ちの俺は食べたことがなかった。だから作り方も分かるはずがなく、今日担当したのは野菜スープだけだ。
「俺がメインで作ったのは、野菜スープ。……パエリアなんて初めて食べた」
「……そう、か」
一瞬、沈黙するムーシュさん。貧民街育ちの俺に気を遣ったんだろう。
「では、これからたくさん一緒に食べよう」
ふわりと微笑むムーシュに、俺の胸がどきりと高鳴る。本当に優しく笑う人だ。
「うん! ありがとう」
「野菜スープもおいしいよ。疲れていただろうにありがとう」
「一休みした後だったから平気だよ。ムーシュさんもゆっくり休めた?」
「ああ。俺も一休みしてすぐ、報告書をまとめていた」
「休日なのにお疲れ様」
「それはサーナも一緒だろう。家事だって立派な仕事なんだから」
俺たちは笑顔でお互いに労い合う。
家事も立派な仕事、か。そう言ってもらえると嬉しいな。
「俺は手伝うことができず、すまない。騎士学校時代に料理についても学んだのだが……不得手でな。今までもモカに任せきりだったせいで、腕が上がらなかった。これからはなるべく協力するよ」
「え、そんな! 俺はムーシュさんに養ってもらっている身だから……」
「俺と君は対等だ。それにこれは俺が好きでしたいことなんだ」
「?」
不思議に思う俺を、ムーシュさんは穏やかな眼差しで見る。
「サーナの負担を少しでも減らしたい。サーナはいつも全力で頑張ってくれているし、サーナの支えになりたいから」
「ムーシュさん……」
いい人すぎる。こんなに優しい人、これまで出会ったことがない。
ムーシュさんのことを好きになれたら……。
「ありがとう。ムーシュさん」
俺は努めて笑顔を浮かべる。ムーシュさんは嬉しそうに小さく笑い、意を決したように口を開いた。
「ところでサーナ。明日、デートしないか」
「え?」
驚く俺に、ムーシュさんは柔らかく微笑みながら続ける。
「昼食にパエリアを食べに行こう。おいしいお店を知っているから」
「う、うん!」
さっきの俺の言葉をしっかり受け止めてくれていたんだな。
ムーシュさんとデート。ちょっと……いや、すごく楽しみだ。
俺は自然と心からの笑顔を浮かべていた。




