4章 真実
――あの日の記憶を、ずっと避けてきた。
荒道大悟は薄暗い取調室で、静かに目を閉じる。
人格たちの反乱は限界に近づき、頭の奥が割れそうだった。
「大悟……お前、もう限界だろ」
向かいで腕を組む碇陸斗の声は、低く静かだった。
だが、その眼差しは鋭く大悟の嘘を追っている。
「お前の“人格”たちは、ひとつだけ絶対に触れない場所がある。
それが事件の核心だ。違うか?」
大悟は答えない。
唇が震え、喉が上下する。
陸斗は机に置いたファイルを、指一本で押し出した。
「被害者の男。お前と“ある人物”を通じて繋がっていた。
――荒道、大悟。お前は一体、誰を守っている?」
その言葉は、まるで心臓に刃を突き立てるように痛かった。
守っている?
違う。
本当は――隠しているのだ。
大悟が、誰よりも恐れている“本当の自分”を。
頭の奥で、人の声がした。
『言えよ、もう限界だろ』
修二の荒い声。
ミナトのすすり泣く声。
清人の静かな諭す声。
どの声も、大悟自身のものだ。
自分で作り上げた“役”の声。
――そうだ。
最初から、多重人格なんて存在しない。
大悟は目を開けた。
取調室の空気が、急に冷たくなる。
「陸斗さん……」
声が震えた。それは演技ではない。
「本当は……ぼくは……」
陸斗が身を乗り出した、その瞬間。
扉が勢いよく開き、道下京平が飛び込んできた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ陸斗さん!!
大悟は悪くない!!」
「道下、お前――勝手に入るな!」
「聞いてくれ! 俺、思い出したんだ……あの日のことを……」
道下は荒い息を吐きながら、大悟の横に立った。
その顔は青ざめ、汗が滴っていた。
「大悟……お前さ……『あの時の俺』の言葉……覚えてるか?」
大悟の胸が痛む。
忘れたかった言葉。
忘れたかった“命令”。
「……覚えて、るよ」
道下は震える声で続ける。
「あの日……俺……
“こいつを殺してくれ”って……言ったよな」
陸斗の目が見開かれた。
「道下。お前、今なんと言った?」
「俺だ! 俺が……大悟に殺させた!
俺は事件に巻き込まれてて……あいつに脅されてて……
大悟に頼むしかなかったんだよ!」
道下の告白は必死で、苦しげで、しかしどこか歪だった。
大悟は唇を噛みしめ、震える声を絞り出した。
「違うよ……京平……
あれは――ぼくの“人格”が聞いたことになってるんだよ」
「え?」
「京平。あの日、ぼくは……
“多重人格のふりをしてる”って言えなかったんだ」
取調室の空気が、完全に凍りついた。
「ぼくは、ずっと前から……演じてたんだ。
お母さんを守るために」
美紅が抱えていた“過去の事件”。
その現場を幼い大悟が目撃した。
恐怖で倒れた自分を見た母が震えて謝る姿に――
大悟はとっさに言ってしまった。
『記憶が……ない……ぼくじゃない……誰かが……』
その一言が、美紅を守り、同時に大悟の人生を決定づけた。
「だから、人格を作った。
“本当の自分”を隠すための……仮面を」
修二も、ミナトも、清人も――
全ては、大悟が自分を守るための“嘘”。
でも、その嘘が壊れた日がある。
「あの日……京平が助けを求めた時……
ぼくは、もう後戻りできなかった」
『こいつを殺してくれ』
その言葉に、大悟は答えてしまった。
『……いいよ。ぼくじゃない“誰か”がやるから』
そして――本当に実行してしまった。
取調室は息を呑んだような静寂に包まれた。
陸斗はゆっくりと口を開く。
「大悟……お前はなぜ今まで言わなかった」
「言えるわけ、ないよ……
言ったら、母さんが……京平が……全部壊れる……」
声は震えていたが、もう人格の切り替わりは起きなかった。
そこにいるのはただの“大悟本人”。
人格の反乱は――真相を守るための最後の足掻きだった。
陸斗は目を伏せ、深く息を吐く。
「……荒道大悟。
お前は多重人格では“なかった”。
そして、殺人を犯したのは――“お前自身”だ」
だが、と陸斗は続ける。
「その判断能力が正常だったかどうかは、別の話だ」
その言葉は、裁判へ続く道を示していた。
大悟は力が抜け、椅子に座り込んだ。
「……ごめん、京平」
「……俺こそ、ごめん」
2人は視線を合わせられなかった。
それは互いに背負った罪の重さを、誰より理解していたからだ。
“心”の反乱は終わった。
だが、その後に残ったのは――
あまりにも静かで、冷たい現実。
そして翌日、裁判が始まる。




