3章 反乱
取調室の空気が、いつもより重かった。
蛍光灯の白い光が、荒道大悟の俯いた顔だけを妙に浮かび上がらせる。
「荒道、大悟。今日は――他の“人格”にも来てもらう」
碇陸斗は分厚いファイルを机の上に置いた。
机が小さく軋む。大悟はその音にビクリと肩を震わせた。
「……ぼく、じゃないです。ぼくは、ぼくで……」
次の瞬間、大悟の呼吸が変わる。
目線が上がり、険しい笑みに変わった。
「チッ。何度も同じこと聞きやがって。オレは知らねぇって言ってんだろ?」
暴力的な人格《修二》が顔を出した。
陸斗は眉一つ動かさず、低く言う。
「修二。被害者に接触した記録があるのは、お前だけだ。なぜ逃げた?」
「“逃げた”んじゃねぇ。“あいつ”が逃げろって言ったんだよ」
あいつ。
取調室には、一瞬、冷たい沈黙が走った。
「その“あいつ”ってのは誰なんだ?」
「さあな。オレはただ言われた通り動いただけだ」
修二はニヤリと笑い、突然ガタンと椅子を倒して立ち上がった。
陸斗が身構えた瞬間――大悟の表情がまた崩れ、子どものように泣き出す。
「こ、こわい……こわいよ……! もう、やだよ……!」
幼児人格ミナト。
机の下に潜り込もうとした大悟を、刑事二人が押さえつけた。
「大悟、落ち着け。ここは安全だ」
「ちがう……ちがうの……“にいちゃん”が怒ってる……!」
「兄? 大悟、お前に兄はいないだろ」
「いるの……ここに……ずっと怒ってる……!」
ミナトは自分の胸を指差す。
その言葉は、陸斗の胸に黒い疑念を落とした。
――人格の中に、さらに階層があるのか?
――それとも、誰か実在の人間が…?
不安定な泣き声が取調室に響く中、突然、声が変わった。
「……すみません、取り乱しました」
静かで落ち着いた青年の声。
倫理人格《清人》が姿を現した。
「陸斗さん。ぼくは協力したい。でも……」
「でも?」
「“あの人”が邪魔をする。ぼくらは、大悟くんの中で一斉に騒ぎ始めている」
「騒ぎ?」
「ええ。まるで……何かを守るように」
清人の言葉は確かに理性的だったが、内容は不穏だった。
人格たちが互いに牽制し合い、暴走し、逃げ、協力しようとし――
それは、まるで大悟の内部で“戦争”でも起きているかのようだった。
その日の夜、大悟は拘置室で激しく暴れた。
布団を引き裂き、壁を叩き、そして突然、独りで会話を始める。
「だから言っただろ! オレはやってねぇって!」
「うそつき……うそつき……みんな嘘つき……!」
「黙れ!! お前が本当のことを言えば済むんだ!」
「ああもう……やめてくれ……ぼくを巻き込まないで……!」
四つの声が、ほとんど同時に、異なる方向へ飛び交っているように聞こえる。
監視カメラの前で、人格たちが互いに押し合い、叫び、殴り合うように見えた。
――反乱だ。
彼の内側で、何かが崩れ落ちようとしていた。
その乱れはやがて外部にも表れ、道下京平が面会すると、大悟はいきなり首を掴んだ。
「お前だろ。あいつを連れてきたのは」
「お、おい……大悟、落ち着けって……!」
だがすぐに手を離し、次の瞬間泣き出す。
「ごめん……ぼくじゃ、ないの……ぼくじゃ……」
その異常な切り替わりは、道下にも理解不能だった。
だが道下は、ある瞬間だけ、大悟の目に“演技のような微かな意志”を感じた。
絶望、恐怖、不安定――その中に、ほんの小さな“計算”があった。
――そんなはずはない。
道下はその考えを振り払った。
だが、胸に刺さった違和感だけは消えなかった。
そして、翌朝。
人格《修二》が取調室の壁に拳を叩きつけて言った。
「いい加減、全部しゃべれよ……“大悟”」
それは人格が人格に向けて放たれた言葉ではなかった。
陸斗はすかさず声を荒げた。
「今のはどういう意味だ?」
だが修二は口元を歪め、違う声色で笑った。
「さぁ……誰の声だと思います?」
人格たちは暴走し、一部は協力し、一部は逃走を企てていた。
だがその混乱の中心には、必ずひとつだけ“空白”があった。
“最も触れられたくない中心”――
その正体は、まだ誰にも分からない。
ただ、大悟の内部での反乱は、確実に頂点へ向かっていた。




