1章 尋問
荒道大悟の取調べは、翌日も続いた。
取調室の空気は乾いた紙のように軽く、しかしわずかな緊張が張りつめている。
碇陸斗は記録を整理しながら、椅子に座り直した。
「荒道大悟。昨日は三つの人格と話したが……今日は“君”自身と話したい」
大悟は視線を上げる。眠れなかったのか、目の下には薄い隈ができていた。
「……僕が、答えられるなら」
声は静かだが、どこか怯えを含んでいる。
陸斗はその怯えの“質”が引っかかっていた。
恐怖というより、何かを演じるときの間に近い。
「事件当日、君はどこにいた?」
「……家にいました。母さんが夜勤だったので、一人で」
「誰かと会ってはいないと?」
「はい……」
その瞬間、大悟のまぶたがぴくりと跳ねた。
――切り替わる。
陸斗は動じず、次の一言を待った。
「いや、違う。俺は……外にいた」
声が変わる。暴力的な人格だ。
椅子に背を預け、片肘をつきながら大悟は嘲るように笑う。
「外を歩いてただけだ。誰も殺してねぇよ」
「君たちの証言がバラバラなんだ。だから困る」
「知るかよ。勝手に俺と他を一緒にするな」
鼻で笑うような吐息。
しかし陸斗は気付いていた。
昨日よりも流暢だ。人格の違いを“作る”技術が上達している。
陸斗はペンを置いた。
「……人格が増えてはいないか?」
大悟の肩が硬直した。
「増えてねぇよ」
声は怒鳴るようなのに、その震えは――演技の震えに近い。
陸斗はそれ以上追及せず、淡々と締めた。
「今日はここまでだ。次は“外部”の話を聞く」
大悟は首を傾げた。
「……外部?」
「道下京平と言う青年だ。君の友人だろう?」
大悟の表情に、ほんの一瞬だけ“素の表情”が浮かんだ。
それが陸斗には、妙に純度の高い驚きに見えた。
(道下の名前で、ここまで動揺するのか……?)
大悟は、すぐにいつものおどけた弱さへ戻った。
「……会わせてくれるんですか?」
その声は、なぜか“安心”が混ざっていた。
面会室の仕切りガラス越し。
道下京平は、落ち着きのない視線で大悟を見つめていた。
「大悟……大丈夫かよ」
「うん。僕はね、まあ……いろいろあるけど」
そう言った瞬間、声質がさっと変わった。
「おい。俺だよ。久しぶりだな、京平」
道下は眉をひそめた。
「あー、暴力系のやつか? いや、お前じゃねぇよ、呼んだのは」
「違ぇのかよ。だったら幼児か?」
「いや、それも違う」
道下は苦笑する。
ほんの一瞬、大悟の表情に別の陰が差した。
(……どの人格も、呼んでねぇ?)
陸斗がモニター越しに固唾を飲む。
道下の“いつもの距離感”が、人格たちの存在を肯定する何よりの証拠だと思っていた。
だが――今のやり取りは違う。
人格たちが呼ばれていないのに、
大悟の側から勝手に出てきている。
道下はガラスに近寄り、小声でつぶやいた。
「なあ、大悟。最近“あいつ”出てきてるか?」
「……“あいつ”? 誰のこと?」
大悟が問い返した瞬間、道下は息を止めた。
(大悟が……知らない?)
「いや、なんでもねぇよ。忘れてくれ」
道下はわざと軽く笑って終わらせたが、
モニター室にいた陸斗には分かった。
大悟の“知らない人格”がいる。
それを道下は知っている。
だが本人は知らない。
「道下君。君、何か知っているな?」
取調室に戻された道下は、陸斗の問いに沈黙を返した。
そして深く息を吐く。
「……大悟の中には、言ってねぇ人格がいるんすよ。
たぶん……大悟自身すら気付いてないやつが」
「それは、暴走の可能性があるものか?」
道下は頷いた。
「はい。俺は一回しか会ってねぇ。でも……あれは危ない」
陸斗は背筋を伸ばす。
(本人も知らない人格……?)
本物の多重人格なのか、全てが“演技”なのか。
両極端の可能性が並んでしまい、判断が難しくなっていく。
夜。
大悟は独房の中で膝を抱えていた。
独房は静かで、薄暗く、冷たい。
「……誰かいる?」
ぽつりとつぶやく。
返事はない。
数秒後、低い声が返る。
「ここにいるに決まってんだろ」
暴力的人格。
続いて、幼児的な声。
「ボクも、いるよ〜……」
そして倫理的な人格。
「大悟、落ち着いて。今は考えるべきではない」
大悟は眉をひそめた。
――いつもは、呼ばなければ出てこないのに。
「ねえ、どうして勝手に話すの?」
静寂。
暴力的な人格が言った。
「勝手に? お前が呼んだんだろ」
「呼んでないよ」
「……嘘つくなよ、“大悟”」
幼児的な人格もつぶやく。
「ねぇ……きみ、ほんとに大悟?」
倫理的な人格が囁く。
「あなたは今、どの“自分”ですか?」
返答できなかった。
胸の奥で、なにかが軋む。
“なぜ君たちは、僕が呼んでいないのに話すんだ?”
“なぜ、僕が知らない反応を返すんだ?”
“なぜ――僕の中の君たちが、僕を疑うんだ?”
独房の闇が深くなる。
その時、大悟は初めて気づく。
自分が演じ続けてきた“多重人格”の嘘が、
自分の知らないところで動き始めていることを。
そしてそれが、
自分自身を追い詰め始めているということに。




