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マイクロフト ―ディオゲネス・クラブに雨は降る―  作者: 双瞳猫


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第11章:灰色の謁見(5) ― 黒い決意 ―

いつも応援ありがとうございます!双瞳猫です。

本作をお読みいただき、誠にありがとうございます。

 クレイトン公爵は、ソファに崩れ落ちた。だが、その顔に浮かんでいたのは、単なる絶望ではなかった。わなわなと震える唇、血の気の引いた顔に浮かぶ二つの赤い斑点。そして、その瞳の奥深くで、消えかけたプライドの残り火が、憎悪という油を注がれて、再び醜く燃え上がっていた。


 スコットランドでの終身禁固。それは、彼にとって死よりも耐え難い屈辱だった。歴史から名を消され、世間から忘れ去られ、ただ生かされるだけの存在になる。このクレイトン公爵が、ただの老いぼれとして、マイクロフト・ホームズという若造の監視下で朽ち果てていく。その未来を想像した瞬間、彼の心は決まったのだ。


 私は、彼のその危険な変化を見逃さなかった。彼は、私の提示した「慈悲」を受け入れはしないだろう。この種の人間は、破滅するとしても、ただでは死なない。必ずや、相手の喉笛に食らいつこうとするものだ。それでいい。それすらも、私の計算の内だ。


「賢明な選択を、期待していますよ、閣下」


 私は、あえて静かな声でそう告げ、彼に背を向けた。それは最後通牒であり、同時に、彼がこれから起こすであろう行動への、無言の警告でもあった。私の杖が、冷たい大理石の床を打つ音だけが、墓場のような静寂に響く。


 扉の前で、私はふと足を止めたが、振り返ることはしなかった。

「あなたが悪魔を招き入れたことで、この国のシステムに、見えざる亀裂が生じた。私の生涯は、その亀裂を修復するために費やされる。あなたの抵抗は、その修復過程における、予測済みの小さな障害に過ぎません」


 それは、彼への言葉であると同時に、私自身への再確認でもあった。


 重厚な扉が、私の背後で静かに閉まる。その瞬間、書斎の中の男は、もはや「保護すべき国家の一部」ではなく、ただの「排除すべき最後の駒」へと変わった。


 ・・・・・


 マイクロフト・ホームズが去った書斎に、圧殺されるような沈黙が訪れた。クレイトン公爵は、しばらくの間、ソファの上で身じろぎもせずに座っていた。だがやがて、彼の身体がくつくつと、まるで発作を起こしたかのように震え始めた。それは、抑えきれない怒りによる震えだった。


「……小僧が」


 獣の唸り声のような声が、彼の喉から絞り出された。彼は、震える手で近くのサイドテーブルにあったブランデーのデキャンタを掴むと、グラスにも注がず、直接ボトルを煽った。琥珀色の液体が彼の喉を焼き、その熱が、彼の狂気をさらに燃え上がらせる。


「私を…この私を、スコットランドの片田舎で朽ち果てろだと? 私が築き上げてきた全てを奪い、生ける屍として生きろというのか!」


 彼はデキャンタを暖炉に叩きつけた。ガラスが砕け散る甲高い音と共に、アルコールが炎に引火し、一瞬、青白い光を放って燃え上がった。


「許さん…マイクロフト・ホームズ…! 貴様だけは、決して許さん…!」


 もはや彼に、国家の体面も、自らの名誉も、どうでもよくなっていた。残されたのは、自らを奈落の底に突き落とした男への、純粋で、どす黒い殺意だけだ。破滅は免れない。ならば、道連れにしてくれる。あの傲岸不遜な男を、そして、彼の駒として動いたあの女を、この手で地獄へ送ってくれる。


 彼は、よろめきながらデスクに向かうと、隠しボタンを押した。壁の一部が静かに開き、その奥から、彼の腹心であり、裏の仕事を一手に引き受けてきた男――マニングスが姿を現した。


「お呼びでしょうか、閣下」


 マニングスの表情一つ変えない顔を見て、公爵は歪んだ笑みを浮かべた。

「最後の仕事だ、マニングス」

 彼の声は、熱に浮かされたように甲高く、そして異様なほどはっきりとしていた。

「マイクロフト・ホームズを消せ。あらゆる手段を使え。ディオゲネス・クラブへの帰路が好機だろう。霧も深い。そして、奴が使っていた女…アイリーン・アドラーとか言ったな。奴の隠れ家も突き止めてあるはずだ。二人とも、だ。今夜のうちに、確実に息の根を止めろ」


 マニングスは、その常軌を逸した命令にも、わずかに眉を動かしただけだった。

「…承知いたしました。ですが閣下、政府の人間、それもマイクロフト・ホームズに手を出すのは…」

「構わん!」

 公爵は、マニングスの言葉を遮った。「私がどうなろうと知ったことか! だが、奴だけは、私と同じ地獄へ引きずり込むのだ! 行け! 失敗は許さん!」


 マニングスは深々と一礼すると、音もなく闇の中へと消えていった。


 一人残された書斎で、クレイトン公爵は再びソファに崩れ落ちた。だが今度の彼の顔には、破滅を覚悟した者の、不気味なほどの静けさが戻っていた。彼は、自らの手で、最後の引き金を引いたのだ。


 東の空が、血のように、わずかに赤みを帯び始めていた。

 それは、灰色の夜明けではなく、血塗られた闘争の始まりを告げる、不吉な光だった。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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