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マイクロフト ―ディオゲネス・クラブに雨は降る―  作者: 双瞳猫


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第11章:灰色の謁見(1) ― 招かれざる客 ―

いつも応援ありがとうございます!双瞳猫です。

本作をお読みいただき、誠にありがとうございます。

 私の乗る馬車の車輪が、湿った敷石の上を転がる音だけが、世界のすべてであるかのように規則正しく響いていた。窓の外では、九月のロンドンには珍しくもない、重く垂れ込めた鉛色の雲が街全体を覆い尽くし、壮麗であるはずのメイフェアの建物群さえも、まるで色褪せた水彩画のように沈んだ色調に染め上げていた。世界は、私の内面を映し出すかのように、灰色一色に塗り込められていた。


 これから向かうのは、クレイトン公爵のタウンハウス。この数週間にわたる知的探求と、その果てに掴んだ腐敗の連鎖、その震源地である。私の手には、いつもの黒檀の杖が握られている。それは歩行を補助するための道具ではなく、私の思考を支え、決意を固めるための、冷たく滑らかなアンカーだった。


 私は、この訪問を「外科手術」と定めていた。弟シャーロックならば、あるいはもっと劇的な方法を選んだかもしれない。夜陰に紛れて屋敷に忍び込み、決定的な証拠を盗み出し、夜明けと共にレストレード警部の前に突きつけるだろう。だが、私はシャーロックではない。そして、この事件は、一人の犯罪者を断罪すれば終わるような、単純なものではなかった。


 これは、国家という名の身体に巣食った癌の摘出だ。法廷という乱暴なメスを入れれば、患者そのものがショック死しかねない。必要なのは、より精密で、より静かで、そして何よりも、患者自身の生命を脅かすことのない手際。癌細胞だけを正確に特定し、栄養の供給路を断ち、緩やかに、しかし確実に壊死させる。それこそが、英国政府というシステムそのものである、このマイクロフト・ホームズにのみ許された執刀のやり方だった。


 弟は今、ヨーロッパ大陸のどこかで、モリアーティの残党という外敵と戦っている。ならば兄である私は、このロンドンの心臓部で、内なる敵と対峙する。彼が盤外から、孤独な亡霊として国を守るというのなら、私は盤上から、王として、不要で危険な駒を盤から取り除く。我々は、同じ目的のために、異なる戦場で戦っている。言葉を交わすことなく、互いの役割を理解しながら。その事実だけが、私の胸に巣食う絶対的な孤独感を、かろうじて耐えうるものに変えていた。


 やがて馬車は速度を落とし、ある壮大な建物の前で停止した。

 クレイトン公爵邸。

 ジョージアン様式のその建物は、左右対称の均整の取れた美しさを誇り、磨き上げられた真鍮のドアノッカーが鈍い光を放っていた。だが、私の目には、その完璧なまでの調和が、むしろ計算され尽くした虚飾の塊のように映った。富と権力を誇示するためだけに建てられた、魂のない石の箱。その窓の一つ一つが、まるでこちらを値踏みするかのような、冷たい眼差しを向けているように感じられた。


 御者に合図して待たせると、私は馬車を降り、重厚な鉄の門扉へと向かった。門番は、私の仕立ての良い、しかし装飾の一切ない黒いフロックコートと、その手にした杖を一瞥し、怪訝そうな表情を浮かべた。アポイントメントのない訪問者に対する、訓練された侮蔑と警戒の色だ。


「何の御用でしょうか」

「マイクロフト・ホームズだ。クレイトン公爵にお会いしたい」


 私の名を告げた瞬間、門番の顔から血の気が引いた。彼は私の顔と、私が差し出した名刺に印刷された政府の紋章とを、信じられないものを見るように交互に見比べた。マイクロフト・ホームズ。その名前は、ロンドンの裏社会だけでなく、この国の権力の中枢にいる者たちにとっても、特別な意味を持つ。それは、決して表舞台には立たない、影の権力そのものの代名詞だった。


 門番は慌てて門を開け、私はまるで自分の庭を散策するかのように、悠然と砂利の敷かれたアプローチを進んだ。玄関では、私の到着を既に知らされていたのであろう、銀髪の執事が深々と頭を下げて待っていた。彼の完璧な所作には一点の乱れもなかったが、その瞳の奥に、制御しきれない動揺が微かに揺らめいているのを、私は見逃さなかった。


「ホームズ卿。お待ちしておりませんでしたもので、何の準備もございませんが」

「準備は不要だ。公爵閣下はご在宅かな?」

「はい。書斎におられます。こちらへどうぞ」


 執事に導かれ、私は大理石が敷き詰められた広大なエントランスホールに足を踏み入れた。天井は高く、巨大なシャンデリアが、今は火の灯っていない無数のクリスタルをぶら下げている。壁には金縁の額に収められた油彩画が並び、そのほとんどが、クレイトン公爵家の歴代当主たちの肖像画だった。どの顔も、尊大で、自信に満ち、そしてどこか退屈そうに見えた。彼らの描かれた瞳が、まるでこの招かれざる客の意図を探るかのように、私の背中に突き刺さるのを感じた。


 長い廊下を進み、マホガニーの重厚な扉の前で、執事は立ち止まった。彼は一瞬ためらうように私を見やったが、私の表情に何の感情も読み取れないと悟ると、諦めたように扉を三度、静かにノックした。


「閣下、お客様でございます」

 中から、低く、いらだたしげな声が「入れ」と応じる。


 執事が扉を開けると、革と古い紙、そして微かな葉巻の香りが混じり合った、書斎特有の空気が流れ出してきた。部屋の中央には、山羊の脚を模した彫刻が施された巨大なデスクが鎮座し、その向こうに、一人の男が座っていた。

 クレイトン公爵。

 彼は、机の上に広げられた書類から顔を上げ、眉間に深い皺を刻んでこちらを見た。歳は六十代半ばだろうか。手入れの行き届いた銀髪と口髭が、貴族としての威厳を醸し出している。だが、その目は、狩りの邪魔をされた猛禽類のように、鋭く、そして冷酷な光を宿していた。


「――マイクロフト・ホームズ様でございます」


 執事が私の名を告げると、公爵の目に、ほんの一瞬、純粋な驚愕の色が浮かんだ。だが、それはすぐに、老練な政治家特有の、何を考えているのか悟らせないための仮面の下に隠された。彼はゆっくりと椅子から立ち上がると、作り物めいた笑みを唇に浮かべた。


「これは驚いた。英国政府そのものと噂されるあなたが、このような場所まで自ら足を運ばれるとは。一体、どのような風の吹き回しかな、ホームズ君」


 彼の声は、蜂蜜のように滑らかでありながら、その底には氷のような冷たさが潜んでいた。それは、盤上の相手の力量を測る、最初の探りの一手だった。


 私は部屋に足を踏み入れ、執事が閉める扉の音を背中で聞きながら、彼の挑戦的な視線を真っ直ぐに受け止めた。書斎の暖炉では、パチパチと音を立てて炎が燃えている。だが、この部屋の空気は、凍てつくように冷え切っていた。


「風ではございません、閣下」

 私は静かに、しかし部屋の隅々まで響き渡る声で言った。

「私がここへ来たのは、必然です」


最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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