雪が溶ける
正直、クラハへの印象は最悪だった。
ぶつかっても謝らなかったし、俺らを故意的ではないにしろ殺そうとして……
いや、殺そうとしたのは俺もそうだった。
李夏に剣を向け、魔法を向け、李夏の体を傷つけた。
あの時、操られていた時は何故か心地よかった。自分のやること全てが正しいように思えて、自分が世界の中心にいるような気がして。
クラハも同じ気持ちだったのかもしれないと、後から思った。
それなら……まあ、俺がクラハを恨む権利はない。
クラハは俺が苦手なタイプだった。おどおどして、自分の意見を言わないで、誰かの背中をずっと追ってる。クラハの場合は李夏だろう。
李夏は確かによくできた人間だ。英雄の子供というプレッシャーがありながらも、努力を惜しまずに謙遜までする。本人に言ったら困らせるだろうから言わないけど、俺の英雄だ。李夏がずっと遠くで輝いているような気もする。
だけどその印象は学校に通うことになってから変わった。李夏は普通の人だった。
課題やレポートに追われ、授業でたまに居眠りをして怒られて、昼食は年相応に何杯かおかわりをして、学校が終わると教室を出て俺を買い食いに誘うような、ただの学生だった。
それから、夜には俺の部屋に来て一緒にトランプとか、チェスをして遊ぶ仲になった。
最初の俺は遊ぶのを拒んでたけど、一度すると李夏が意外と上手かったことに気付いた。てっきり頭を使うのは苦手だと思ってた。本人も感情で動いてるところあるし。
毎晩俺の部屋に集まって、遊んで、そして見回りをしてたプラエさんに怒られる。プラエさん、怒ると怖いんだよな。なんか背後に猛獣が見える。俺も猛獣だけど。
俺は李夏に幻想を抱きすぎていたのかもしれない。遠くにいると思ってたけど、李夏は隣にいたんだ。
「アレク?おーい、起きてー!」
誰かに頭を軽く叩かれる。ハッとして飛び起きると、目の前に李夏がいた。その隣にはクラハもいる。
どうやら俺は眠っていたらしい。確かに午後の授業が始まってからの記憶がない。遊んで夜更かししてたのが今来たのだろうか。
「アレクが居眠りなんて、珍しいね?」
李夏のその言葉に、クラハも軽く頷いた。
「いやー……やっちゃったなぁ」
そんなことを俺は言ったけど、正直あまり大ごとには捉えてない。ちょっと頭はスッキリしてるし。
クラハが学校に来てから数週間が経ち、クラハもだんだん新生活になれて来た頃だ。それでも李夏から離れようとはしないが。
ちょーっとだけ、モヤモヤする。今までは俺が李夏の隣にいたのに。
二人は俺の知らない間に仲良くなってた。バールヤの街で俺がくたばってる時になんか色々あったらしい。後から聞かされたけど俺はその場にいなかったからイマイチよく分かってない。
それが原因なのか、時間が経った今でもクラハとは距離を作ってしまう。でも李夏は変わらず俺といてくれる。まあクラハもいるが。
だからいつも左から見て俺、李夏、クラハの順に並んで歩くのが定番になっていた。
「もうすぐ夕食の時間だよ?行かないの?いつも一番に行ってたじゃん」
気づけば空は青から赤になり、カラスが鳴く時間になっていた。これから食堂で夕食が配られる。
聖騎士団の食堂。ほとんどの団員が一室に集まり、食事を取る。辺りはにぎやかな笑い声や食器同士が当たる音で満たされる。
食堂はビュッフェ形式だ。数々の料理が並べられ、団員は自由に好きなものを取れる。しかし人気のメニューは早々になくなることも多く、食事の時間は戦争となることが多々ある。
いつもなら我先にと人気メニューをとる俺だが、今はなんだか食欲が湧かない。午後に頭を使わずに寝てたというのも理由の一つだけど。
「うーん……二人とも先に行ってろよ。俺はもうちょい休んでからいくわ」
俺は頭をかきながら、できるだけ二人を心配させないように明るく言った。二人は怪しそうな目で俺を見てたけど、追求はしてこなかった。
「そう。じゃあ行こ、クラ……」
「ぼくも後から行くよ」
李夏がクラハの手を引いて教室を出ようとした時、クラハが意外なことを口走った。
普段全然喋らないくせに、今日のクラハはなんだか決意したような顔だった。まるであの時、自分で髪を切った後にした顔。
李夏は少し驚いた後、考える素振りをして教室を出ていった。
出る直前、こちらを振り返って笑顔で言った。
「早く来るんだよ?そうじゃないとライル先輩とかに残り食べられるからね」
ライル先輩は大食いだけど、さすがに全部食べないだろ。そんなツッコミを脳内でする。
そう言う李夏は、なぜか嬉しそうだった。
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今の僕は機嫌が良い。だってクラハが自分から動いてくれたから。
僕から見ても、アレクがクラハを避けているのは明白だった。だってクラハに用がある時は必ず僕を挟むし、クラハと目が合ってる所も見たことがなかったから。
本当は僕が二人の仲を持てたら良かったけど、僕にそんな能力はなかった。
そんなアレクの態度にはクラハも気づいてたようで、それについて相談された。僕は「物理的に距離を近づけてみたら?多少無理やりにでも」って言った。
これはサーレイさんの受け売りだけど。実際僕はその方法でサーレイさんに絆されちゃったし。きっとアレクが相手でも上手くいく。アレクは過去の僕より素直だからね。
こんな直ぐに行動に移すと思わなくてさっきは驚いたけど、同時にクラハの成長も実感した。
もう一度あの二人と会う時には、仲良くなれてるかな。
いつか、三人でゲームがしたいな。あ、三人だと切りが悪いからハーレン先輩でも誘おうかな。みんなで遊べば、きっと楽しい。
昔は一人の方が好きだったけど、今は集まってワイワイする方が好きだ。
「何ニヤニヤしてんだよ」
そんなことを考えてたら食堂についたようで、ハーレン先輩にトレーで頭を小突かれた。楽しい妄想をしてたのが顔に出てしまってたのか。
「なんか嬉しくて。あ、そこのサラダ取ってくれません?」
「はいはい……」
ハーレン先輩はやれやれって感じで少し僕から遠くにあるサラダを取ってくれた。
アレクとクラハの分も、取っておこう。二人がもっと仲良くなれるように。
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李夏が去った教室にはずっと沈黙が続いていた。
聞こえるのは、俺とクラハの呼吸音と窓の外から漏れる葉が揺れる音。クラハの呼吸音はいつもより荒い気がした。
緊張しているのか。それも気持ちも分かる。いつもの俺は自分で言うのもなんだが笑っている時のが多い。学校生活は新鮮なことばかりで、昔は王宮に閉じこもってたからより楽しく思うから。
でも今は真顔で、仏頂面。気の弱いクラハから見たらすごく怖く見えるのだろう。気まずいから別の場所にでも移動したい。
というか、なぜクラハは李夏の誘いを断ってまで残ったのだろうか。
「ね、ねぇ!」
突然、クラハが俺の両腕を掴んでぐっと顔を近づけてきた。クラハの水色の瞳と目が合う。
クラハの顔が俺の視界いっぱいに広がる。あ、意外と綺麗な顔立ちしてる。いつも下を向いてるから気が付かなかった。
目の色が綺麗だった。明るくてなんの濁りもなくて、俺と同じような細長い瞳孔と、ギザギザに尖った歯。俺にも尖った歯はあるが、それ以上だった。
こいつはワニの獣人だから分かってはいたが、いざ見るととても鋭い。クラハにその歯があるのはなんか違和感だ。クラハはどちらかというと柔らかい性格だし。
……あと、地味に掴まれた腕が痛い。クラハは鍛冶をしてるから腕力は強いのだろうが、緊張とか焦りで力が入ってるのだと思う。
クラハは無駄に大きい体を曲げて俺に何か言おうとしている。図体はでかいけど行動がなんか子供のようで、ちょっとかわいいと思った。
「あ……あのね、アレクセイさんにも謝りたかったんです……!だっ大丈夫だよ李夏には謝ったから安心してでもアレクセイさんは体のこともあったからあの場でいうのはなんかダメかなって、あと」
「ちょ、ストップストップ」
突然機関銃のように話しだしたクラハの口を手で覆った。クラハの口はピタッと止まり、俺を掴んでいた腕も力が抜けていた。
「アレクセイじゃなくて、アレクでいい。あと敬語も辞めて。同い年だろ」
李夏は呼び捨てなのに俺はアレクって呼んでくれないし、敬語なのもなんか悔しい。クラハに距離を取られてる気がして。
まあ俺もクラハから距離を取ってたんだけど。
クラハは目を見開いて、俺がクラハの口から手を離した後でもしばらくじっと俺を見ていた。
「ど、どうした……?」
俺は表情がコロコロ変わるクラハが心配になって、恐る恐る声をかけた。
「……アレクは、いい人……?」
「は!?」
核心をついたかのような顔でクラハはそう言った。元から俺はいい人だっての。それでつい大声が出てしまった。
クラハは一瞬ビクッとしたけど、すぐに元のおどおどした顔に戻って安心したかのようにふにゃっと笑った。
「……良かったぁ……李夏の言う通り、アレクはいい人なんだね」
そんなクラハを見てたら、クラハに嫉妬してるのがなんか馬鹿らしくなって、俺は大きくため息をついた。
「なんだよお前……」
自分の顔が熱くなってるように感じた。今までの自分の思考が思春期の子供のようで恥ずかしくなる。
だけど、クラハの緩い笑顔を見てると李夏がクラハに構う気持ちが分かるような気がした。
守りたくなるような、いや体は誰よりも大きいんだけど、ハーレン先輩よりも大きいんだけど。側にいたいと思うような笑顔だった。
もう、こいつに怒ってたって仕方ない。いくら不機嫌だと伝えても勇気を出して話しかけるようなやつだって分かった。まあ李夏が後押ししたというのもあるが。
李夏とクラハが繋がってたのは一目瞭然だ。遠目からだったけどクラハが李夏に何か相談をしてるのを見かけたことがあったし。
「……ほら、食堂行くぞ」
俺はクラハの腕を掴んだ。クラハはまた驚いた顔をして、今度は笑った。俺が絆された、あの柔らかい笑顔。
「今から走るからな。李夏に全部食われる」
ちょっとからかいの意味も込めて、俺はニヤッとした。
悩みが解決して、なんだか腹が空いてきた。今までのモヤモヤした気持ちが俺の腹から抜けて、その分食べ物を求めている。
クラハのお腹からもぐぅと音が聞こえた。照れくさそうにクラハも顔を赤くしたけど、俺は見なかったことにした。
「……そうだね!」
とクラハは今までで一番明るい笑顔で言った。
俺もクラハも育ち盛りの時期だ。沢山食って、沢山寝て、沢山笑う必要がある。
クラハと行く食堂までの道は、今までの何倍も楽しく思えた。
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俺たちが食堂についた頃には、李夏はデザートのプリンを食べていた。
デザートのお皿がおかずののったお皿よりも多いように見えたけど、気の所為だろう。うん。
俺がクラハと一緒に入ってきたことを見た李夏は、ニヤーっと頬を綻ばせた。
「んだよ李夏。ニヤニヤして」
「ふふ、別にー?」
李夏はニヤニヤしたままプリンの乗ったスプーンを口に運ぶ。俺は李夏に全てを見透かされているように思えて、そのスプーンを俺の口に入れた。
プリンの味が舌に広がる。甘さは控えめで、甘いのが苦手な人でも食べられるような味。つまりおいしかった。
「せっかく二人の為に人気メニューを取ってあげたのにそんなことするんだー?それなら僕が食べちゃおうかなー」
李夏はぶーぶーと不満げに色々おかずののった皿を掲げた。
あ、俺らの分取っといてくれたのか。
掲げた皿の近くには同じようなメニューの乗った皿があった。二人分の食事が残っていた。
「アレク、謝ろ?せっかく取ってくれたんだから」
クラハが俺の肩に手を置いて優しく言った。さっきまで子供っぽかったくせに今は俺の方が子供のようだ。
「ごめんって。その、ありがとう」
素直に謝った俺に李夏は満足そうに笑って皿を置いた。
「ほら、二人とも早く食べて。時間がなくならないうちに」
俺たちは李夏に促されるまま椅子に座り、皿の上の食べ物を見た。
チーズの乗ったハンバーグに、唐揚げやフライドポテト。にんじんとか、レタスとかも乗ってて栄養バランスが考えられている。
それに、俺たちが食べる量も合わせられてて、普段から見てくれてたのが分かった。
俺とクラハは目を合わせて、一緒に手を合わせて言った。
「「いただきます!」」
李夏は食事中も、嬉しそうに俺たちを見ていた。
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夕食が終わり、団員たちは自分の部屋に戻った頃、俺の部屋の扉が叩かれた。
誰なのかは予想できる。
「李夏、入っていいぞ」
俺がそう言うと、鍵をかけていない部屋の扉が開き、そこには寝間着姿の李夏の他にクラハもいた。
「あれ、クラハ?」
そんな俺の問いに李夏は表情を変えずに言った。
「クラハも一緒に遊ばないかって誘ったんだ。いいよね?」
クラハの部屋は俺の隣。李夏が角部屋で、その隣が俺の部屋、そのまた隣がクラハの部屋だ。
もちろんと了承すると、李夏は慣れた様子で入ってきて、クラハは少し遠慮がちに入ってきた。
俺はあらかじめ用意していたトランプを取り出す。そして三人で俺のベッドに乗り、トランプを広げる。今日は神経衰弱でもやろうか。
やはり遊んでいると盛り上がるもので、つい三人とも騒いでしまっていた。
「楽しそうね」
背後から女性の声がする。この声、聞いたことがあるな。確か、団長室で……
俺の目の前にいるクラハは口をあんぐりと開けて俺の背後にいる人物を見ている。横にいる李夏も同じような顔だ。
「あ……どうも……」
「消灯時間も過ぎてるのに、ね」
振り返るとそこには我らが団長、カナリヤさんがいた。いつもならプラエさんだけど、今日は団長が見回りをしたい気分だったのだろうか。
「だっ団長!これは、その……」
李夏がいつものように言い訳をしようとするが、団長は意外な反応をした。
「団員同士が仲良いのは団長としても嬉しいわ。そうね……いっそのこと三人部屋にでもしちゃう?」
そう団長はかわいらしくウインクをした。俺たちの答えは一つだった。
「分かったわ。三人とも、その場を動かないでね」
カナリヤは三人から少し離れて、手を掲げる。
「《ハルモニア・ロクス》」
確か、これは一回ものを溶かして作り変えるみたいな魔法だった気がする。難易度の高い魔法だったと思うけど、天使族である団長なら容易いのだろう。
するとカナリヤの足元から部屋が溶けていくように、光が広がり、その光は李夏とクラハの部屋までつながる。
そして壁が溶け始めたのを最後に、部屋全体が強く光った。
ようやく目を開けられるようになると、部屋は全く違うものになった。
三段ベッドがあり、開いたスペースにはものが置けるようにされている。仕切りもあってパーソナルスペースも保たれている。それに机も三つ。それぞれ別の方向を向くようにまで気遣いが行き届いていた。
「わあ……!」
李夏は目を輝かせた。クラハの目だって輝いている。もちろん俺も。
「カスタマイズは自分でやってね。皆の荷物はあそこに一人ずつまとめてるから」
カナリヤは端に置いてある箱を指さした。そんなこともできるとは。さすが団長としか言えない。
一通り説明が終わると、カナリヤは満足そうな顔をして部屋を出ていった。
「……一回ゲームは中断ね。今は誰がどのベッドで寝るかを決めるのが先決!」
李夏は立ち上がると右手をグーにして俺たちに突き出した。
決める手段は公平にじゃんけん。勝った順に場所を決めることにした。
「じゃあ行くよ」
李夏の声に合わせて、俺たち三人は手を出す。
「「「じゃん、けん……!」」」
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勝敗としては、勝った順で李夏、クラハ、俺だ。で、李夏が下段を選び、クラハが中段を選び、残った上段が俺のベッドになった。
「低いのがいいというか、近くに窓があって欲しいというか……」
一段目と二段目間には窓があり、李夏はそれがこだわりだと言っていた。
「た、高いのはちょっと……」
洞窟で暮らしていたクラハに取って一番上に行くのは勇気がいるだろう。
俺は高い所は平気だし、とくに揉めることもなく場所決めはスムーズに終わった。
騒いで疲れていた俺たちは、ベッドの場所が決まるとすぐ寝ることにした。
不思議な気持ちだった。寝る空間に自分以外の気配があるなんて。幼い頃も、昨日までだって一人で寝てたから新鮮だ。
俺は好奇心で下の段を見た。既に二人は眠りについているようで、気持ちよさそうに寝息をかいている。
明日は三人で部屋のカスタマイズをする日だろうか。きっと騒がしくなる。俺はそんなはやる気持ちを抑えて目を閉じる。
あの時、李夏の誘いを受け入れて良かった。あの時、素直になれて良かった。
二人と、友達になれて良かった。