太陽のような人 前編
早朝の訓練場に剣が空を切る音が響く。暗い訓練に少し黄色がかった淡い光が差していく。
そこには、少年が一人いた。伸びかけの緑髪に、薄い紫色の瞳。そして頭には二つの光輪が浮いていてる。天使族の少年だ。
少年……オフィリアは小さく息をつく。彼の汗が額から石製の床に垂れた。
この時の彼は15歳ほどの見た目であった。天使族なので人間とは時間の流れが違う。だから実際はもっと年齢は上なのだが、彼はそれでも幼かった。
剣を壁際に立てかけて、そのまま壁に寄りかかるように座る。太陽の光が顔に当たって少し暑い。
それから水筒の水を飲み、ため息を吐いた。
この訓練は、身になっているのだろうか。何故自分は騎士団にいるのだろうか。何故自分は戦うのだろうか。
そう頭に浮かんだが、ぶんぶんと頭を振ってもう一度考える。
自分は騎士団へ恩返しをするためにいる。天界から追放されて人間界に落とされて、そして団長であり師匠のニーナに拾われた。
彼女は明るくて、穏やかで、少し厳しい人だった。この人ならついて行きたいと思えるような人だ。
だからせめて、彼女が今の立場を退くまでは側にいたい。天界を追放された天使族なんかに手を差し伸べてくれたのも彼女くらいだから。
もう一度剣を握ろうと立ち上がった時、遠くからニーナの声が聞こえた。
「オフィリア!」
ニーナは走ってこちらに向かってくる。こんなことはたびたびあるのでオフィリアは特に気にした様子もなく、いつも通りの無表情で立ち上がる。
しかし今日は違った。ニーナの他に人がいる。
ニーナの左手と緩く繋いだ、小さな手がオフィリアの目に入る。ニーナと同じ金髪に明るい緑眼。この世の光を全て吸い込んだかのような、彼女にそっくりな少年。大体3歳くらいの、本当に小さな子供だった。
「オフィリアにも紹介しておこうと思って!ほら李夏、挨拶して」
彼女に促されるまま、子供は恐る恐る口を開いた。子供が怯えるのも無理はない。目の前には自分より大きな身体の人物が無表情で見下ろしているのだから。
「し、時雨……李夏です」
李夏はニーナの影に隠れながらもそういった。緊張している様子だったが、目の奥の光は健在で、彼もまたニーナに似た人物なのだろう。
「李夏はうちの子!オフィリアも仲良くしてあげてね」
ニーナは嬉しそうに笑いながら李夏の頭を撫でる。李夏は恐る恐る、小さくオフィリアに向かって手を振った。
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同じ日の昼、昼食の時間もすぐという時にオフィリアは団員に訓練をつけているニーナを遠目から見ていた。
「もっと足に力いれて!視線は逸らさないで!」
訓練の時のニーナは少し厳しい。的確なアドバイスを次々と飛ばしてくるため、訓練をつけられている側としては処理に時間がかかって体力を使う。
既に体はヘトヘトだと言うのにさらに頭を使うことも強制されるのだから、今くらいの時間の団員は昼食を待ち望んでいるだろう。
とかいうオフィリアもつい先ほどまでニーナにしごかれて体も頭も使ったところだった。
隣を見ると、李夏が座っている。小さい体を曲げて座り、時々眠そうに船を漕いでいた。
なぜ団員でもない李夏がいるのかと言うと、ニーナも李夏の父もやることがあって李夏を見れないとのこと。だからたまたま近くにいたオフィリアに見てて欲しいと頼まれたのだ。
「(俺は保育士じゃないっての。これだから人間は分からない)」
オフィリアは納得がいってないように、少し不貞腐れていた。こっちだって訓練明けで疲れているというのに、さらに子守りもさせられるなんて。
しかし李夏は想定より大人しかった。基本的に訓練の様子をじっと見て、たまにオフィリアに「なんでお母様は怒ってるの」とか「剣、重い?」とか質問をしてくるだけ。
手のかからない子供なのでまあ楽ではあったが、李夏は少しばかり遠慮を知らなかった。
生まれた時から豪邸で育ち、花よ蝶よと可愛がられてきたのだから仕方ないとは思うが、そこも含めてニーナたちは躾をしてもらいたかったとも思っている。
だが特に騎士団に関わりの深い人物もいなかったオフィリアにとって、話しかけてくれる李夏の存在は少しありがたかった。
オフィリア自身も、何歳も年下の人間に感謝する日が来るとは予想していなかっただろう。
そうして少しずつ、李夏に構うようになっていった。
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李夏が6歳ほどになった頃だろうか。その時には李夏もニーナに弟子入りし、オフィリアと同じように訓練を受けていた。
初めて訓練を受けた日の李夏は汗だくで激しく息を切らして、剣を杖代わりにして壁に寄りかかっていた。
「はぁ、はぁ……なに……あれ……スパルタすぎる……」
そうぼやく姿がなんだか可笑しくて、オフィリアはつい笑ってしまう。そして李夏に「あ!今馬鹿にした!」と怒られた。
オフィリアは学校があるため今日の訓練は休んでいた。だから一人で汗だくになっている李夏をからかいたかった。
李夏はあれから成長して、遠慮も覚えた。しかしオフィリアに対しては出会った頃の幼い行動のままだった。
例えば、年上なら絶対に敬語を崩さないのにオフィリアにだけはタメ口だったり呼び捨てだったり。いや、今は渾名だ。
オフィリア、は長いからと勝手に『オフィー』と呼び始めた。最初は止めたがいつまでたっても戻る気配はなかったためオフィリアも諦めた。
オフィリアは学校でもそれなりに権力を持つようになったのでタメ口で呼ばれるなんてことはどんどん減っていった。ただし学友を除いて。学友は留学生だし、もう自分の国に帰っているから話す機会は少ないのだが。
そんなオフィリアと対等に接する李夏は貴重な存在だった。
李夏自身は体の大きさ以外に変わったことはないが、最初と違うことがある。
それはカナタが生まれたということだ。
カナタは生まれながらの人形で、今はオフィリアと李夏の父である紗季と感情について学習しているところだ。
黒髪に、真っ黒な瞳。目以外は紗季にそっくりな外見。
カナタは幼い容姿で、李夏の3歳年下を想定したらしい。それで李夏とは親友のように、兄弟のように育った。
しかし、カナタは初期型で不完全な部分も多い。魔力で動くのだが燃費が悪く、自由に動けるのは一日のうちの数十分だけ。そのことを知らされた李夏はがっかりしていた。
それ以外は常にエネルギー動力と神経をプラグで繋いでいないといけなかった。
紗季は、感情のある人形を作ろうとしていた。そうすれば人間界はもっと発展する。多種族社会も構築できる。獣人とも仲良くなれる。と意気込んでいた。
オフィリアはただ、新しい種族が生まれる瞬間が見たいという好奇心から紗季に協力している。オフィリアは頭が良かったため紗季も喜んで協力に了承をした。
「オフィー、ちょっと自主練付き合ってよ」
そんなことを考えていると、気づけばさっきまで疲れていたはずの李夏は立ち上がって剣を二本持ち、片方をオフィリアの前に持っていった。この体力はニーナ譲りだろう。彼女も底なしの体力を持っている。
「無理。俺は研究で忙しい」
オフィリアは表情を変えずに即答する。実際、オフィリアは研究室に行く途中で訓練場に立ち寄っただけで手合わせする気は全くない。
李夏の誘いをきっぱり断り、抱えていた本を持ち直す。
「研究って、なに」
不貞腐れた様子の李夏が尋ねる。オフィリアの持つ本には『人間と人形の感情論』と無機質に書かれていた。勉強があまり得意ではなかった李夏にとってその内容は頭が痛くなるものだった。
「人形とかの感情」
「……ふーん」
李夏は興味なさそうに口を尖らせて呟いた。
「兄さま。おはよう」
オフィリアの背後から声が聞こえた。無機質だけど、どこか暖かみのある少年の声。
「あっ……!カナタ!」
李夏の表情がぱっと明るくなって、声の主であるカナタの所まで駆け寄る。
少し長めの黒髪に、真っ黒な瞳。感情を持たないはずの人形であるカナタは、李夏と話しているときは嬉しそうに見えた。
カナタに感情が宿り始めているのだろうか。それなら紗季の研究は大成功だ。
「カナタ。勝手に抜け出すな」
貴重な数十分を使って何をしているのかとオフィリアはカナタの首根っこを掴んで研究室まで引き摺る。
「あー!オフィー!カナタいじめないでよ!」
李夏がぎゃーぎゃー言いながらオフィリアの後をついていく。カナタも静かに抵抗して、視界の下の方は騒がしくなっていた。
カナタは動ける数十分をほとんど李夏と遊ぶ為に使っていた。最初の方は基本的な運動能力の確認や感情を出す実践などに使っていたが、今はカナタの自由時間にしている。
李夏をカナタから引き剥がし、カナタを抱えて研究室まで急いで行く。今の時点でオフィリアと李夏の身長差は大きくなっていたため、李夏がいくら手を伸ばしてもカナタに触れることはできなかった。
しばらく歩いて、ようやく李夏も諦めたようで「後で遊ぼうね」とカナタに手を振り、訓練場に戻っていった。
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「オフィリアのいじわる。少しくらい遊んだっていいじゃん」
研究室についたオフィリアは、カナタをエネルギー動力と繋ぎ、紗季が来るのを待っていた。その間もカナタはぐちぐちと不満を顕にする。
「(これも、感情がなければしない行動だ)」
通常の人形なら抵抗もしないし不満も言わない。紗季の研究は確実に、成功の道へと進んでいる。
「ごめんオフィリア!会議が長引いちゃって……!」
そう言ってバタバタと紗季が部屋に入ってきた。
長い黒髪で後ろ髪だけ白。白衣に赤いマフラーをつけて、目元にはうっすらと隈がある。あと、身体は大きいのに行動は所々幼い。大人なのに。でもそれがなんだか親近感があって悪くなかった。
紗季は何度見ても変な人だった。冬でもないのにずっとマフラーをつけて、夏でも外さない。彼は「薄い素材にしてるから大丈夫」と言っていたけどオフィリアが言いたいのはそうではなかった。
紗季は李夏の父親だ。つまり、ニーナの夫でもある。穏やかであるが大人しめの性格で、ニーナの影に隠れているというのがオフィリアの印象。
しかし彼は誰よりも情熱のある人物だった。一人でカナタを完成間近まで作り、感情のある人形を否定されてもしぶとくやり続けた。
「いいえ。俺も今来たところなので」
オフィリアは手元で書類を整理しながら、紗季を見ずに言う。冷たい言い方になってしまったのは彼の性格上仕方のないことだった。オフィリアはその言い方を直そうとしたが、紗季に止められた。「その方がオフィリアらしいから」と。
「良かった〜……カナタ、元気だった?」
紗季は椅子に座るカナタの頭を軽く撫でる。二人は傍から見ると本当に親子のようだった。あえて紗季に似せたと言っていたから当たり前なのだけれど。
「うん。今日はいつ遊んでいいの?早く兄さまと遊びたい」
カナタは撫でられながらも足を動かしてうずうずしている。
「カナタの勉強と李夏の鍛錬が終わったらね」
この掛け合いも当たり前になってきた。もうカナタには感情も生まれ、『感情を持つ人形』になれたと思う。
「……はーい」
そのカナタの態度も、人間の子供と同じだった。
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「……よし!今日の勉強終わり!遊んで来ていいよ!」
紗季の言葉にカナタはすぐに繫いでいたプラグを抜き、すぐさま研究室を出ていった。その横顔がとても嬉しそうで、紗季も嬉しくなる。
「三十分経ったら帰ってきてねー!」
そう。カナタは以前動ける時間をオーバーして、道端で倒れたことがあった。ただのエネルギー切れなのでカナタに支障はないが、泣きそうな顔をした李夏がカナタを抱えて研究室にきた時、紗季は心を痛めた。
カナタも反省したようで、それからは時間やルールを守り、しっかり戻ってくるようになった。
「もう……元気だなぁ」
「紗季さんは、心配にならないんですか」
オフィリアの問いに、紗季は不思議そうな顔で首を傾げた。
「これ以上感情を持ったら、反逆されるとか考えないんですか」
オフィリアの考えは合理的だった。今はカナタをコントロールしているのは自分たちだが、いずれはカナタが自分たちをコントロールする日が来るかもしれない。
カナタに教えているのは簡単な魔法。通常の学校で学ぶ中級魔法までだが、カナタ自身で勉強して上級魔法を身につけるかもしれない。カナタも魔法は得意のようで、今までも軽々新しい魔法を覚えていった。
そんなカナタなら、上級魔法も教えればすぐできるようになるだろう。
「大丈夫だよ。カナタはそんなことしない」
何を根拠に。オフィリアはそう言いたかったが、紗季の目があまりにも真剣で言葉を失った。
「……安直ですね」
オフィリアは少しの皮肉を込めていった。紗季には伝わらなかったが。
昔から時雨家はお気楽な人の集まりで、ニーナも李夏も考えるより先に体が動くタイプだった。オフィリアはそんな三人を馬鹿だと思いながら、少し羨ましかった。
尊敬はしている。ニーナに拾ってもらって今のオフィリアがいるのだから。この恩は絶対に返そうと思っている。
「信じてるからね」
そう言う紗季の笑顔が頭に残った。