第6話 気にしちゃうんです
高柳さんは、荒く息をついていた。どうして、彼女がこんな所へ来たんだろう。
「もう、戻ってこないから、探したよ。はやく戻ろ、授業、始まってるんだよ?」
そう言われて、校庭にある大きな時計を見つめた。いつの間にか、休憩時間は終わっていて、チャイムにすら気付かないぐらい、私はここでうずくまってたみたい。
「……ごめん、なさい」
「……泣いてたの? もしかして、まだ指痛いの?」
高柳さんはまた、私を心配してくれて。
──その姿を、私は、ビビットみたいだって思ってしまった。
ビビットはいつだって、周りのことをよく見ていて。落ち込んでる人や泣いてる人を見て、励まして、また立てるように、って笑わせてくれる。
『笑ってれば、泣いてたとしても、もっかい行ける! って思うんだよなー。笑顔ってそれくらい、エネルギーがあんの!』
エリスが、不注意で民間人に怪我をさせてしまって『どうしていつも笑ってるの?』って、聞いた時。ビビットはそう言った。
とっても落ち込んだエリスに、それでもビビットは泣き顔は見せなくて。むしろいつも以上の笑顔で、笑って答えて。
そんな姿が、彼女に重なるようだった。
──もしビビットが、この現実にいたなら、きっとこんな風にしてくれたんじゃないか。そんなふうに思えた。
「また……高柳さんに……迷惑かけて……、私、なにやってるんだろう……」
「迷惑って……あたしはそんなこと気にしてなんて、」
「私が……! 気にしちゃうんです……!」
私は、気づいたら立ち上がって。
そんな思いを叫んでいた。
「……小波さ、」
「優しくされるの、嬉しくて……でも、返せなくて……怖くなるんです……!」
高柳さんの声に被せるみたいに、私は声を張っていた。涙があふれて、もう前が見えなかった。
「痛いんです……ずっと。〝書けない〟ことが、彼女たちの〝声〟が聞こえないことが、苦しくて……!
どんなに優しい声をもらっても、どんなにうれしい言葉で慰められても、痛いのが止まらなくて……!」
高柳さんにこんなこと言ったって、きっと理解してもらえない。
それでも、黙っていることなんてできなかった。
うまく言えなくても、苦しくても。
言葉にしてしまいたかった。
それは、書くのと同じくらい、私にとって自然なことだったから。
「私が……私がエリスを、ビビットを、閉じ込めてしまったから……! だから書かなきゃいけないのに……! あの声が、ずっと頭から! 離れないんです!」
エリスもビビットも、目を閉じたまま動かなくなってしまった。
──私が、勝手に理想を描いていただけ。
『何が面白いの?』
──私が、勝手に傷付いただけ。
だから、私ひとりで立ち上がらないといけないのに。
心が疲れて。体が言うことを聞かなくて。
立つことに、怯えてしまった自分がいたんだ。
「──……そっか」
どのくらい黙ってただろう。
高柳さんは。
私の事情なんて、知らないはずなのに。
「わかった。小波さん。あなたの小説、読ませてよ」
「え……」
泣き顔で、私は高柳さんを見つめた。
高柳さんは、光みたいに強くて。でもあたたかい香りがした気がした。
「……小波さんがそんだけ悩んでて……それでもあたしに、〝書いてる〟んだって教えてくれたことには、何か、意味がある気がするから……」
高柳さんは、胸に手を当てて、私に一歩、踏み出した。
「だから、読ませてよ。小波さん」
高柳さんは、少し目を伏せて、
「……あたしはさ。いつも、中途半端だったけど──」
「今度は、逃げない。絶対、ちゃんと読むから」
彼女のまっすぐな目は、まるで光みたいで──本当に、ビビットがそこにいるようだった。
「放課後、時間ある? 教えてよ、どこで読めるの? 小波さんの小説」
「あ……えと……、『小説家になるぞ』……ってサイトです……」
「へぇ……なんか、ホント、小説家のため、って感じの、だね」
「で、でも……。私の、10万字くらい、ありますけど……放課後からじゃ、とても、読み切れないかと……」
零れてくる涙を拭きながら、私はそう言った。
「……え」
そこで、高柳さんの顔がわかりやすいほどに曇っていた。
「……10万字って……どのくらい?」
「えと……文庫本一冊と、おんなじくらいです……」
言った瞬間、自分で自分のハードルの高さに気づいて、目を伏せた。
──こんなの、やっぱり無理って思われても仕方ないよね……。
案の定、高柳さんは、「マジか……」って顔で青ざめてるみたいだった。
高柳さんは、額に手をあてて少しのあいだ黙り込む。
……そして、ふっと息をついて顔を上げた。
今度は勢いよく、私の手を取った。
「…………わかった! じゃあ、明日! 明日までに、絶対読み切るから!」
高柳さんは、言葉を探すみたいに、少しだけ視線を泳がせて──。
「……それが、小波さんの見た〝世界〟なんでしょ? だったら、ちゃんと覗いてみたい」
言いながら、高柳さんは首を振った。
「……ううん、見せてよっ! あたしにも、小波さんと同じ景色!」
色が、戻ったような感覚があった。
高柳さんの声はとてもまっすぐで、優しくて。
私を通して、何かを見つめているような、そんな不思議な感じがした。
「……だから、今は戻ろ? 授業、もうとっくに始まってるからさ」
「…………はい」
私は、高柳さんに手を引かれ、歩き出した。
高柳さんの手は、思っていたよりひんやり冷たくて。
それが、なんだか。気持ちよかった。
「冷たい手、してますね……」
「……、あたし、冷え性なんだよね」
恥ずかしそうに微笑みながら、高柳さんは頬を掻いていた。