月曜日 2
信号で停まったバスの窓の外に金髪ツインテールのいかにもお嬢様って感じの女の子が居たから、バスに揺られぶらり途中下車ならぬ揺らり途中下車をしようとした私だったんだけど、どうやらその女の子が待ち合わせをしていたらしくて横から見た目大学生の優男が現れました。……ってあれなんだか絵面ヤバくない?小学生女子の横に大学生男子が並ぶ姿ってあんたちょっと……ヤバくない? だから私が途中下車して「これこれそこの女の子。そんなやばげな男にひょいひょいついていって人生駄目にするくらいなら私みたいな純情可憐な女子高生に人生駄目にされたくなーい?」って勧誘しおうと――もう一度降りるボタンを押そうとしたら、女の子の発言に無茶苦茶盛大にリアクションする大学生の姿がありました。……うーむ、この二人の関係性が見えないね。台風の中、女の子を大学生が救出したとかそんな関係なのかなー。そうでもしないと小学生と大学生が平日のこんな朝っぱらから隣同士で並んで歩くなんて有り得ないし……。うん、とりあえずあの金髪ツインテール女の子の五年後と十年後を想像しながら時間を潰すことにしよー。
とまあそんな感じでガラガラなバスの二人乗りの横椅子に座ってポケーっとしてた私だったんだけれども、最終的に二十歳になった熟したての金髪ツインテール美女が私に向かって『……ある意味成人式よね、これって』とか言いながら一枚一枚服を脱ぎ始めた段階で学校のすぐ側に着いたバスから降りることに。いやはやいやはや、まさか二十歳になっても胸の大きさが変わらないとは思わなんだよ、うんうん。まあ私の想像下の世界の中だし、美乳だったから言うことないんだけどアッハッハ。
「……妄想し過ぎて数学のテスト勉強するの忘れてるじゃん私」
こんなことを呟きながらも全く後悔してない……寧ろ満足しきってる自分に微妙に歎きながらも「なんのぉ! 一片の悔い無し!」って叫んで右拳を掲げる私。あ、安心して。石にはなってないから。まあ石並の堅さにはなってる部分が二カ所程あるんだけど……追求しない方向でいこうね、これ。
「…………」
コンクリートで出来た壁の間に鉄製の横開き門……何だかなぁこのコラボとも思いながら校門を通り、馬鹿でかいグラウンドを横目にしながら歩く。今日も昨日一昨日と同じ様に晴れやかな晴天。太陽も女の子のブラジャーを透かす為に頑張ってるなー。このいけ好かない太陽めっ! 全校生徒の女子の服を私の為に暑さから流れ出る汗で服を透かしまくれこのヤロー!
「あーあ、早く夏にならないかなー。……そういえばあの年齢詐称した長髪アイドル何処に消えちゃったんだろ。何気に私ファンだったのにー」
ぐだぐだ呟いても校舎に先生以外誰もいない学校から返事が来る訳ないので、私はすたこらさっさと歩いて四階建ての校舎に入りまして、靴を脱ぎ下駄箱から濁った赤色のスリッパを取り出しそれを履き、二階にある我が二年三組に向かおうと階段を上がりました。チッ。女子高生が上がり途中の階段なんて疲れしか生み出さないってのー。何なのよこれー。三文の得って嘘じゃんこれー。
「ハァ。やっぱり遅く来た方がよかったかも……」
悲しみで俯きながらようやく踊り場に着いて、もう一度階段を上がり切り、渡り廊下走りたい――なんて思わずに普通に歩いて教室に向かう私。階段から左に向かって一組――二組と並んだ次にあるのが三組なんですね、これが。いつも来る時間帯なら女の子達がキャッキャキャッキャしてるのに……今の時間帯見事にだーれもいないんですよ、すごいことに。この学校には朝早くから来て勉強しようとか思う人は居ないのかいな。ん? そういう私はどうなんだって? んー……保険体育なら二十四時間勉強出来るんだけど、やっていい? まず初めに美術の科目を音楽選択した女の子のロッカーを探ってアルトリコーダーの口の先についてる部分の成文検査を私の舌で……ってこりゃ化学とか生物の分野だね。全く私としたことがってな感じだよ。
「どうしようやろうかなでもでもやっぱり流石にやったら駄目でしょでもなー……よし、やろう」
そう決めるまで十秒かからないのが流石私といった所。とにもかくにも教材が入ったこの肩掛けバッグを私の席の近くに置いてから実行しよう……と思った私が教室に入ると。
――そこには、信じられない光景が広がっていた。
「グスッ……ヒグッ……消えないです……なんなんですかこれ……」
そこには。
全身が白く染まっていて――涙ながらに黒板に広がっている白い文字を黒板消しで消そうとする――アラちゃんの後ろ姿があった。
「アラちゃん……アラちゃん! どうしたの、これ!」
「ヒグッ、め、メグですか……駄目、見ちゃ駄目です……」
私の存在に気付いて後ろを振り返るアラちゃん。サラサラな長髪も白く染まっていると思ったら……振り返って見える笑顔も白かった。
まるで――黒板消しの粉を上から被ったような――そんな姿。
私が「アラちゃん泣かないで! とにかくこの粉を落とさないと!」って言いながらバッグをその場に放って教壇に近づくと、アラちゃんが「見ちゃ駄目ですメグ……消えないんです……読まないで……」と呟いた。
読まないで――ってどういう意味?
「……へ?」
そこで、私は気付いてしまったんですよ、みなさん。アラちゃんの側に近寄る途中――周り椅子やら机やらがほぼ規則正しくならぶ教室の真ん中で――
私は、黒板全体に広がる文字の意味を読みとってしまった。
『芽救は女の子が好きらしいでーす! あー気持ち悪い!』
「何……これ……」
私が『女の子を好きな間違い』持ってるってことを……悪意剥き出しにして横書きで書いてある……。アラちゃんはこれを消そうとして……。
「アラちゃん……どういうことなの、これ! 何でこんな……」
「……わかりません。ヒグッ、雄二君が朝早くに学校に向かった私がこの教室に着いたら書かれてたんです……教室のドアを開けた瞬間に上から粉が降ってきて……グスッ……」
「と、とにかくアラちゃん洗わないと……」
目の前に広がる文字を可能な限り無視してなんとかアラちゃんにこういう私。駄目、気にしたら駄目。思い浮かぶから……私のトラウマが……今までの……私の告白を聞いて青ざめる女の子皆の顔が一斉に頭に……っ!
涙を流して黒板消しを手に持ちながらその場にへたりこむアラちゃんの肩を支える私。白い粉が手に付く……と思ったんだけど、白い粉は全く――私の手に広がらなかった。
「何この白いの……」
「消えないんです、メグ。グスッ……一度ついたら引っ付いて消えないんです、その粉は……だから……黒板に広がるこの文字も……消えないんですっ! 水で流そうにも雑巾で拭き取ろうにも黒板消しで消そうにも……でも、でも! 消さなきゃ駄目でしょうこんなの! こんなの……こんなのっ!」
私の両手に体重を預けながらも叫ぶアラちゃん。そうなんだ……だからアラちゃんは無駄だと思ってもずっと黒板消しでこの文字を消そうとしてくれてたんだ……。
もし。
もし、だよ。
この文字が消えずに私の『間違い』が全校生徒にばれたりでもしたら……。
私はきっと、居場所を失う。
――「めぐちゃん、絶対にこの間違いをばらしたら駄目よ! もしばれたらりでもしたら……貴女は学校に居られなくなるから!」
自然とママの必死の形相が思い浮かぶ。わかってる。わかってるよ。だから私は尊敬する先輩の姿を見て思い立った後でも……信用出来そうな先生とか、この子なら絶対に私の『間違い』をばらさないって確信出来る良い子にしか告白しなかったんだ。
だから、今まで私の『間違い』は一部の女の子と雄二にしかわからなかった。
でも……もし。
もし、私の『間違い』がばれたら……。
女の子も男の子も……私に近寄らなくなる……。
『芽救は女の子が好きらしいでーす! あー気持ち悪い!』
もう一度、黒板に書かれた文字を見る私。
気持ち悪いって何よ。
いいじゃん、女の子が好きでも。迷惑かける訳でもないんだし。
なのに……気持ち悪いって何よ。
「気持ち悪いって……何よ……」
重い苦しみが私の胸を襲った。ズシリと、この重みが無くなる気配がうまれない。気付かない内に私は涙を流していた。初めて女の子を好きになった時見たママの表情。アラちゃんの後に告白した女の子の唖然とした表情。今まで親友だと思ってた女の子が、自分を好意の対象に見ていたと知った時のあの表情。荻原さんの、あの表情。
「なによ……いいじゃん女の子が好きでも……」
「……いいんです。メグがいいなら、それでいいんです」
アラちゃんが自分の涙を白い指で拭き取った後、私を抱きしめてくる。
「ヒグッ……ウワアアァァン!」
私は、泣いていた。教壇の側。アラちゃんに……昔告白した、一度好きになった相手に。私は泣いていた。気持ち悪いって書かれた黒板の下、女の子に抱かれながら。
「……屋上に、居ます」
私が泣いていると、アラちゃんが私を抱きしめながらこう呟いた。「……屋上?」と私が涙ながらに聞くと、「はい」って答えるアラちゃん。
「多分……屋上に、居ます。教壇に、このメモ用紙が置かれていました」
誰が居るのって聞こうとした私の視線の下に、アラちゃんが胸ポケットの中から取り出したメモに書かれる文字が見えた。
『琢磨。真姫。黒板の文字をなんとかして消してくれ。俺は屋上で、あいつをなんとかする』
「これは……」
文字を見た瞬間に、私の心に少しの安堵が漂った。
そこに書かれていたのは――私が何年間も見てきた――ミミズがはったような汚い字――
紛れも無い――雄二の文字。
「雄二君の字に間違いありません。メグ……行って下さい」
「でも……アラ、ちゃんが……」
「このメモ用紙を見つけてから二十分以上経過している筈です。なのに……雄二君は屋上からこの教室に戻ってきません」
「……でも……でも」
アラちゃんは私を抱きしめて、顔を合わせずに耳に言ってくる。
「私のことは心配いりません。黒板の字も私がなんとかして消してみせます。だから……貴女は雄二君を助けて下さい」
私は雄二君に頼まれた仕事がありますし、何より私じゃ役不足ですから。
そう小さく続けたアラちゃんの顔には、笑顔が広がっていた。
白くて……目の辺りだけ赤くなっている、笑顔。
「行ってください、メグ」
「うぅ……アラちゃん……ごめんね……ごめんね……」
ごめんね……アラちゃん。本当に、ごめん。泣きたいのはアラちゃんも同じ筈なのに……消えそうもない粉の始末なんか頼んだりして……。
「何を謝ることがあるんです、メグ。何も心配することはありませんよ。私は雄二君のボディーガードなんです。雄二君の命令ならば、それが私の意志に反することでも、絶対に従わなければなりませんから」
「…………」
私は無言で、アラちゃんに抱き着く。アラちゃんは、無言で私の背中をポンポンと後押ししてくれた。
アラちゃんの視線を感じながら、私は早足で教室を出る。廊下を走り、上の階へと続く階段の前に着く。目指すは屋上。その為にも、早く階段を昇らないと――早く――早くっ!
二段飛ばしで駆け上がり、三階にあがる。
ここまでは、何の問題も何の奇遇も何もなかったのよ。
でも――四階に上がる途中の踊り場に。
「……っ」
「……あ」
私の姿を確認した途端に目を逸らす――荻原さんの姿が、何故かあった。