日曜日 3
「…………」
「あら? どうしたのですか、メグ。無言になって」
「あはは……いやー、私って無茶苦茶罪作りな女の子だなーって思ってさー。雄二の言い付けは守らないわ、彼氏持ちの女の子をベッドに連れ込」
「後半部分に関しては何も気にしなくていいからそのつもりでいてくださいね、メグ」
「え、ホント! じゃあ今すぐ近場のラブホへゴーしよっ!」
「……片仮名が連なっててよくわかりませんでした」
「あ、そんなら言い方変えるね! 人間という名の夜のケモノ二匹がアンアン言い合う宿泊所のお客さんになりに行こうっ!」
「もう本格的に黙ってなさい」
私の言葉に、ハァ、とため息をつくアラちゃん。ところでこういう時に口から出る白い煙りみたいな息がなんか神秘的に感じるのは私だけかな? 四月の寒い日に出る白い息……深夜、憂い顔をした女の子の口から吐き出される白い温かい物……ああああ後半部分だけ取り出したらこれあれだよ色々と危なげだよっ! あ、ほらまたアラちゃんが白い息を! しかも今度は電柱の影から鈴木を見ながら……って。
「おいこら鈴木っ! アラちゃんの口の中に何とんでもなく白いの入れてんのよ!」
「ちょ、え、メグ! 貴女、本当に何を思ってその怒りに達したんですか!」
「なによ、もう! アラちゃんもアラちゃんだよもうっ! 鈴木のいいなりになっちゃ駄目だって!」
「め……メグ……貴女もう何を……」
青ざめた笑顔をした後、額に右手の掌をつけてため息をつきながら俯くアラちゃん。その後ろで「冗談も大概にしておきなさいよ! アラちゃんはあんたの玩具じゃないのよ!」とずっと叫んでたら、アラちゃんが今まで見たこともないような赤い笑顔で「うるさいですよっ!」と大声を出して私を制しようとしてきた。
「あ、アラちゃん声大きい……」
「うるさいですって言ってるでしょうメグ! 貴女、さっきからこんな夜中に何を言ってるんですか!」
「…………」
叫ぶアラちゃんの顔は当たり前のように笑顔だったんだけど、なんていうか……そのね、気迫というかなんというか、とにもかくにもあれだよ、私に迫る勢いが今までと格段に違いました。まさかここまで怒ってるとは思わなんだよぉ……。そ、そういえば雄二にクミクミと昨日はこういう冗談言っても何やかんや言いつつツッコミを入れてくれるからよかったけど、アラちゃんは常に笑顔のクールビューティー――でも結局は『クール』……私の大好きな話しは基本的にご法度な子だったんだね……。
「一時間! 一時間でいいから口を閉じるかゴールデンタイムにも流せるような話題と発言だけを繰り返ししていなさい! わかりましたか! もしわからないでわからないままラブホだとかヤルヤラナイだとか女性のアソコをなんちゃらしたいだとか言ったら承知しません!」
「アラちゃん、私最後の奴言ったことないんだけ」
「うるさいですよ! また女性の乳房を握りたいとか言いたいのですか貴女! それなら私にも対抗手段があります! おーい琢磨くーん! 私、この年中絶倫娘に犯されそうに……な、何をするんですメグ! 離しなさい!」
「あーあーあー! アラちゃんごめん流石にそれ以上はやめて!」
アラちゃんが口を滑らそうになるのを、アラちゃんの口を両手で塞ぐっていう物理的な手段でなんとか抑えようとする私。ていうかアラちゃんの唇柔らかっ! こ、このドタバタの中でこれ奪っちゃったりしてもいいのかなこれ! だ、だって不可抗力だし! アラちゃんも「んー! んー!」とか言いながらもまだ叫ぼうとしてるし! というよりかアラちゃんの「んーんー」のせいで私の両手にさっきの白い息が……うわあああ! かけられてる! アラちゃんの中の白いのかけられてるよ今私っ!
そう思いながら興奮の絶頂に達してるような顔をしてる私だけど、いくらなんでもこれ以上アラちゃんを叫ばせる訳にはいかないのでありまして。だってこんな深夜にこんな騒いじゃ遠距離にいるとはいえ目で確認出来るくらいの距離にいる鈴木にこの声届いたら私貞操の危機だよ。……っていうよりも、鈴木あんたよく気付かないよねこんなにアラちゃんが騒いでるのに……やっぱり最悪だよあんたなんて! アラちゃんをストーキングさせる程心配させるなんて……この浮気者!
「アラちゃん静かに! これ以上大きな声出すと女の子をいじくりまくってる最低な男に気付かれちゃうよ!」
「誰ですかそれ! そんな男の人知りませんよ!」
「鈴木だよ! この場で男って言ったら鈴木しか居ないじゃん!」
「……って、た、琢磨君? 琢磨君が……私以外の、女の、子を……?」
私がそんなことを言うと、叫んでいた口を体と共にピタリと止めたアラちゃんが、膝をつきながら上目づかいで私を見上げてきた。……可愛いっ! 笑顔でア然するっていう変な表現出来上がっちゃうんだけど、そんなのもうどうでもよくなっちゃうようなこのポカーンとした表情! その口から覗くことの出来る喉チンコがまた赤いこと赤いこと! どっかの狼なんかとはまた別物の光景だよこれ! ……ってまたチンコって言っちゃった! んー、まあ別にいいよね! 女の子にはないものだからさ! あ、理由になってない? しかも女の子にも小さいけど付いてる? アハハ、この変態さんったらー!
やった、やった、私が考えるにアラちゃんのこの表情は鈴木をけなすことで見れるらしいよだったら私が捏造した鈴木の真実を……今こそアラちゃんの元へ!
「……そうに決まってるじゃん。こんな深夜に立ち止まるなんて、誰かと待ち合わせしかないって」
「……っ」
「深夜だよ、深夜。そんな時間帯に待ち合わせして行く所なんて一つしかないじゃん」
「…………」
「だからさ、鈴木の服の中には大量のコン……ってあれ? アラちゃん?」
そう雄弁に語っていた私なんだけど、ふと気付くとアラちゃんが笑顔のまま――その可愛い目尻に涙をためていた。
え?
涙ってどういうこと?
「あ、あのー……アラちゃんさん……?」
「…………琢磨君が」
「へ?」
「琢磨君が、私以外の女の子を、好きになるなんて、有り得ま、せん」
私はここで一時停止のコマンドを、プルプル震えながらぶつぶつ呟くアラちゃんの前で発動させた。ヤバイかも。私、もしかして言い過ぎた……?
そう思って発言を撤回しようとした時には、もう既に遅かったんですねアラちゃんは。
「あ、アラちゃ」
「だって私と琢磨君は一心同体でいつも一緒で脇目ふる暇もないくらい愛し愛されることを誓ったのにそれなのになんで琢磨君がこんな深夜に深夜に深夜に深夜に待ち合わせなんて有り得ないんです浮気なんて有り得ないんです誰かとベッドなんて有り得ないんです琢磨君の隣は私そう私しか居ないんです有り得ないんですなのにこんな深夜に浮気そんな浮気駄目ですよ琢磨君だって貴方は私のものそれなのに浮気なんて私を放って浮気なんて浮気その先には一体なにが深夜にベッドでその後本妻にバレて末には殴りあいの取っ組み合いを泥棒猫にしてそしたらそうしたらその後何があるかっていうとそれはもうあれしか有り得ないんですよそうですよあのキッチンの引き出しにオカレテル――ナイフヲカタテニ」
「怖いよアラちゃん!」
やめてよ駄目だって!いくら元がクールビューティーなアラちゃんでもこの台詞の中「フフフフフ」って言いながらの笑顔はヤバイって! 何かする気満々じゃん! てかナイフってもう完全に殺す気でいるじゃん鈴木の奴を!
こんな感じで(自分から招いた)危機を察知した私は、「落ち着いてよアラちゃん!」って言いながらアラちゃんの体にしがみついた。あー柔らかいなー小さいなー抱き枕にしたいなーなんてことを言うのはいくら私でもやめておくことにするね。で、自然と、さっきまでついていた膝を起き上がらせようとする動きを止めるアラちゃん。「何ですか」とぐるりと頭を回転させて私の方を向きながら、ドス黒い声で私に言う。思わず「ひぃ」って声を漏らしちゃった私だけど、今はそれどころじゃないのは私の目から判断しても明らかだった。
「アラちゃん! 私が悪かったよごめん!」
「何ですかうるさいですね私は今から――ナイフヲカタテニ」
「だから怖いってアラちゃん! 大丈夫! 鈴木は浮気なんかしてないよっ!」
「ナイフヲカタテニタクマクンヲヤツザキニ……って、今なんていいました、メグ?」
ナイフヲカタテニ、の先が気になりすぎてアラちゃんの暗い笑顔を直視出来なかった私だったけど、覚悟を決めてアラちゃんの笑顔を真っ直ぐ見る。
「だから! 鈴木は浮気なんてしてないよっ!」
「何を根拠にそう言えるんですか?」
「アラちゃんは根拠がないと鈴木を信じられないの?」
「……は?」
瞬間、暗い笑顔を、何メグ言ってるんですか意味がわかりませんとでもいいたげな笑顔に変えたアラちゃんは、「どういう意味ですか?」って言って私の言葉を待った。よっしゃ、食いついたねアラちゃん。
こういう時はさ。……やっぱり、もっともらしいこと言ってはぐらかすのが一番だよねっ!
「アラちゃんはその程度しか琢磨君を愛してないの?男は狼なんだよ。浮気なんて、一つや二つ、みんなするもんなのさ。大事なのはその後――ばれた後、浮気をされた女の子がどう対処するかってことなんじゃないかな。私は少なくとも、そう思うよ」
「メグ……」
私がこう言うと、アラちゃんは私を涙目で見つめてきた。当然笑顔なんだけど、この涙は一体全体アラちゃんのどんな気持ちを表しているんだろう。悲しみ? 怒り? 感動? 絶望? 女の子が好きな私がアラちゃんの涙の真意を理解出来ないのはしゃくだけど、意味不明なものは不明だったから、勝手に予測してみることにしよー。
鈴木への怒り――私の説得――説得からの涙――その涙の意味とは!
私が思うに、アラちゃんは私を誘ってるんだよ!
だってだってよく考えてみて下さいよ全国の女子高生の皆さん。私が鈴木なんて最悪って言った後説得したら涙流したんだよアラちゃん。じゃああれしかないじゃん。
私弱ってますから今すぐ手取り足取り乱雑に扱って下さいアピールじゃんこれ!
そうとわかったら即行動それが私! 悪即斬でおしおきだべーの精神で私はドロンジョ様並のエロさで近付くんだよそれが私!
「アラちゃん!」
「メグ……私……」
ふおおおお! か、か弱い声で私の名前を呼んできたよアラちゃんが……あのクールビューティーアラちゃんが! って身を悶えさせようとした私の耳に、なんか変な固有名詞が入ってきた。
「私……琢磨君のこと、信じることにします」
「……え」
そう言うアラちゃんの笑顔は――涙の後で赤くなりつつ――それでいて弱々しくも何かを決断したようなそんな晴れ晴れとした笑顔でした。
「メグの言うとおりですね。琢磨君が浮気しても、それを許すか許さないかが女の分かれ道。許さなかったらそこで琢磨君とは別れることになります。ですが、許したら――一回の間違いを許せば、琢磨君は私とずっと一緒にいてくれるんですよね。……メグ」
「え、は、はい」
「私、感動です。貴女が私にこんなことを言ってくれると思いませんでした。怒ったり怒鳴ったりしてすみません」
言いながら立って、謝罪のお辞儀をするアラちゃん。斜め四十五度の角度のお辞儀を六秒間きっちりすると、私に向けて「さあ、メグ。申し訳ないのですけど、もう少し付き合って下さい。琢磨君の本意を確かめましょう」って言って、電柱に隠れながら、腕時計を確認してそわそわする鈴木をじっと眺め始めた。
……えぇー、アラちゃん私と一緒にストロベリータイムしたかったんじゃないんだー。あーあ、残念だねこりゃ。どうやらアラちゃんにとって、私なんかニの次で大事なのは鈴木みたい。鈴木からアラちゃんを奪うのは……厳しいかー。ハァ。なんだよ、もー。私が悪いのか、私がー……ってそうじゃん今の一連の流れって私が悪いんじゃん。
今更ながらそれに気付いた私がアラちゃんに「ううん。私が悪かったよアラちゃん。頑張って鈴木を監視しよう」って言ったら、アラちゃんは「監視じゃないです。ウォッチングです」って断言してきた。何で英語なんだろ。四十代にして芸歴が少なかったおばさんグーグー芸人? それともブレイク過ぎたにも関わらず唐突にまたブレイクし始めたやぶからスティック芸人? ……どっちにしたってアラちゃんのイメージとは合わないにも程があるなー。うーむ、ここはいっちょう、こんな話題を出してみよう。
「ところでアラちゃんや」
「なんですかその口調は。お菓子でもくれるんですか、メグ。だったら私、五円チョコがいいです」
「……安上がりだね、アラちゃん」
「何をいいますか。五円チョコ程素晴らしいお菓子はないのですよ。五円で五円の形をしたチョコを買うという発想の斬新さ。加えて、一円でもなく十円でもなく百円でもない――五円というこのチョコの原型。ご縁……ご援助……ご円満……ああ素晴らしいですよね、五円というのは。なので、五円チョコは素晴らしいお菓子なのですよ、メグ」
「うーん、じゃあメグちゃんの場合は五円チョコかな」
「はい? どういう意味ですか、それは」
興味津々な疑問文で聞いてくるアラちゃんだったけど、目線はいつまでもこれまでもこれからも鈴木を一直線に貫いていた。全く、あんな男のどこがいいんだろね。なんかわからないけど黒と白の正装着てるし、その割りには髪ボサボサだし。深夜なのに目は鋭くて何かをキョロキョロ探してるような感じだし。あんな意味不明要素満載の輩のどこがいいんだろ、アラちゃん。
まあそんな愚痴はとりあえずちょちょいのちょいでどこかに置いといて、アラちゃんの興味をひいた話題を展開させようとする私。
「いやさ、話しの流れは関係ないんだけど……無人島に何か一つ持ってくとしたら何がいいかな、アラちゃん」
「……よくある質問ですね、それ。私、その手の質問されたら何を言うのか決めてあるんですよ」
「へー。何々?」
奇しくもアラちゃんにとってのお決まりを質問出来たみたいだね。あ、因みにこの質問、昨日の雄二のパフォーマンスの準備中にクミクミにも聞いた質問なんだよ。クミクミの場合は、『お母さん』だったんだよねー。泣かせてくれるよねー、クミクミ。私がそう言いながら抱き着こうとしてしんみりした空気が台なしになったのは言うまでもない衆知の事実だけどね。うん。
私がクミクミの健気さを思い出しながら遠い夜空を見上げていると、アラちゃんが「わかりました。その質問に答えましょう」って意気込んでた。すかさず「うん。何なの、アラちゃん?」って返事をする私。危ない危ない。ついついクミクミに気をとられてアラちゃんをおごそかにするところだった。もう、駄目だなー皆私を取り合いっこして。そんなに私に構って欲しいのはわかるけど、それは今晩のお、た、の、し、みっ。
「じゃあ言いますよ、メグ」
「あ、うんうん」
「私は無人島に……ドラえもんを持って行きます」
「……え?」
何て言ったのアラちゃん?
まさか……ドラえもんって言ったの?
「な、何アラちゃん。ドラえもん持って行きたいの?」
「ええそうです。やはりドラえもんってすごいですよね。あれ一体でなんでも出来ますから」
「ドラえもんを『あれ』呼ばわりする女子高生を初めて私は見たよ……」
「なんです? あの青いの、単なる部品の集合体ですよね?」
「言い方の問題だよそれ」
ま……まさかまさかアラちゃんの口からドラえもんなんて飛び出してくるとは思わなかったよ私。つまんな……いなんてことはないよ! 面白いよ、アラちゃん! あは、あはは……ドラえもんってどうなんだろね。ははは……。
「因みにですけど、メグは無人島に何を持って行くんですか?」
「あ、私? うん。当然女の子。無人島だったら好き放題出来るし」
「……貴女、命よりも一時の快楽の方が重要なのですか」
「あったりまえじゃん! 私の命なんて女の子のヤバ気な表情に比べたら一寸の虫並になっちゃうよ!」
「……一応、五分の魂はあるんですね。それ聞けただけでも少しは安心出来まし……っ!」
私が質問の答えを言うとドン引きしたアラちゃんだったんだけど、突然、その声が中断された。
アラちゃんが驚いた先――視線の先を見ると、そこには何故だから知らないけど正装のまま臨戦体勢に入った鈴木の姿があった。格闘技なんかでよくみる、両腕を構えるあの体勢。あれは……ボクシングかな。顔をガードするように、鈴木の両拳が握られている。
鈴木の目が向く先は、私達から見て右。嫌なことに――電柱に隠れてよく見えない方だった。鈴木がさっきと別格の真剣な眼差しで見るその先に――何が居るのかよくわからない。鈴木に姿を見られないように、アラちゃんにメールでこの電柱までの行き先を指示されたのがあだになった。
――わからないんだよ。
鈴木が……何と対峙しているのか。
「……くっ! またですか!」
すると、こう言って構えた拳をピタリと止めながら体を少し動かす鈴木。その動きに「ああ! 琢磨君!」って言いながら電柱から離れて鈴木に近付こうとするアラちゃんを、私が両腕でしっかりと抱き寄せた。
「何するんですか、メグ!」
「駄目だよアラちゃん! なんか……嫌な予感がする!」
アラちゃんに言いながら私は気付いた。
深夜。
鈴木が待っていたのは、アラちゃんの浮気相手じゃないのはほぼ間違いない。
だったら――誰なのか。
こんな深夜に、鈴木が待っていたその人物は、誰なのか。
その答えは……目の前にあった。
「……何あれ」
いつの間にか鈴木が、構えた右拳を前に突き出したそこに居たのは。
――黒いフードを被り、黒い布で全身をおおいつくした、全身黒尽くめの小柄な人間。
鈴木が放った速い右ストレートを、私達から見て右から現れたらしいその黒い人は、軽やかに左――私達から見て手前に避ける。鈴木の姿が、その黒い人によって被さり、少ししか見えなくなった。
すぐに、私は思い出す。鈴木が時間の余裕を与えないかのように繰り出された腹周りへの蹴りをこれまた避ける黒い人の姿を見て、私は思い出す。
――クミクミにお金を渡し、私をいじめるように指示した黒フードの女。
そいつが今。
クミクミを利用しようとした女が今。
私の――目の前にいた。