最終話
「アーシェ。私と……駆け落ちする気は、ない?」
「え? お、お義姉さま?」
私の企んだ『シンデレラ・ストーリー破壊作戦』は悉く上手くいかず、私はもう、これしかない、と思った。
私がアーシェを、この状況から連れ出して、駆け落ちしてしまえばいい。
私の突拍子もない考えに、アーシェはしばし目を瞬かせて……それから、ゆっくりと頷いた。
「……はい。お義姉さまの考えは浅学非才の身であるわたくしには量りかねますが……お義姉さまが仰ることに、きっと間違いはありませんから」
私の事を全く疑わない純粋無垢な瞳で、アーシェは私と『駆け落ち』する事を、受け入れてくれたのだった。
◆◆◆
「お義姉さま、大丈夫ですか?」
「あ、う、うん……」
運動不足のつもりはなかった。
連日ダンスの練習もしているし、この肉体、元の29歳OLと違ってピッチピチの17歳なんだから。
いや、でもね。
日本という、何処にでも舗装アスファルトがある地形に慣れた私の感覚からするとね。
「……想像以上に、山!!!」
そりゃそうだ。
中世ヨーロッパの奥深い城からの脱出である。
馬車もなしに、何処へ行こうというのだ。
私は駆け落ちを決めてから僅か1時間で、後悔にまみれ始めていた。
逆にアーシェは、山歩きは慣れていたんです、と言う。
ああ、『卑しい身分の子』だったらしいからね。シンデレラのディテールとしてそんな部分、誰も言及してないだろうけど。
「あ~~~っ、駄目、足が棒みたいになってる」
私は着の身着のまま、僅かなお金だけを懐に(って言っても金貨よ? 日本ならどれだけの価値になるか)、山を越えて隣の国に逃げよう! と言う雑にも程がある軽率なプランに、今更ながらに『もう少しちゃんと考えを巡らせれば良かった』と思い始めていた。
「お義姉さま、お水を……沢がありますわ」
アーシェが言うと、そこには川が流れていた。
「あー、うん。ありがとアーシェ……」
私はよろよろと歩き、沢の水を手桶で少し汲み、飲み干した。
「……なんか、まっずい」
川の水って、もっと綺麗なもんじゃないの?
私は、吐きそうな気持ちになる。
中世なんだから水質汚染とかもしてないだろうし……単純に日本人の味覚との差異だろうか。
「お義姉さまは繊細ですから、ご無理をなさらないで下さい……」
繊細ねえ。
まあ、肉体が貴族生活に慣れきってて、こんな井戸水でもない川の水じゃ、不味く感じるのも当たり前なのかもしれない。
「なんて、言ってられないわ……アーシェ、隣の国まで後どのくらいかしら……」
「分かりません……わたくしも、国の外には行ったことがないですし……」
そりゃあそうか。
……というか、国境警備兵とかいるんじゃないのか?
私は二重三重に己の軽率さを肌身で感じ始めて、このままアーシェと心中するのが一番幸せなのかも……という諦めモードに入りかけていた。
と、その時だった。
「やぁっと見つけた。全く、筋書きを外れて、よくもまあこれだけ派手に暴れ回ってくれたもんだ、悪役令嬢」
そこには、魔法使いが居た。
今まで何度も何度も捕縛しようとして、ついぞ見つからなかった、魔法使いが。
「あ……貴方は!!」
ローブからはみ出て見える銀髪、その年若い魔法使いは、私のイメージする老婆の魔女とは異なり、透き通った声で私に語り掛けた。
しかし彼の口から放たれた言葉は、余りにも衝撃的で――私は、その言葉に驚愕する。
「さあ、元の役割に戻るか、それとも元の世界に戻るかを選びたまえ。意地悪な義姉の筈だった、イリアス・フォン・ハルフェブラット――いやさ、琴葉細魚さん……そう呼べば良いのかな?」
「……なん、ですって……?」
私は銀髪の魔法使いの青年が、何処までの事を知っているのか。
彼はどういった立場で私に話し掛けてきたのか。
それを彼の放った言葉から想像し、ああ、私はもうこの世界にいても、恐らく今までみたいに義妹と幸せな暮らしを続ける事なんて出来ないのだ、という絶望に囚われた。
◆◆◆
「全く、そんな軽装で山を越えようなんて、無茶にも程があるってもんだよ」
魔法使いである彼はサッと杖を一振りすると、カボチャの馬車ならぬごくごく普通の馬車をそこに出現させ、私達を屋敷に連れ帰る。
ガタゴトと揺れる馬車の中で、私達は緊張の面持ちで彼の話に耳を傾けていた。
「さて――何処から話したもんかな。まず、元の世界の記憶は何処まで保持しているかを確認させて貰おうかな」
彼の語る言葉の一つ一つに、私は血の気が引いていく。
「あ……わ、私は……」
私は彼に何処まで話すか逡巡し、言い淀む。
その様子を見て、彼は義妹の方に水を向けた。
どうやら私の反応や行動からして、私は元の世界の記憶を保持している事を察しているらしい。
ならば今語り掛けるべきは義妹の方と判断したのだろうか。
「そちらの彼女はどうだい? 自分が今でも、アーシェ本人だって思っているかい?」
私は青褪める。
いや、待て。
その言い方では、まるで義妹も、私と同じ……。
私はアーシェの反応を伺う。
「……わたくしは、わたくしですわ。何を仰っているのか、皆目見当がつきません……元の世界の記憶とは何ですの? わたくしやお義姉さまが、この世界の人間ではないとでも仰るの?」
アーシェは本気で困惑したように、そう尋ね返す。
「ああ、分かった分かった。その反応で十分だよ。君に自覚はなく、正しくこの世界における灰被りの役割を全うしている訳だ。となると――やはり不確定要素は君だけかな? イリアス・フォン・ハルフェブラット、もとい、琴葉細魚さん」
私は警戒心を露にし、青年に話し掛ける。
「貴方……ただのこの世界の魔法使いじゃないわね。何者なの? なぜ私の『前世』の記憶を知るの?」
「あまり僕の出自について深く探ろうとしないでくれたまえよ。僕は本来、この世界において魔法使いの役割を全うすべき存在でしかないのだから。こんな役割を課せられて君の行動を修正しなければいけなくなったのは、君の所為なんだぜ」
私達の会話についていけず、ただその剣呑な空気だけを察してアーシェはオロオロと私と魔法使いの顔を交互に見比べるばかり。
「……分かったわ。貴方の正体がどうあれ、もう私の行動はこれ以上、筋書きから離れるわけにいかない、って訳ね」
私は観念し、答えた。
「私の記憶は、一つ残らず元の世界のままよ。むしろ、この世界の記憶のほうこそ、この世界に来てから、ずうっとゼロから蓄積してきた状態だわ」
私がそう答えると「なるほどね」と頷き、予想していた通りだ、とばかりに彼は溜息をついて言う。
「イリアス……いや、もういいや、名前長いしね。細魚さん。貴女、どれだけこの世界を乱してきたかの自覚はある? この世界にとって、貴女は邪魔なんだ」
「……でしょうね。私もこの世界が大嫌い。このシンデレラ・ストーリーをブチ壊したくて、ずうっと暗躍していたのだもの」
私の言葉にアーシェは驚愕し、何を……と言いかけるが私は制する。
「ごめんね、アーシェ。今は、この人と話をさせて」
アーシェは大人しく引き下がるが、私の剣呑な雰囲気と発言に、頭が混乱しているようだった。
無理もない。
彼女の前では終始、『優しい義姉』を演じ続けてきた私だもの。
彼は私に問いかける。
「で、戻る気はあるのかい? 細魚さん」
私は一瞬、その意味を測りかねて尋ね返す。
「……戻る気って、何? 私に、元通りの悪役令嬢の役割に収まって、シンデレラが王子様と結婚するのを指をくわえて見てろって言うの?」
彼は嘆息し、答える。
「それはもう無理だろう。君がここまで筋書きを引っ掻き回した以上、シンデレラ・ストーリーは完全に破綻している。やり直しは不可能だね。ま、君が王子様と結婚する筋書きに変更する程度の軌道修正は可能だろうが……君の支離滅裂な行動からすると、それも望むところではないのだろう?」
良く分かっているじゃない、と私はニヤリと笑った。
「ええそうよ。私の望みは、ただ一つ。義妹と一生、幸せに暮らす事、ただそれだけ」
私がそう言い放つと、アーシェは感極まったように頬を染めて口に手を当て、お義姉さま……と喜びをあらわにしていたが、彼は呆れたように嘆息した。
「それが君の望みかい。はん、およそ悪役令嬢の言葉とも思えないね。君の元の世界の性格が君をそうさせたのだろうが、とんだシスコン女だ。参ったものだね」
言うに事欠いて人をシスコン呼ばわりか。
いや、否定は出来ないけど!
「だがその望みは叶えられないよ」
私の望みを、彼はバッサリと切り捨てる。私は反駁する。
「どうして。私はこれまで、アーシェと王子の結婚も、私と王子の結婚も、全て回避してきたわ。後は、二人で駆け落ちさえ出来れば良かったのに!」
「馬鹿を言うんじゃないよ、世間知らずのお嬢様。貴族の女二人が着の身着のまま、いったいどこへ向かおうと言うんだい?」
ぐうの音も出ない。
まさしく先ほど、山中にて遭難寸前の憂き目に遭う所だったのだから。
「第一、仮に駆け落ちが成功したとして、その先の展望は? 本当に二人で一生幸せに暮らせるとでも思っていたのかい? 精々が、娼婦として生きていくのが限界だろう」
全く否定できない。アーシェも苦々しそうな顔をしている。
自身の母が恐らく、そうだったのだろう。
「で、改めて尋ねるよ。君は戻る気はあるのかい?」
どうやらそのニュアンスは、元の悪役令嬢に、という意味ではないらしい。
つまり……
「元の世界に戻る気があるのか、って意味の質問なのね」
「そうだよ」
ならハッキリ言え。
私は、アーシェを前にその辺りの説明をするのが面倒なので黙っていたが、もはや避けられまい。
「アーシェ。これから私達が話すことは、貴女にはまだ理解が及ばないかも知れないけれど、真実よ。ようく聞いておいて」
「は、はい……お義姉さま……」
怯えるような表情でアーシェは首肯する。
そして私は語り始めた。
私がいかにしてこの世界に降り立ち、そして今まで何のために悪役令嬢の役割を外れた行動を取り続けたのかを。
◆◆◆
「そん……な……では、お義姉さまは、わたくしを、元の世界の実妹さまと、重ねていただけ……?」
全てを語り終えた私の言葉に、アーシェはショックを受けていた。
そこに一番ショックを受けるのか。
まあ、世界がどうの、とかよりも、この狭い視野で生きてきた彼女にとっては、自分をあれ程にまで愛してくれた義姉の本当の気持ちのほうが、余程ショックなのだろう。
「ごめんなさい。でもアーシェの事を愛しているのは、本当よ」
虚しく響くその言葉だが、私の偽らざる本音でもあった。
「うっ、うっ……お義姉さまは、残酷ですわ……全ての真実を語り聞かせて、なおわたくしに希望を持たせようと仰るの……?」
悲しみに暮れるアーシェは、そんな言葉を漏らす。
私に対するネガティブな言葉は、初めてだな。
私はそんな風にズレた感想を抱きながらも、彼女を優しく抱き締める。
「ええ、私は残酷な事をしたと思っている。こんな気持ちを隠して、貴女と接してきたなんてね。――とっくに、私は実妹と重ねていた事なんて関係なく、貴女自身を深く愛してしまったというのに。ごめんなさいね、アーシェ。ずうっと、黙っていて」
「うっ、あっ、お、お義姉さまぁ……」
アーシェはボロボロと涙を零し、私に泣きつく。
私も貰い泣きのように泣いた。彼女を騙していたという罪悪感が、今更になって込み上げてきて。
「あー、感動の姉妹百合シーンはそこまでにしてくれるかな。僕はまだ、確認したい事があるんだ」
私達のそんな状況を気まずそうに見ながらも、無遠慮に話し掛けてくる魔法使いの彼。
「……確認したい事とは?」
涙を拭いて、私は彼を睨み付ける。
「何度も言わせないでくれたまえよ。それに、最初に言ったと思うんだけどね。元の役割に戻るか、元の世界に戻るか。二つに一つだよ」
私は即答する。
「元の役割も、元の世界もごめんだわ。そちらこそ何度も言わせないで。私は、アーシェと幸せに暮らしたいだけなの」
バッサリと先ほど切り捨てられた望みを、私は再度彼に突き付けた。
それは揺るがせたくない、私の唯一の望みだからだ。
「それは叶えられない、というのも言ったが……譲れないなら無理心中も辞さない、といった面構えだね。やれやれ、困ったものだ」
呆れたように肩を竦め、彼は言う。
そして、彼はとんでもない提案をしてきた。
「……では折衷案と行こう。君は元の世界で、妹さんと幸せに暮らす。これならどうだい?」
「…………は?」
私は間抜けな声を上げてしまう。
何を言っているんだ。
17年間、私は実妹の顔を見るのを避けて生きてきた。
今更、どの面下げてあの妹と顔を合わせろと言うのだ。
第一、飛魚は結婚している。
新婚生活3年目、今頃きっと夫婦円満に暮らしている頃だろうに。
そこに独身アラサー女の私が割り込んで、幸せに暮らせるわけがなかろう。
私があらゆる可能性を排してそう反論しようとすると、彼は言った。
私の予想もつかない事を。
「君が元の世界に戻れば、そこの義妹さんとまた会える可能性だってあるんだからね」
「…………何言ってるの?」
先ほどの質問の口振りから、何となくアーシェも私と同じくこの世界への転生者である事は、想像に難くなかった。とはいえ、見ず知らずの他人が、どうやって元の世界で私と会える可能性があると言うのだ。縁もゆかりもない他人だろう?
「縁もゆかりもない他人じゃないさ。だって、その義妹さんの魂は、何しろ君の、本当の妹さんなんだから」
「な……………………」
私は思考が停止した。
アーシェが、妹? 本当の?
じゃ、じゃあ、つまり、アーシェの魂は……
「飛魚、だっていうの……?」
そんな馬鹿な。
だって、彼女は全く私の事なんて、憶えて……
いや。
憶えてはいないけれど、そういえば。
『わたくし、不思議ですの。まるで、お義姉さまが、昔からの、ずうっと昔からの、本当のお姉さまだったように思う事があるんです。うふふ、変でしょう? そんな事、ある訳がないのに……』
『お義姉さまがそうしてわたくしを避けている姿を見ると、わたくし悲しみで胸が張り裂けそうになるのです。顔を上げて下さい、お義姉さま。そしてわたくしを見て下さいまし』
――面影。
私はどこか、実妹の面影を、義妹に見てはいなかったか。
それは、ただの郷愁が生み出す、錯覚だったのか。
……ははは。
笑ってしまう。
何が、面影だ。
本人だったんじゃないか。
私が震えていると、彼は納得したように頷いた。
「心当たりもあるようだね」
「……悔しい事にね」
私は今の今まで気付かなかった間抜けな私を自嘲気味に笑いながら、答えた。
「じゃ、じゃあ……わたくしは、お義姉さまの、本当の……妹だったということですの……?」
感涙にむせび泣きながら、アーシェは震える声でそう言った。
とても、とても嬉しそうに。
私は複雑だった。
ずっとその可愛さに嫉妬して、誰よりも愛しているにも関わらず顔を合わせられなかった実妹と、毎日のように顔を合わせていただなんて。
ははは、滑稽にも程がある。
最初はアーシェこそ、この世界の哀れな道化師だなんて思っていたけれど。
――私の方こそ、とんだ道化師だ。
茶番劇の予想外の結末に私は苦笑し、それから言った。
冷静に考え直して、きっぱりと。
「……でも、私と実妹との確執は、先ほど語った通りよ。ましてや、彼女は結婚して、夫がいる身。その彼女と幸せに暮らせる、なんて……悪い冗談だわ」
私はそこについて譲る気はなかった。
魔法使いの彼から何と言いくるめられようが、わざわざ実妹の家庭を壊してまで、私は彼女と暮らしたいなんて思わないし、そもそも今更どの面下げて会えるのか。
「確執については、アーシェさんとの生活でもう解消されたようなものだと僕は思うがね。この世界にいた記憶は、元の世界でも保持されるのだから」
それは逆に、お互いの関係に何かしらの問題を起こしそうだが……。
「……だとしても、夫婦!」
私がそこについて言及すると、彼は言う。
恐らく、今日一番の衝撃的な事実を。
「それも問題ないと僕は思うよ。何せ、実妹さんは夫に殺されているんだからね」
「……………………………………………………何ですって?」
実妹の、夫が、妻である実妹を、殺した?
私はその、一瞬では飲み込めない、理解不能なフレーズを脳内で繰り返す。
考えたくない。
吐き気がする。
「そうだよ。ドメスティック・バイオレンス……って奴なんだろうね。実妹さんの夫は、詳しい状況までは知らないが、紆余曲折あり、実妹さんを殴って、殺した。その結果、彼女の魂は、この世界に転生したのだよ」
淡々と、ただ事実を語るかのように彼は言う。
私は理解したくない気持ちのが邪魔をし、心を塞いでいた。
馬鹿な。
馬鹿な。
馬鹿な。
幸せにします。
今、こんなにも幸せだよ、お姉ちゃん。
そう言って新婚旅行の絵葉書を送ってきたではないか。
メールも山のように送ってきてくれたではないか。
私はその光景に死ぬほど嫉妬しつつも、心のどこかでは妹の幸せを喜んでいたではないか。
なのに。
実妹が殺された、なんて。
私は信じたくなかった。
「嘘! 嘘!! 嘘よ!!!」
必死で叫ぶ。
だが、彼は言う。
「アーシェさんの記憶がないのも、不思議に思わなかったかい? 彼女は、殺された記憶を封印しているのさ。魂に刻み付けられた、忌まわしき記憶をね」
黙れ。
黙れ!
黙れ!!
「わたくしは……元の世界で、夫に……? そんな事、全く憶えて……」
そこまで言われてもまだ記憶を取り戻さないアーシェは、青褪めて震えていた。
良いのよ。思い出さなくて良いの。
飛魚、貴女は幸せに暮らしていた筈なのだから。
と、そこで彼は冷淡に言う。
相変わらず、ただ事実を述べるかのように。
「まあ、彼女の死に方について信じる信じないはこの際どうでもいい。そんな事より重要なのは、君達姉妹が、元の世界でなら、ちゃんと再会できる、その可能性があると言う事さ」
「……えっ……?」
私は耳を疑った。
だって。
今、実妹は、殺されたって。
だから、転生したんだって。
「その結末は、覆せる」
彼はあくまでも淡々と答える。
希望を持たせる言葉を。
「ど……どうやって」
私は死人が生き返るなんて荒唐無稽な話を信じられず、尋ねる。
「簡単な事だ。君が、彼女が殺される寸前の状況に、飛び込んで行けばいい。君がこの世界から元の世界に戻れば、時間軸としては、そこに十分間に合う。アーシェさんの魂がここに訪れるのは、君がこちらに転生するタイミングと同時だと思っていたかい? 君たちの元の世界の時間軸で言えば、1週間くらい離れているのだよ。君のほうが、ずっと先に転生したのだ。……正確に言えば、君は転生じゃなく、魂だけがこちらに迷子になった、転移、という感じだけれどね」
彼の説明は難しかったので、私はシンプルな理解に留めた。
「……つまり……運命を……書き換えられる、という事……?」
「簡単に言えばそうだね」
私は、目の前がパァッと開けていくような気持ちになった。
それじゃあ。
私は、実妹を殺した夫を止め、私から実妹を奪った男から、引き離せる。
そして、私は……
私は、どうするの?
「それから、実妹と、どう接すれば良いの?」
「そこは君次第さ」
彼はやはり、淡々と答えた。
それから、私はゆっくりとアーシェに向き直る。
「アーシェ……わ、私は……」
とても今の状態で彼女の顔を見る事は出来ない、と私は目を逸らしながら言う。
「私は、元の世界に戻って、貴女と……一緒に、幸せに暮らせると、思う?」
そんな私の震えた声を、アーシェは優しく包み込んでくれるように言った。
未だ、記憶は戻らないであろうに。
「勿論です。わたくしの事を、これ程までに深く、強く、愛して下さったお義姉さまが、元の世界でわたくしを愛して下さらない筈がありましょうか? わたくしは、元の世界でも……お義姉さまと一緒に、幸せに暮らせると、そう、信じておりますわ」
私はアーシェのその言葉に、涙腺が決壊する。
私に、そう言ってくれるの?
こんな私に。
「アーシェ……アーシェ……っ……!」
私はアーシェの胸に飛び込み、ただただ泣いた。
「お義姉さま。お辛かったでしょう。わたくしとお義姉さまは、元の世界でもきっと、仲睦まじい姉妹であったでしょうに。心無い言葉に傷つき、悲しみ、愛は憎しみへと変わり、ずっとずっと苦しんでおられたのですね。けれど、それでも貴女は、善き姉だったのでしょう。わたくしは、そう思いますわ」
私を慈しみ、慰める言葉をかけ続けてくれる義妹。
それはまるで、実妹からの、赦しの言葉のようであった。
「ごめんね……酷い事言って、ごめんね……私、本当はずっと、貴女の事、愛していたのに……」
私は涙を滝のように流し、謝罪の言葉を口にする。
アーシェは慈母の如き表情で私を見て、言った。
「ええ、ええ。赦します。たとえ世界の誰がお義姉さまを赦さないとしても、このわたくしは。そして、きっと、元の世界のわたくし……実妹さまだって、そう仰る筈ですわ」
その言葉が、最後の引き金だった。
「うっ、うっ、うっ……うぁ、うぁああああぁあああああぁあああああああああぁああああぁああああああああああぁあああああああああああああああああああああああああん!!!」
私は泣き喚く。
赤子のように。
産声のように。
泣き喚く私に、そっとアーシェはキスをする。
優しく、ほんの少し、触れ合うようなキス。
――呪いが解けていく。
私に長い間、纏わりついていた、忌まわしい呪いが。
まるで、それはシンデレラではなく……そう、白雪姫のように。
あぁ、そうね。
私、白雪姫なら、嫌いじゃないわ。
王子様じゃなく、お姫様のキス、だけど。
そうして私は、長い長い眠りから、ようやく醒めたのだった――。
◆◆◆
「お姉ちゃん、久しぶり」
「……とび、うお……」
まともに彼女と顔を合わせるのは、実に17年ぶりだろうか。
ああ、相変わらず、とっても可愛い。
憎らしいほどに。
憎めないほどに。
「会いたかった。ずっと、ずっと会いたかったんだよ」
「うん……うん……ごめんなさい、ごめんなさい……」
私はごめんなさいを繰り返す。
17年分のごめんなさいを。
「ごめんなさい、ずうっとあなたを拒絶して。顔も合わせなくて、結婚式にも出なくて、電話も、メールも、葉書も、何もかもを断ち切って」
だけどそんな私に、飛魚は優しく答えた。
「良いの。私はお姉ちゃんと一緒に、これからは17年分の幸せを取り戻したいって、思うから」
私はその言葉に、泣いた。
「これから始めよう。私達の、幸せの物語を」
飛魚の言葉は、私にとってはどんな童話のどんなハッピーエンドよりも幸せな幕引きとなって、私の心の闇を、晴らしていくのだった。
(おわり)