第7話
「すっっっ……ごい」
私はその舞踏会の豪華さに、目を奪われていた。
こないだまで参加していたような小規模な舞踏会ではない。
国の王子が参加する、国のお城での、舞踏会なのだ。
そりゃあもう、素晴らしいの一言に尽きた。
そして、そんな感慨を一瞬でブチ壊す思考に至る私。
「どんだけ税金使ってんのよ」
現代日本の世知辛い懐事情を知る私からすると、貴族階級のこの豪奢な城や、贅を尽くした料理にドレス、その全てを目の当たりにしてしまうと、そこにどれだけの労働者階級の血税が注がれているのだろうという想像ばかりが先立ってしまう。
自らが令嬢として貴族階級の生活に身を委ねていながらそれを棚上げにするのも何だが、貴族生活で日々感じていた違和感が、ここへ来て極限に至った。
ある種の嫌悪感と共に、私は吐き捨てた。
「やっぱり、この国の王子との結婚とか、有り得ない。有り得ない有り得ない有り得ない。中世ヨーロッパの王政における非人道的な封建主義を甘く見てたわ」
多少考えが現代的で好感を懐いても、所詮は中世の人間だ。
労働者階級をどう見ているかなんて、想像に難くない。
「こんな生活に身を委ねたら、人間が腐るわ」
私の中の劣等者の鬱屈が、むくむくと膨れ上がり、首をもたげた。
貴族なんて、どいつもこいつもロクでなしだわ。
私は周りの貴族を、憎しみを込めて睨め付ける。
「ファ●ク」
中指を立て、この時代の人間には通じない(であろう)ジェスチャーで私は連中を見下げ果てた目で睥睨した。
「お義姉さま? どうかなさったんですか?」
「あっ、いや、なんでもないの」
私は淑女にあるまじきはしたない行動を諫め、アーシェの不思議そうな顔をいなした。
いけないいけない。
純粋無垢なアーシェに、とんでもない下品なジェスチャーを覚え込ませるところだったわ。
私はおほほ、と貴族令嬢らしい振る舞いで取り繕い、何事もなかったかのように舞踏会へ戻る。
◆◆◆
「つーか、王子いつ出てくるのよ。とっととお目当ての女性をエスコートしなさいよ」
私は童話の流れからして、そろそろじゃないの? と王子の様子をずっと伺っていたが、
彼は玉座からぴくりとも動かずにダンス・パーティを眺めるばかり。
私は万が一でも自分が選ばれたらどうにかしてダンスを破綻させ、とてもではないがこの女性は選べない、と思わせるように仕込もうと思っていた。
アーシェは……まあ、見ての通りものすごく、もんんんのすごく可愛いので、魔法使いの補正やガラスの靴がなかろうが、王子に選ばれる恐れがある。
私はむしろそっちに警戒していた。
だって、アーシェはとっっっっても可愛いんだもの。
とっっっっても可愛いんだもの!(大事な事なので、2回言った)
因みに保険として王子にアピールするように言っていたクリスとシルヴァは、いざとなると度胸がないのか、王子に近付くことすら出来ない様子。
ちっ、使えないわね。
私は心の中だけで舌打ちする。
「まあ、でもこの様子なら王子はどうせその辺りにいる美人の誰かを選びそうかな」
私は意図的に王子からは相当な距離を置いて、アーシェと二人、適当な男性と適当にダンスをこなしていた。
遠目では、私もアーシェもその美しさを見咎める可能性は低くなろう。
現代と違って、双眼鏡なんぞないのだし。
そう、安心していた所だった。
「フリード様。そろそろ」
「ああ」
王子様の隣にいた側近らしき男が、話し掛ける。
来るか……?
私は踊っていた男性とキリの良い所まで踊り切ろうとステップを踏みつつ、横目でその様子を警戒していた。
どっちみち、曲が終わるまでは動くまいが。
ジャン♪
曲が終わった。
私は無難にダンスを終え、そして王子が玉座から動き始めるのを見た。
「静粛に! これより、フリード王子が、ダンスのお相手をエスコート致します! 我こそはと思う女性の方は、是非前へ!」
え、ええ。
そういう感じで女性に声掛けんの?
自分から来いよ。
超上から目線な感じが私は気に入らない。
やっぱ駄目だなこの時代の考え方……。
と私が思っていると。
「良いよ、僕が選ぶ」
遠くで声はよく聞こえないが、どうやらフリード王子は自分で女性を選ぼうと自ら歩み始めた。
ふん、悔しいけどあの王子の考え方自体は、中々褒められるものじゃないの。
私は内心で褒め言葉とも毒舌ともつかない不遜な言葉を吐き、さあ誰を選ぶんだ、私とアーシェの所には来るんじゃないぞと祈りを込めて睨み付けていたが……。
王子は、真っ直ぐに、私に向かってきた。
まさか。
「宜しければ、僕とダンスを踊って頂けますか? イリアス・フォン・ハルフェブラット嬢」
――来やがった。
そうかそうか。
私を選ぶか。
まあ、良かろう。
アーシェを選ばれるよりは、御しやすい。
私は内心そう思い、ほくそ笑んだ。
「ええ、喜んで。フリード・ヴィルヘイム二世……いいえ、王子様」
さあ、私の『シンデレラ・ストーリー破壊作戦』はここからが本領発揮だ。
見ていろ、運命を弄ぶクソ脚本家ども。
私は私の、運命に反逆する。
◆◆◆
予想以上に楽しかった。
フリード王子のダンス・ステップはそりゃもう見事なもので、ワザと足を引っかけてやろうとした私を瞬時にアシストし、慣れないダンスに裾を踏みそうになっているのだな、と誤解している様子であった。
まぁそのさり気なさと言い、女性への気遣い・心配りと言い、甘いマスクと言い……そんなもん、私みたいなクッソチョロいメンヘラ女が耐え切れるものではなかった。
「お上手ですよ、イリアス」
「あ……はい……」
消え入りそうな声で蕩けるような目線を王子に送ってしまう私。
馬鹿か。
恥ずかしさで死にそう。
私は何をしているんだ?
そうじゃないだろ。
何度も何度も心の中でツッコミを入れながら、私はどうにかしてこの状況を覆そうと必死でダンスをブチ壊しにしようと試みたが、全ては徒労に終わった。
やばい。
素敵な男性とダンスを踊るのって、こんなに楽しいものなの……?
私の頭が、完全に壊れかけていた。
快感が、幸福が、私の本来の目的を忘れさせそうになる。
くそっ。
くそっ、くそっ、くそっ。
なんて事だ。
今更になって私は後悔する。
世の中のシンデレラ・ストーリーに憧れる全ての女性に、私は心からの謝罪を送りたい。
ごめん、シンデレラ・ストーリー、すっごい素敵だわ。
こんなもん、落ちない女がいるのか?
こんな状況で落ちない女がいるのか?
私は心と体を満たす、麻薬のような多幸感にズブズブに墜ちていくのを、肌身で感じていた。
◆◆◆
ダンスが終わっても私の心は夢うつつを彷徨っているようだった。
ボケーッとしている私の前にアーシェがタタッと可愛らしい足音を立てて、言った。
「お義姉さま、とっても! とっっっても素敵でしたわ!!」
私はその言葉に、羞恥心と罪悪感でいたたまれなくなり、真っ赤になった。
や……やめて……私をこれ以上、辱めないで……。
私はこれまで、さんざんっぱらに罵り、嫌ってきた『茶番劇』に馬鹿みたいに没入してしまう己の浅はかさ、人間としての器の小ささを目の前で突き付けられたような気分になり、私を『ひねくれすぎ』だと評した人間全てに、その通りでしたごめんなさい!!と全力で謝りたかった。
いや、だって。
しょうがないじゃん、こんなの。
顔も性格も最高で、一国の王子様だよ?
その王子様とのダンスだよ?
私如きの平民が、そのオーラに勝てる訳ないでしょ?
言い訳じみた言葉が私の内心から次々から溢れてきて、私はますます惨めな気持ちになった。
「畜生……完全敗北だわ」
私は思わずそう独り言ちるが、アーシェは大はしゃぎであった。
「あぁ、何て素敵なダンスだったのかしら……私も、お義姉さまみたいになりたい、憧れますわ!」
「あ、ああ、あああ……」
やめて、本当にもうやめて……。
お姉ちゃんの精神力はもう、ゼロどころかマイナスよ……。
私は顔を覆い、周りからすると王子様とのダンスで舞い上がって照れているようにしか見えない姿だったろう。
しかし、徐々に私は思考を冷静に引き戻しつつあった。
不味い事になったわ……。
このままだと、本気で王子の結婚相手に選ばれかねない。
そう。
元々、フリード王子が私の部屋に来た時から何かがおかしいとは思っていた。
運命は、シンデレラを地下室から救い上げる機会を私に奪われた。
その埋め合わせを、私でこなそうとしている。
そういう予感があった。
だって、普通、国の王子様がいきなり一介の貴族令嬢の家に来る?
んなもん、有り得ないわよ。
どう考えても、今日のための布石であり、伏線だ。
その為の、強引な挟み込みを運命の書き手が仕込んだんだ。
まんまとその思惑に乗せられた私は、こうして王子様と楽しくキャッキャウフフとダンス・ステップを踏んでしまった訳だ。
……が、これはまだ致命的ではない。
だって、私はガラスの靴を履いていないもの。
本来ならアーシェの前に現れるはずだった魔法使いは、今日は現れなかった。
今日現れなかった以上、私は12時を過ぎて魔法が解けるタイミングでガラスの靴を残して去ったりはしない。
ギリギリ、まだ『シンデレラ・ストーリー』の筋書きには乗せられていない。
私はまだ、運命の反逆者でいられる。
「逃げるなら、今のうち……か」
このまま私が12時過ぎまでいたら、恐らく『ガラスの靴』でなくとも、何らかの代替物をもって王子との婚約の切っ掛けとなるアイテムにされる可能性は否定できない。
いや、別に12時に拘る必要はないのか? 魔法をかけられてないんだから。
「お姉さま、どうかしまして?」
「顔色が悪いようですわよ」
クリスとシルヴァは私の心配をする。
「大丈夫……大丈夫だから」
私は、もうこの2人に望みはないだろうなと頭の冷えた部分で考えながらも、どうにか現状を打破できないか、必死で考えを巡らせる。
アーシェも私の妙な様子に、大はしゃぎだった先ほどから少し表情を変えて、私を心配する。
彼女は私の手を柔らかく握る。
「お義姉さま……何か、心配事でもございまして? もしそうであれば、わたくしに言って下さいまし」
健気なアーシェの言葉に私は嬉しくなり、きゅっと彼女の手を握り返す。
それから、私は思った。
もう、これしかない。
決死の想いで。
そして、アーシェにゆっくりと、真剣な眼差しで向き合い――言った。
「アーシェ。私と……駆け落ちする気は、ない?」
(つづく)