第6話
「……舞踏会の日が迫っているわね」
私はあれからも毎日、窓辺の警備を続けた。
しかし、一向に魔法使いが現れる様子もなく、『その日』を間近に控えていた。
日々のダンスの練習、テーブルマナーの練習、その他諸々の淑女としての振る舞いの修業は順調に進み、私はすっかりどこに出しても恥ずかしくない貴族令嬢として品格を身に付けつつあった。
散々ギャアギャアと言い合った『お母様』との関係も、徐々に改善しつつある。
まあ、未だに私の『男女同権主義』的な考えは、相容れないんだけどね。
「もうそこはしょうがないわね」
中世ヨーロッパの価値観の中で急進的女性主義を掲げたところで、異端者として奇異の目で見られるのがオチだろう。
男女同権の考えが大分浸透しつつある現代に於いても割かし、そういう考えって嫌われがちだしね。
歴史は繰り返す、って奴なのかしら。
私はそんなどうでもいい感慨を覚えつつ、『その日』に向けての対策を練るのだった。
◆◆◆
「舞踏会の夜は、魔法使いが現れる可能性が一番高い」
これが私の考えだった。
むしろ、その夜に来なければ、もう大丈夫だろうと思っている。
本来なら『その日』以外が基本的に描写されないシンデレラの童話に於いて、魔法使いの登場シーンなんてその夜だけなのだから、ピンポイントで警戒しておけばいい筈だ。
が、私はこの世界が半端にリアルな事で警戒心を上げ、日々の警備に努めていた。
それこそ、舞踏会よりも何日か前、何週間か前にフライングで登場して少しずつ準備を進めるとか、仕込みを始める可能性はあるんじゃないかと。
だが何週間、何ヶ月経過してもその気配はなく、既に3日後に舞踏会が控えている。
現段階で、私は警戒心を緩め始めていた。
「いっそもう、このまま来なくていいんだけどね」
私はそう思っていた。
どの段階で魔法使いが登場する機会を逸したのか、或いはまだ逸していないのかは定かではないが、もしかしたら私が地下室からシンデレラであるアーシェを救い上げた段階で、フラグは折れたのかも知れない。
それが一番楽な展開だ。
そうなれば、私はシンデレラ・ストーリーとしての主人公の資格を失った彼女の代わりに王子と誰かを、上手い事くっつけてしまえばいい。
それこそ、本来は魔法使いの横槍がなければ候補であったであろう、下の妹のクリスやシルヴァでもいい。
勿論、私自身はあくまでアーシェと一緒に幸せに暮らす事が目的なので、王子の玉の輿は願い下げ……の筈なんだけれど。
「うう……一番不安なのは私の心よね。気をしっかり、強く持たなきゃ」
私は数ヶ月前に一度、私の部屋に訪れた『王子』フリードと会っている。
ほんの数時間話しただけだが、彼の外見だけではなく溌溂とした性格、頭脳明晰さ、革新的で男女同権に賛同する『この世界じゃ異端』とも言える考え方に、すっかり絆されてしまった所がある。
「顔の良い、性格の良い、頭の良い、柔軟な考えの持ち主だからって、この私が男に靡くなんて思わないで欲しいわ……」
弱々しい語尾で私は必死に『王子』の顔を心から振り払おうとする。
だが、胸に宿るこの淡い恋心めいたものは、一度火が付けば取り返しがつかなくなるのは想像に難くない。
確実に、私は篭絡されてしまうだろう。
或いは、この感情もそもそも『悪役令嬢』としての魂の牢獄たる肉体に引き摺られた、勘違いなのかも知れない。
私は牽強付会とも言える強引な論を自分の中から引っ張り出し、無理矢理自分を納得させようとした。
「ええい、この際私の事は良いのよ! こじつけでも何でも! 私は王子とは結婚しない、以上、終了!!」
私は気を強く持つために声に出して自らを鼓舞する。
その声はドアの外にまで響いてしまったらしく、
「お義姉さま? どうかなさいまして?」
と、丁度ドアの外にいたらしき義妹に聞き咎められてしまった。
「あ、ああー。いや、何でもないの。気にしないで」
私は慌てて誤魔化す。
王子と結婚したくない、だなんて傲岸不遜な台詞、アーシェが聞いたら不審に思うだろうしね。
いや、まぁ、それよりも。
私がそもそもアーシェに『男は狼、王子だって例外じゃないわ』なんて言い含めておいて、王子に懸想しかけている事実を知られたくないって気持ちのほうが大きいが。
「そうですか、何か悩み事があるようでしたらいつでもわたくしに相談して下さいましね」
アーシェはドア越しにそんな健気な事を言ってくれる。
罪悪感で私の心は潰されそうになった。
「うう……ごめんなさいごめんなさい……」
私は元の世界においてだけでなく、この世界においても『妹』に罪悪感を抱き続けるのかと、己の身の業の深さに辟易してしまうのだった。
◆◆◆
『その日』。
遂に来てしまった、その日が。
私は気合を入れる。
ダンスやドレス、王子との交流に、ではなく。
アーシェにシンデレラ・ストーリーへの展開に少しでもなぞらえた申し出があれば全て回避させる事。
そして万一、私自身が王子から求婚めいた言葉を投げかけられても、それを断固拒否する事。
この2点が、今日の私の、いや、この世界に来てからの私の、終始一貫、徹底したスタンスだった。
アーシェには当然の事ながら、絶対に屋敷に一人にならない事、私と一緒に行動する事、そして何より、王子から求婚される可能性が少しでもあれば逃げる事を言い含めた。
今夜の舞踏会に参加する事、を完全拒否するのは『お母様』の手前もあって不可能だった。
まあ、それは織り込み済みである。
むしろ今日のために、貴族令嬢として不自然でない嗜みを散々っぱらに身に付けさせられた以上、披露する場がないというのも寂しいものだ。
更に私は保険として、2~3手を打っておいた。
曰く、クリスとシルヴァはとても美しいので、私よりもずっと王子様に相応しいわ。
だから、私 (とアーシェ)の事など気にせず、存分に王子様にアピールするのよ。
これを聞いて下の妹である『無自覚な悪役令嬢』たるクリスとシルヴァは、尊敬したように私を崇め奉ったものだ。
「まあ、何て奥ゆかしいの、イリアスお姉さまは……わたくし達など、言ってみれば当家の末席、長女たるお姉さまのオマケでしかないのに」
「そうですわ、お姉さまを差し置いてわたくし達が王子様にアピールするなんて、烏滸がましいです」
やめてくれ。
私はただ、個人的目的の為に、貴女たちを身代わりにしようとしているだけなのだから。
と馬鹿正直に答える訳にはいかないので、私は罪悪感を押し殺して実妹たちの尊敬の眼差しから目を逸らすのだった。
「お義姉さま、準備はもうよろしくて?」
私はアーシェがそう言ってコンコンッとドアをノックするのを聞く。
「ええ、万全よ」
そうして私は戦闘態勢に入る。
これより、任務『シンデレラ・ストーリー破壊作戦』を決行する!!
私の中の謎の軍人が、そう叫んだ。
(つづく)