第5話
「私は悪役令嬢だっていうのに、日々人徳を得るのはおかしくない?」
私はアーシェに対して、自分の中に生まれた疑問をそんな風に吐き出してみた。
私は、この童話世界に転生してきてから1ヶ月の間に、義妹のアーシェからの感謝と尊敬はともかく、この国の王子、それに実妹・実母からも『型にはまらない、立派な淑女』……みたいな謎の評価を着々と得ていた。
メイド達も最初こそ私が錯乱した頭のおかしな状態だと訝しがっていたが、私の転生前……つまり、『元の状態』よりも『良い』という評価に変わってきているらしい。
それに対するアーシェの反応はというと、当然ではないですか? と首を傾げるばかりであった。
「わたくしには分かります。だって、こんな素敵なお義姉さまが、人徳を得るのは当然ですから!」
アーシェの衒いのない褒め言葉に私は消え入りそうになる。
やめて、私そんな立派な人間じゃないの……。
ただただ、元の世界では実妹の可愛さに嫉妬して、鬱屈した人生を送っていただけのメンヘラ女なのに……。
「そう、私は破滅型の女なの! ハッピーエンドなんて望んでない!! だから良いの、人徳よりも悪徳を、愛よりも憎しみを私は選ぶの!!!」
私は半ばヤケクソになって、錯乱気味にそんな台詞を高々と宣言した。
あたかも大層な志みたいに言っても、掲げている大義はひたすらに最悪であった。
「お義姉さま、落ち着いて……愛よりも憎しみを選ぶなどと、悲しい事を仰らないで。どうしてそのように思われるのか、このわたくしに分かるように、お教え下さいまし」
アーシェは健気にもこの頭のおかしな義姉の言葉を理解しようと、必死に言い募るのだった。
(アーシェ……貴方のその純粋さ、本当に私の実妹と瓜二つよ……)
私は言っても伝わらないであろう比喩を用いて、私を100%信頼しきっているその純真無垢な義妹の性格を心の中だけで評した。それから、私は自分が何故さっき叫んだような後ろ向きな思考になってしまうのかを、滔々と語った。
「あぁ……なんと言ったら良いのかしらね、私はね、容姿の善し悪しで人間的な善し悪しを決める、人間のそういう根源的な性質に、絶望したの。それが原因で、人生そのものが破滅したと言っても過言ではないわ。だからね、私は、基本的に人間の愛情を信じられない。そこには、どうせ誰もが私の容姿を見てしか、その善し悪しという物差しでしか判断してくれないのだろうな、という諦念があるのよ……」
私は一息に説明し、嘆息する。
外見至上主義という言葉を使っても通じないだろうと思い、大分迂遠な言い方になってしまったが。
「でも……でも、お義姉さまはお美しいですわ。勿論、外見だけではなく、心も! でなければ、何故このような卑しい身分の、下賤の生まれであるわたくしを、薄暗い地下室から連れ出してくれるでしょう? それこそが、お義姉さまの心の在り様が美しいという証左ではなくて?」
違うんだ……。
それは私の、単なる個人的感情が暴発した結果なんだ……妹と呼ばれる存在である貴女を、ただただひたすらに不遇な目に遭わせたくなかった、それだけの事なのだ。
決して生まれの貴賤に関わらず、誰にでも平等に接するべき、などという高尚な聖人君子めいた気持ちで貴女を救い出したのではないのだ……。
私は個人的感情の生み出した愚行……いや、義妹を救った事を愚行とは言いたくないが……その事を過剰に良く捉えられるのも、また苦しかった。
とは言え、私がそんな自分の転生前の来歴やアーシェを救った理由を事細かに語ってもアーシェには伝わらないだろう事は容易に想像出来たので、諦めてその説明はせず、
「そうね……アーシェがそう言ってくれるのなら、そうかもね……」
と力なく答えることしか出来なかった。
そんな私に、アーシェは言う。
「ねえお姉さま。わたくし、不思議ですの。まるで、お義姉さまが、昔からの、ずうっと昔からの、本当のお姉さまだったように思う事があるんです。うふふ、変でしょう? そんな事、ある訳がないのに……」
私は、その言葉を聞いて思った。
確かに、アーシェは顔立ちこそ違えど、まるで本当の飛魚を前にしているようだな、と思う事がたまにある。何故だろう、その純粋無垢さ故だろうか?
私はそれを思うと、胸が張り裂けんばかりに悲しくなり、彼女の顔から目を逸らしたくなる事がある。
「そうね……私も、そう思うわ」
反射的に目を逸らし、うつむく。そのまま顔を、目を合わせない。
その様子にアーシェは悲しげな声を上げる。
「……お義姉さまがそうしてわたくしを避けている姿を見ると、わたくし悲しみで胸が張り裂けそうになるのです。顔を上げて下さい、お義姉さま。そしてわたくしを見て下さいまし」
ジッと私の顔を覗き込むアーシェに、私はドキリとする。
そしてゆっくりと彼女の、可愛らしい顔を見る。
「……本当に、可愛いわね。アーシェは」
万感の思いを込めて呟いた言葉に、アーシェは綻ぶ。
「ああ、その言葉、とても嬉しいですわ。お義姉さまに言って頂けるのが、誰よりも嬉しい」
私は実妹を思わせるその世界一可愛い表情に、胸がチクチクと痛むような想いに囚われるのだった。
◆◆◆
(思えば私、ひたすらに衝動的に生きてるな……)
なんというか、何をするにしても行き当たりばったりというか。
感情にダイナマイトの導火線でも付いているんだろうか。
私は先ほどのアーシェに対する取り乱しっぷりもそうだが、この世界に転生してきてからの諸々の出来事を振り返って、改めて自分の行動がその場その場の勢いと感情に任せ過ぎている、と反省し始めていた。
「肝心の魔法使いを捕らえる件も全然進んでいないし」
代わりに上達するのは毎日のようにお母様から教わるダンスやテーブルマナーを始めとした淑女としての嗜みばかり。
これでは、王子との結婚の話がトントン拍子に進んでしまう。
むしろ、魔法使いの存在が要らないくらいに、私の成り代わりシンデレラ・ストーリーは着々と進行しつつあった。
「私……シンデレラ・ストーリーが嫌いなはずなのに、だんだん自分の身にそれが起こるかもしれない事に、高揚を覚えていないか? あの利発そうな、女を外見で判断するだけじゃない王子に娶られる可能性を想像して、ワクワクしているんじゃないか?」
私は自問自答する。
「無いわ。そんなことあり得ない。だって私は、アーシェと暮らしたいから……」
だがその言葉は徐々に尻すぼみになっていく。
ううう。
私は……私の29年間は、何だったのだ……。
こんな簡単なものなのか?
ちょっと顔の良い、顔だけじゃない、性格の良い男が私に気がありそうというだけで、簡単に転んでしまう程、私は安い女だったのか?
「……認めよう、そうだ、私はチョロい。簡単で、安っぽい、十把一絡げで、一山幾らで、何処にでもいるような、代わりの利くような女だ。だが、そんな私にだってプライドはあるんだ」
私は鏡に映る、すっかり西洋人の顔の方が脳に馴染んでしまった小憎らしくも美しい花の顔をキッと睨み付ける。
その奥にある、本当の私の魂を見据えながら。
「初志貫徹とまでは言うまい……が、王子が本当に私が信頼できる男なのかどうかは、見極めさせてもらうわ」
言っても、所詮は数時間、会話しただけだ。
フリード王子が何処まで私の考える男女同権思想やアンチ外見至上主義への理解を示したのかは分からない。
あの場では私がただ思考を乱され、正常な判断を出来なかっただけなのかも知れない。
私はそんな風に悪足掻きの如く、フリード王子の人となりについて、今度会ったら品定めしてやる、と息巻くのであった。
(つづく)