第32話:お兄様が会いに来ました
「セーラ嬢、今日の午後は君の兄上、マレディア侯爵が来ることになっている。久しぶりに兄妹水入らずで、ゆっくり過ごしてくれ…と言いたいところだが。生憎ワイアームがうるさくて」
珍しく私たちの元にやって来たのは、陛下だ。隣にいるワイアーム様をチラチラみながら、お兄様が来ることを教えてくれた。
「父上、人聞きの悪い事を言わないで下さい。本来なら僕も同席したいところを、ぐっと我慢してマレディア侯爵と2人きりになる事を許可したのです」
「本当にお前と言う奴は…いいか、ワイアーム。今は治療の為、極力本能のままに生きる事を許可しているが、完全に元の体に戻ったら、こうはいかないからな。早く元気になって、2人で公の場に姿を見せないとな。それにセーラ嬢を家に帰してあげないと。マレディア元侯爵夫人は、最愛の夫を亡くしただけでなく、娘にも会えないと嘆き悲しんでいるそうだ」
「まあ、お母様がですか?」
お母様は、お父様の事を深く愛していた。お父様を失い、一時は心が壊れてしまい、私やお兄様の事すら理解できなくなるほど、精神的にやられてしまった。そんな中、私までいなくなってしまったのだ。
お母様、きっと寂しくてたまらないのだろう…
「お言葉ですが父上、マレディア侯爵の話では、最近は随分と立ち直り、お茶会や夜会にも積極的に参加しているとの事です。“セーラの為にも私が頑張らないと”そう張り切っていらっしゃると、お伺いしておりますが?」
ん?陛下とワイアーム様、正反対の事を言っているが、どっちが正しいのかしら?
「…とにかく、お前は王太子なのだ。これ以上セーラ嬢を縛り付け、独り占めするのは良くない。その事は肝に銘じておけよ」
そう言うと陛下は、足早に去って行った。
「父上め…好き勝手なことを言って。何が“マレディア元侯爵夫人はセーラに会えなくて嘆き悲しんでいる”だ。セーラ、父上が変な事を言ってごめんね。もし心配なら、今日マレディア侯爵に、元夫人の様子を聞くといい」
「ええ、そういたしますわ」
とはいえ、確かにこのままずっと何もせずに、ワイアーム様のお傍にいる訳にもいかない。私は次期王妃になるのだ。レイリス様によって私の評判は地に落ちていた。ただ今は、ワイアーム様のお陰で、評判も回復していると思うが…
それでもまだ私は、お茶会や夜会に行くのが不安なのだ。もしまた悪口を言われたら…そんな事ではいけないとわかっているが、どうしても一歩が踏み出せない。
「セーラ、そんな顔をしてどうしたのだい?もしかして、夫人の事が心配なのかい?それなあら、今日一緒に来てもらう様にマレディア侯爵家に使いを出そう。実際に会えば、気持ちも楽になるだろう」
私を心配したワイアーム様が、優しく声をかけてくれる。彼はいつも私を気にかけてくれるのだ。ワイアーム様の為に、私もそろそろ外の世界に出ないと。
そっと窓の外を見つめた。
「セーラ、急に外を見てどうしたのだい?もしかして、海が恋しくなったのかい?」
「いえ、そうではありませんわ。私はワイアーム様の婚約者で、次期王妃になる人間です。それなのに、こんなに長時間公の場に出なくてもいいのだろうかと考えてしまって…本来ならワイアーム様の代わりに、私が公の場に出ないといけないはずなのですが…」
私はいつから、こんなにも弱い人間になってしまったのだろう…
「そんな事を気にしていたのかい?君の今の仕事は、僕の傍にいて僕の治療の手助けをしてくれることだ。それに何より、君はあの女のせいで、深く傷ついているのだ。貴族たちもその事は良く知っている。だから無理して、公の場に出る必要はないよ」
「そうかもしれませんが…」
「セーラは真面目だね。とにかく今は、僕の傍にいてくれたらいいから。君の心も落ち着き、僕の体調も戻ったら、その時2人で元気な姿を皆に見せよう」
「ワイアーム様が、そうおっしゃってくださるのなら…分かりましたわ、なんだか少し心が軽くなりました。もうしばらくお言葉に甘えさせていただきますわ」
ワイアーム様もこうってくれているのだ。せめてもう少しだけ、2人の時間を楽しもう。
その日の午後
「セーラ、僕はここで待っているから。いいかい?面会時間は30分だよ。それ以上は待てないからね」
お兄様が待つ部屋の前で、何度も何度もワイアーム様に念を押された。
「ワイアーム様、どうか廊下ではなく、お部屋で待っていてください。終わりましたら、ワイアーム様の元に向かいますので」
さすがに廊下で待たれては、落ち着かないのだが…
「僕の事は気にしなくてもいいよ。さあ、行っておいで」
そっと私の背中を押したワイアーム様。なんだかワイアーム様の様子が気になるが、使用人が扉を開けてくれたので、そのまま部屋に入っていく。
「セーラ、久しぶりだね」
「セーラ!元気そうでよかったわ」
「お兄様とお母様も、お元気そうで何よりですわ。お母様、私がいなくなって寂しくないですか?」
私に抱き着いて来たお母様に、声をかけた。見たところ元気そうに見えるが。
「ええ、私は大丈夫よ。ルイもアマリリスちゃんも傍にいてくれるし。それにね、アレリス侯爵夫人を始め、沢山の貴族夫人たちが、私を気にかけてくれるの。王妃様まで私の事を心配してくださるのよ。だから、私の事は気にしなくても大丈夫よ」
そう言って笑顔を見せてくれたお母様。どうやらワイアーム様がおっしゃっていたことが、事実だった様だ。
「母上もセーラも、座ってくれ。ワイアーム殿下からは、30分しか与えられていないのだからね」
お兄様に促されて、それぞれソファーに腰を下ろした。




