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3皿目 カワサキガールズ

「あんたさぁ。キャディじゃないんだから、その格好はなくない?」


 大きな配達用のバッグを背負い自転車を押し歩くヒロコは、その言葉が自分に向けて言われているということに全く気づいていなかった。多くの人が行き交う猥雑なこの町では、他人の言葉など取るに足らない喧騒の一つに過ぎないのだ。


「ちょいちょい、お前に言ってんだよ! 聞こえてんだろ?」


 そこまで言われてヒロコはようやく自分が話しかけられたのだと思い至り、その歩みを止め硬い表情のまま言葉の主の方に振り返った。


「何でしょう、私に御用ですか?」


 ここは川崎駅東口前にある吟柳街ぎんりゅうがい商店街。ヒロコに話しかけてきたのは、ピンクのラインが入った黒いジャージを上下に着た小柄な金髪の女だった。アイラインが殊更に主張していて、少しでも目を細めるとパンダのように目が真っ黒になってしまう。恐らく彼女はカナダ出身の某ロックミュージシャンを強く意識しているのだろう。


「ごよう? 用はねぇけど、お前のこと毎日見かけるから、声かけてやったんだよ」


「そうですか。私もお姉さんのこと、よくお見かけしますよ」


 実はヒロコも、その金髪女のことはしっかりと認識していた。彼女は夜になるとこの辺りに現れる、キャッチの仕事をしている人物だ。キャッチの人間はガラが悪い人たちが多い印象があるので、なるべく目を合わせないようにしていたのだが、川崎駅前で配達をしていれば吟柳街は何度も行き来しなければならない場所。こちらのことを覚えられてしまうのも必然かもしれない。


「お前さぁ、フーデリの配達員なのにちゃんと自転車押し歩きしてるから偉いと思ってたんだよ」

 

 そう言ってにこりと笑い、パンダ目になる金髪女。ガラの悪いと思っていた人種に、まさかマナーを褒められるとは思わなかったので、ヒロコは返答に困り表情が硬まってしまった。


 ここ吟柳街商店街は、10時から24時までの時間帯が歩行者天国になっている。自転車は押し歩くのがルールだが、まあ守らない輩も少なくない。しかしながら、川崎とはそういう輩が比較的多い町であるのだ。


「けどなぁ、マナーは良くてもお前は格好が駄目だ。何だそのダサい服? キャディさんのコスプレでもしてんのか?」


「ええ、キャディさんですか……」


 金髪女の言う通り、確かにヒロコはつば広のバケットハットを目深に被り灰色で地味なウインドブレーカーの上下を着て配達に勤しんでいる。まあお洒落とは言えないだろうが、それでも全身ジャージで仕事をしている人間に指摘される謂れはない。


「ちっとは肌の一つも出した方が、客もチップ弾んで貰えんだろ? この間、テレビの特集でやってたぜ。フーデリ女子だっけ? 何かあざとい格好して配達してんだよな、あいつら」


 金髪女が鬱陶しそうにそう言うと、タイミングよく先程言ったような薄着のフーデリ女子がタイヤの小さいミニベロ自転車に乗って、颯爽と目の前を通り過ぎていった。ヒロコと金髪女の視線が、そのフーデリ女子の姿に注がれる。


「私もあんな感じの格好をすればいいんですかね?」


「いや、あれは駄目だ。ホコ天をあんなスピードで走ったら、いつか痛い目……」


 金髪女がそう言いかけた時、フーデリ女子が走っていった先から年寄りの悲鳴が上がった。言ってる傍から事故かと思ったがまさにその通りだったようで、商店街の出口にある薬局の前で杖を持った老女が仰向けになり倒れてしまっていた。接触したようだったが、自転車に乗ったフーデリ女子は振り返りもせずにそのまま淡々と走り去っていく。


「マジかよ、あの女っ!!」


 そう言って駆けだす金髪女。ヒロコも自転車を押してその後を追った。


「だ、大丈夫ですか? おばあちゃん」

 ヒロコが手を差し出すと、老女は申し訳なさそうに薄く笑いそして上半身を起こした。


「お店から出てきたら物凄いスピードで自転車が横切っていって、それで……」


 若干混乱しながらも、その時の状況を説明してくれる老女。件のフーデリ女子はすでにどこかに行ってしまっていたが、老女曰く、軽く接触して尻もちをついただけなので怪我などは無いから大丈夫とのことだった。


「怪我してないつっても、許されることじゃねぇだろ! おいダサ女、今すぐあのクソ女を追いかけろ!」


 鼻息荒く憤る金髪女。だが肝心のフーデリ女子の姿は見える範囲では確認できないし、どこに行ったかもわからない。


「そういうのは警察に任せた方が良いのではないでしょうか?」


 ヒロコがそう提案するも、金髪女はあり得ないといった顔で黒い目を大きく見開いた。


「お前馬鹿だろ! 警察なんて呼んで何になるんだよ? ここは川崎だよ、カ、ワ、サ、キ! 川崎では警察見たら110番しろって言われるくらい、糞の役にも立たねぇんだよ!」


「えっ、警察見たら110番!?」


「そうだよ、知らねぇのか? さてはお前、川崎生まれじゃねぇな。どうせ田舎もんだろ? ダサい格好してるはずだよ」


 呆れたように肩をすくめる金髪女。確かにヒロコは川崎出身ではなかった。生まれと育ちは横浜市中区だったのだが、それを言うと新たな火種を生みかねないので口にするのは控えておくことにし、他のことに話を反らした。


「けど、あれですよ。わざわざ追いかけなくても、さっきの女の人ならすぐに戻ってくると思います」


「はぁ? すぐ戻る?」


「はい」


 ヒロコは頷く。あの人が乗っていたのはタイヤの小さいミニベロ。あれに乗ってる配達員なら、恐らく短距離の配達くらいしか受けないだろう。10分足らずで拠点になる駅前に戻ってくるに違いない。


「何でそれがわかる? お前はアストラゼ○カか?」

 眉根を寄せた金髪女は、そのまま小首を傾げた。


「ア、アストラゼ○カ?」


「知らないのか? お前、本当に馬鹿なんだな。預言者の名前だよ。アストラゼ○カの大予言っつたら結構有名だぞ」


 どこか得意げに鼻を鳴らす金髪女。

 ヒロコは成程と感心しつつ何か考えるように視線を上げ、アーケードの屋根を見つめた。製薬会社の予言とは非常に興味深い。後でスマホで検索してみることにしよう。


 そしてヒロコと金髪女は、座り込んでいる老女に肩を貸す。ゆっくりと立ち上がった老女は丁寧に礼を言い、真っすぐな足取りで駅の方角に去っていった。


「まあ、あのフーデリ女子にはむかついたけど、人助けしたから気分が良いな」


「そうですね」


 満足気に笑うパンダ目の金髪女を見て、ヒロコも硬まっていた表情が少しだけ緩んだ。

 普段から交通マナーやモラルのようなものは守っているつもりだが、いざこういった出来事が目の前で起きたら今までの自分なら見て見ぬふりをしていただろう。素早く行動に移す金髪女のおかげではあるが、自分も人から感謝されるようなことができたことを、ヒロコはとても誇らしく感じることができた。


「さあ、じゃあそろそろ仕事に戻るか」


 金髪女が小さい体を大きく天に伸ばすようにして体をほぐしていると、商店街の入り口から進入してきた小さなタイヤの自転車に乗った女がこちらに向かって走ってきた。あれは先程のミニベロに乗ったフーデリ女子だ。


「あっ!! さっきのクソ女!! てめー、止まりやがれ!!」

 怒声を上げるも、フーデリ女子は我関せずといった顔で、そのまま市役所通り方向に走っていく。


「ダサ女! そのチャリ、ちょっと貸せ!」


 有無を言わぬ間にハンドルを奪われるヒロコ。そして金髪女は駆けながら自転車に飛び乗り、多くの人が行き交う商店街に雄たけびを上げながら突っ込んでいった。


「お姉さん、駄目ですよ! 吟柳街はこの時間自転車乗り入れ禁止です!」

 ヒロコはそう叫んだが、興奮した金髪女はそれで止まるはずもなかった。


 これはどうしたものか……?

 困り過ぎてこめかみが痛くなってきたが、そうやって困っていても仕方がない。先程学んだように、こういう時は素早く行動に起こさなければならないのだ。己に対して頷いたヒロコは、後を追うようにその場から走り出した。


 吟柳街の距離は全長250メートル。久しぶりの全力疾走で息も絶え絶えで、膝もこちらの言うことを聞いてくれない。大きな配達用のバッグを背負っているために走りづらいのだが、そんなことにすらも気づかずにヒロコは人ごみの中を走り続ける。


 駄目だ。足が限界だ。

 顎が上がった状態でよれよれと走るヒロコ。すると突然、アーケード内に女性の金切り声が大きく響いた。


 遂に金髪女がフーデリ女子を捕獲したか?

 顎を下げ、顔を正面に向けるヒロコ。視界の先にあるのは、吟柳街の出口付近の大きな車止め。そしてその陰に隠れるようにしていたフーデリ女子に向かって、金髪女が今まさに飛び蹴りを喰らわせようとしていた。金髪女さん、それは傷害事件です。


 キャットファイトを繰り広げる2人の周りには、たくさんの聴衆が集まってくる。大変なことになってしまったと頭を抱えるヒロコ。そしてそんな騒ぎを聞きつけたのか、聴衆に交じり1人の警察官が駅の方から走ってくるのが見えた。


「ま、まずい。警察だ!」


 狼狽したヒロコは震える手でスマートフォンを掴み、急いで110番に連絡した。

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