弐
お姉様の葬儀にあたって、お母様は「姉に変わって貴方が太子の母親役をつとめるのですよ」と13歳の私におっしゃいました。
お姉様がご自身の命に替えてご出産なされた太子を、今度は私が命に替えてもお守りしようと心に誓ったものです。
太子は聡明であり、また身体能力にも長けた優秀な子でしたが、時折何か思索にふけるような、不思議な影のある少年に育ちました。
私は時を隔てて長男ナンダと、長女ナンダーというニ子に恵まれましたが、神に誓って、太子を彼らと区別したことはございません。太子を長男とした3人の子を私は自らの子として育てました。
彼から見れば、私は年の離れた姉のような存在であったかもしれない。しかし私は彼のまさしく母親であろうと、誠心誠意努力いたしました。
なのに時折、太子は、「母親でもないくせに」と言わんばかりの、心底バカにしたような視線を私に向けるのです。いえ、これは私の主観です。私の空回りの努力が見苦しく、そのようにされたのでしょう。そして私の劣等感が、彼の自然な視線をそのように感じ取ってしまうのです。
しかし正直に申し上げれば、そういう時の太子の冷たい視線が、私は恐ろしかった。
いくら背伸びしたところで、私はこの人の母親にはなれない。そんなことはわかっているのです。しかしそうしないことには、私はここで生きることができないではないですか。
その美しく鋭い視線は、精一杯だった私の心を挫くのに充分でした。その視線を受けるたびに、私は恥ずかしくて泣き出しそうになってしまうのです。
私は母親を亡くした太子の、また第一王妃を亡くした旦那様の、それぞれのお寂しさが紛れますよう、努めて良い母・良い妻でいたつもりですが、太子が何やら思い詰めたような瞳で遠くを見つめるたびに、またそうした太子を旦那様がご心配あそばされるたびに、私はやはり役不足であったと自らを責めました。
太子は生まれによって身分や職業が定まってしまう、自由ではないこの社会に怒る、若者らしい情熱を持った誠実な人でした。才能や能力を持ちながら、しかし生まれによって定まってしまった運命のためにそれを活かせない人がいるということに、常に静かな怒りをたたえておりました。
「人は生まれによってバラモンになるのではなく、行動によってバラモンとなるのだ」と太子がつぶやいたとき、私は眼の前の霧が晴れるような心地がいたしました。
「太子、まさにそうです!まさにそうです!生まれによって役割が決まってしまう社会はおかしいと、私もそう思います!」と興奮して応えましたら、太子は黙ったまま、あの氷のような一瞥を私にくれました。
「お前に何がわかるのか」と言われたようで、とても恥ずかしく思いました。私のような女がわかるような浅慮な話ではなかったのです。大変恥ずかしく思います。
旦那様は太子の社会変革への関心を逸らすために、彼に季節に合わせた宮殿を与え、また美しい女たちを選抜して彼の世話係にいたしました。かの宮殿では召使いにさえも雪のような白米に美味なる様々の惣菜が出され、太子がこの世界の闇に気をとられて悲しい思いをすることがないような工夫が施されました。
いくら社会構造に怒ったとしても、いくら太子が優秀な若者であったとしても、彼一人で社会が変えられるわけではないのです。旦那様は彼がその正義感のために却って潰されてしまうことを恐れていらっしゃいました。
太子は27歳のときにやっと妻を娶りました。
十年以上も前から様々の女性との見合いがありましたのに、彼は「まだ早い」だの「もう少し学問を積みたい」だの「今はまだその時ではない」だの理屈を捏ねて、悉くお断りするものですから、私は本当にヤキモキいたしました。
見合い相手の一人だったヤショーダラは、実は私の腹違いの妹にあたります。彼女は太子から見合いを断られた後、その他の男性との見合いを何年にもわたって断り続けたものですから、見かねた両親が再度お願いにいらしたのです。太子に相談しましたところ、今度は太子が手のひらを返すかのように彼女との縁談を大急ぎで進め、婚姻に至りました。
彼女の一途な思いが太子の心を動かしたのだと、これこそ本当の愛だと、心から感動いたしました。
結婚からほどなく、ヤショーダラは懐妊し、長男を無事に出産いたしました。
太子は息子の名をラーフラと名付けました。
そして彼の誕生7日後の夜、ヤショーダラもその息子も遺し、太子は忽然と城を去りました。
一体何が気に食わなかったというのでしょうか。
産後の新妻が、まだその傷も癒えないというのに、初めての育児に不安を抱えているというのに、そうしたことに全く想像がいたらないのでしょうか。なんと薄情な息子でしょう。
ヤショーダラは憔悴し、その後6年にもわたってほとんど飲食を採ることができずに、痩せ細ってしまいました。
また太子が息子に名付けた「ラーフラ」という名は、この地では日蝕・月蝕を引き起こす不吉な悪魔の名前に通じます。
我がシャカ族は太陽神の末裔とも伝えられており、その太陽を齧る悪魔の名をつけられた子は、実はヤショーダラの不義によって生まれたのであり、それだから太子は家を出たのだとの噂が立ったことも、彼女をさらに追い詰めました。
旦那様までがヤショーダラを疑い、彼女はあの手この手で自らの潔白を証明しなくてはなりませんでした。
これは後から知ったのですが、太子にはムリダガーヤという名の愛人がいて、彼女との間にスナッカッタという名の男の子をもうけていたのです。「善星」という意味の名です。
また実は太子には、結婚前に身分違いのゴーピーという女との間にも男の子がおりました。名をウパダナといいました。こちらは「譬喩」という意味です。
あんまりではないですか。あんまりにもヤショーダラが気の毒です。
愛人たちの子には可愛らしい名をつけていらっしゃるではないですか。
それなのに正妻の不貞が疑われるような、呪われた悪魔の名前を子につけ、その子と妻を置いて何も言わずに家を出るなんて。ヤショーダラがどんなにか苦労するか、考えなかったのでしょうか。
旦那様は多くの人を雇って太子をお探しになられました。半年ほどの探索の後、遂に太子が見つかりました。
太子はなんと出家して修行者となり、苦行林にいらっしゃったのです。
参考文献:並川孝儀「ラーフラ(羅睺羅)の命名と釈尊の出家」『佛教大学総合研究所紀要』4号 1997