手紙の行き先
やけに蒸し暑い夜であった。暗がりの部屋の中、女が一人小さな灯りを点けて机に向かっている。
手紙であろうか…細い線が印刷された薄水色の紙に女は何かを必死に書いていた。
余程の力を込めて書いているのか、女の使っているシャープペンシルが悪いのか、一行書くか書かないかで芯が折れる。
ポキンとまた芯が折れ、女の手はイラつきからなのか、はたまた別の理由があるのか、ふるふると震えた。
元々、綺麗な字を書くと思われるバランスの良い形をした女の文字は、先程から芯が折れているのと、感情の高ぶりから時に起こる手の震えにより、細かったり太かったり震えていたりとバランスが良いのに、たいそう見づらい物が出来上がっていた。
書き終えたのか、ジッと紙を見つめていた女だが、急に癇癪でも起こしたかのように、紙をグシャグシャにし、投げ捨てようとした。
だが、思いとどまったのか、感情の糸が切れたのか、シュンと大人しくなった女は手の中で丸まって紙くずと化した物をシワを伸ばして机の上へそっと置いた。
暗い顔をした女は、頭や心を渦巻き支配する感情を振り払うように、頭を左右に軽く振り、気を紛らわすようにおもむろに携帯電話を取り出して何かを操作した。静かな室内に賑やかな笑い声が響いた。
携帯の中に白々しいほどに騒がしいバラエティー番組が映し出された。
女は虚ろな目で画面を見つめ、見ていながらも目には入っていないのか、どんなに笑い声が響こうともクスリとも笑いもしなかった。
数時間後、頑丈な室内物干し竿に首を括って事切れた女が人ではなく、物と化してぶら下がっていた。
体中の体液ではないかと思うほどの液体を女は垂れ流し、部屋はキツいアンモニア臭に支配されていた。
携帯の中では別の阿呆みたいなバラエティー番組が始まっていた。
小さな画面から流れる大音量の笑い声は、アンモニア臭が立ち込める部屋に馬鹿みたく響いていた。
まるで、部屋の片隅でブラブラと揺れる物体化した女の人生を笑っているかのようだ。
時が止まったようだった……。
電波が悪いのか、携帯の中のアナウンサーが奇妙に歪んだ笑い顔で固まっていた。
すべてが意識的に止まったようで、アンモニア臭だけがリアルな現実のようだった。
臭いのせいか、状況のせいか、ここにいるモノは頭がおかしくなるかもしれない。
部屋の配置は完璧で、すべてが図ったかのように意味を持っているような錯覚を起こすかもしれない。
ここに狂った芸術家がいたなら、きっとこう叫ぶであろう…。
『これこそ芸術!シュールレアリスム!』
………笑い話にもならない。
サイレンが近付いてくる。
女の部屋から漂う異常から、誰かが通報したのかもしれない。
騒がしい音と共に、数人の男が女の部屋の扉を開けた。
部屋に入ってきた男達が一様に顔をしかめる様は、不謹慎ながら面白いものであった。
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さて、そろそろ俺もこの部屋をおさらばしなくちゃ……。
捕まったりなんかしたら、たまらない。
俺にはやることがある。
大丈夫さ…捕まらない自信はある…。
誰も俺には気付かないし、気にもとめない…。
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チリン―――
「あ………猫が…」
「おい、新人!ボーっと突っ立ってねぇで、こっちきて手伝え!」
「警部。今、猫が飛び出して…」
「猫ぉ?んなの、いいから早く来い!」
「でも、何か紙みたいなのくわえてたような…」
「ヤギじゃあるまいし、猫が紙を食うかってんだ」
「いや、食べてたんじゃなくてくわえて…」
「どっちでもいい!今は猫はどうだっていいんだよ!とりあえず、検死の結果は自殺と判断された」
「自殺…ですか……まだ若いのに、何があったんですかね」
「それは捜査してみなきゃわからん。でも最近は若かろうが何だろうが、命が軽くなってるのは確かだな…」
「命が軽く…そうかもしれないですね」
チリリン――――
「あの猫…飼い主が死ぬとこ見たんだよな……アイツ、どこに行ったんだろ」
「ほらっ、行くぞ!新人!」
「うわっ、はい!」
チリン――チリリン―――
猫は走る
鈴を鳴らして
スルリスルリと人を避けて
猫は走る
女が書いたクシャクシャの手紙をくわえて
猫は走る
女が愛した男の元へ
女の手紙と悲しみ届けるために
猫は走る
女の恨み晴らすために……
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数日後、ある男の死体が発見された。
自殺と判断された男のポケットには、クシャクシャの手紙が入っていた。
背中に長い長い引っ掻き傷がついていた。
現場に来た刑事の耳に鈴の音が聴こえた気がした。
チリリーン――――




