大事なのは、中身だ。
ライリーは少しばかり期待していた。
この非常事態に、トリスタンが理事長として現れてくれるのでは無いかと、だが来たのはリチャードとライリーの部下のワイアットだけ。
《非常にガッカリですね》
「すまないね、叔父上じゃなくて」
《全くですね、さっさと済ませて下さい》
『いや!コイツが自分で荒らしたんですよリチャード伯爵!』
「ん?君は確か」
『はい、キャベンディッシュ辺境伯の長男、ティモシーです』
「ん?元辺境伯では?今は辺境伯は海沿いに限られてる筈だけど」
『ですが、今でも辺境伯としての誇りと』
「そうかそうか、そのティモシー君はこのライリーが荒らしていた現場を見たのかな?」
『いえ、ですが寮長は鍵の管理をしっかりしていたと』
「そうか、ならワイアット君は寮長を、僕は検分を行うよ」
『はい』
《宜しくお願いします、では俺はトイレに行ってきますね》
ライリーは当初、ギャレットから頭がどうにかしてしまったかと思える様な提案を聞かされた、バカな事を言っているなと思っていたのですが。
実際に変身魔法を目の前で見た事で、少しだけ考えを変えました。
保守派のトリスタンとどうにかなれるのならば、と軽い気持ちで提案を呑んだのですが。
ココまで子供達がバカだとは、あまりにも予想外だったのです。
王都は、もう少し洗練されていると申しますか。
もう少し、手が込んだ策略のある場所で、こんなにも幼稚だとは思わず非常に驚いておりました。
そして、確実にややこしくなるな、と。
清潔に保たれたトイレで、彼は溜息をついた。
綺麗に使用し、清潔を保つ事は衛生的観点からも重要な場所、ココは所謂中立地帯。
なのですが。
《ライリー騎士爵のご子息は、子供だけで諍いを治められないのだと、連帯責任で我々の評価まで下がる事が分からない様だな》
《そも学園では罪を犯した者こそが1番悪い、2番目は傍観者、3番目に親。ですからね、良く分かりますよ、サミュエル先輩は2番目に悪い関係者として名を連ねる事になりますから。そう怯えるのも良く分かります》
《怯えてなど!》
《神聖なトイレで因縁をつける、などとは怯えた弱者にすら許されない事なんですが、可哀想なので今は見逃して差し上げます。では、ご機嫌よう》
《チッ》
洗った手を振って水を飛ばしてやろうと思ったライリーでしたが、流石に挑発が過ぎるなと思い直し、トリスタンが必死に練習して縫った刺繍入りのハンカチで手を拭きました。
あぁ、本当の婚約者になれたら良いのに。
そう思いながら、ライリーは自室の目の前の部屋へと訪問した。
《失礼、ライリーと申しますが、少々宜しいでしょうか》
農民の子供だからこそ、目の前の部屋だからこそ、本当は僕が1番に教師へ伝えるべきだったのに。
「子供の自治の範囲なのかもと思ったのと、少し周りが怖くて出遅れて、すみませんでした」
《いや、自治の範囲かどうか見定めるべき情報が無かったなら仕方無い。それに自治の範囲外だと知った瞬間には行動してくれたんだ、感謝するよ、ありがとう。初日から騒がしくなってしまってすまないね、部屋に空きは有るだろうから、理事長に掛け合うなら今だよ。今なら君は関わらないで済む》
「でも、それだとライリー騎士爵が」
《僕の父が爵位を持っているだけで、俺はただのライリーだ。気にしないでくれ、君は君の出来る範囲を見極め、行動すべきだ》
トリスタン様と同じだ。
庶民だから逃げろとは言わず、尊重してくれる。
「いえ、大丈夫です。トリスタン理事長は、学園は、身を守りながら見守る事も重要だと教えています。僕はそれを実践する機会を与えられたんですから、放棄なんてとんでも無いです」
学べる機会とするか、言い訳とするかは自分達次第。
そう教えて下さったのは、ギャレット準男爵、ココの学園長。
《ならコレ以上は言いませんが、しっかりと自衛して下さいね。コチラも火の粉を払うだけで精一杯になる可能性が非常に高く、ご迷惑をかなりお掛けして、かつ報いれるかどうかは確約出来ませんので》
「はい、見極める力を養わせて頂くつもりで、ダメならしっかり逃げますのでご安心下さい。持つモノが少ないのが僕ら庶民の良い所ですから」
《それも、トリスタン伯爵の言葉ですね》
「はい。身軽に気軽に住む領地を変えられるのが庶民の特権、それと同時に領地を支える者こそが庶民なのだから、礼節を持って正しく迎えるべきだ。と、我々の様に他の領地から来た者にも別け隔て無く接して頂けて、勉学まで。こんなに素晴らしい統治がなされている所は、まだまだ少ないそうですから」
《是非、偽名でも良いですから、ファンレターなるモノをお出しになるべきですよ。伯爵はそう言ったお言葉を非常に喜ぶ方だそうで、そうだ、部屋の検分が終わったら便箋を差し上げますよ》
いつか、しっかりと感謝をお伝えしたいとは思っていたのですが。
「でも、僕、まだ字が汚くて」
《だからこそですよ、俺も伯爵のファンなんです、一緒に出しませんか?不定期にでもお渡しして、字の習熟度が上がれば、きっと喜んで下さるかと》
「でしたら、小さい紙で充分ですので、添えて頂ければと」
《勿論》
「ちょっと良いかな、ライリー君とコーディ君」
「はい理事長代理、ですがもし立ち合いなら辞退させて頂きます。僕はもう彼の友人ですし、もう少し、責任を持って然るべき人物をと思うのですが」
《そうだね、辺境伯のご子息になら更に勉強にもなるだろうし、お願いしたいですね》
「なら、マーカス君だな。スペンサー辺境伯のご子息、マーカス・スペンサーは居るか!マーカス!スペンサー!!」
『はい!』
俺が立ち合いを終えた後は、ライリーをリネン室へ案内をするつもりだったんだけど。
さっき立ち合いを断ったコーディ君が替えのリネン類を持って来ていた、良い子だ。
「助かるよ、良い子だ」
「あ、いえ、出来る事をしたまでですから」
『ゴマすりじゃん、女々しいヤツ』
しまったな、ついいつもの癖で褒めてしまったが。
ココまで、叔父上が居ないと生徒が愚かになるとは、俺も想定してなかったわ。
『な、媚び売り過ぎだよな』
『あんな程度で褒める方も褒める方だよな、だって相手は農民の子だぜ?』
『そうでもしないと統治出来ないんじゃね』
コレは本当に緊急事態だ。
叔父上達が居ない、まだ若い俺だからこそ、つい軽口を言ってしまうのも分かるが。
それにしても、酷過ぎる。
「残念だよ、この荒らされた事だけじゃない。叔父上達が居ないからと言って、汚い言葉を使う子が居る事が凄く残念だ。ライリー君、すまないが少し手を借りたい、叔父上と同じ様にお茶会をするから手伝って欲しいんだが」
《この部屋の支度が終わり次第、向かわせて頂きます》
「僕は前から寮生活なので、手伝いますからライリー君は直ぐに向かえるかと」
『なら僕もお手伝いさせて下さい、明日から覚えるより早い方が良いので』
「うん、ありがとうマーカス君。仲良き事は美しき事だ、では僕は調理室に寄るからね、後は頼んだよ」
《はい》
「承知しました」
『お任せ下さい』
ココは幼年期から寮生活を営む者も在学している、侍従侍女科が存在しているからだ、だからこそ彼ら農民はある意味では大先輩。
なのにも関わらず、元貴族の子供は偉そうで横柄なクセに下品で。
叔父上が心配だ、心を痛めてはいないだろうか。
「はぁ」
ベアトリーチェ(理事長)が痛めていたのは、心もですが、寧ろ胃でした。
リチャードが様子見と報告にと向かった調理室には、器用にも綺麗に型からクッキーを外すガラテア(学園長)、胃痛を和らげる為に自らツボを推す真っ青なベアトリーチェ(理事長)の姿が。
子女の姿になっても相変わらず、同じ様な状態になるのか、と。
それがもう、リチャードの唇を強く噛み締めさせる事になってしまい。
こう笑いを堪えてばかりでは、今度は自らの唇が血塗れになってしまう。
そうだ、ギーに軟膏を貰おう、と決意したリチャードでしたが。
また視線を戻すと、どうにも堪えきれなくなってしまう。
ガラテアの背後にはギャレットが、そしてベアトリーチェの背後にはトリスタンの姿がちらつき。
『どうしたんですか、リチャード伯爵、そんなに眉間に皺を寄せて唇を噛み締めて。もしかして、そんなに向こうは悲惨だったんですか?』
その言葉に、リチャードはふと我に返った。
慣れた手付きでガラテア(学園長)を手伝う庶民の子供達、片や先程までサボっていたであろう身綺麗な爵位持ちの子女達は、わたわたと大騒ぎし始め。
まともなのがおっさんか農民か。
本当に王様が将来を憂いて、この学園を作れと命じたのだなと、改めてリチャードは思いました。
「君達にも、少し話を聞こうと思ってね」
「リチャード理事長代理、加害者の方々へは宜しいので」
「あぁ、それはしっかりと王都の兵にして貰ってるから問題無いよ」
この一言で青ざめたのは、領主の令嬢だけでは無い。
その事にリチャードは更に落胆した。
少し前ですら、爵位持ちの子女ですらも勉学などを学ばせる意味が無いと言われ、ココへ通えるだけでも感謝する令嬢が殆どだった。
特に親世代は今でも字を満足に読めない者が居り、女は学を必要としないと信じていた母親も居た。
だが、そうした女性すらも納得させたのが、内訓学。
実際の著者はギャレットだが、トリスタンの名で発行されている。
そのトリスタンの親戚かも知れない赤毛のベアトリーチェへの加害に、商人の子供までもが加担していたとは。
リチャードは本気で驚いていた、計算高い筈の商人の子ですら、愚か者が居る事を。
「それで、リチャード理事長代理、私達は」
「あぁ、すまないね、あまりにショックで。ココに有るモノで構わないから、少しお茶を淹れてくれないか、外で飲もう」
『はい、ご用意させて頂きますね』
本当に、自然に叔父を尊敬していたからこそ、子供や爵位持ちの裏切りがリチャードは許せなかった。
唇の痛みも忘れる程に、叔父を馬鹿にされた様が許せなかった。
《あぁ、間に合いませんでしたか》
マーカスとコーディが手伝ってくれたお陰で、直ぐに部屋は元の状態へと戻り、2人にお礼を言ってから最速で調理室へ向かったんですが。
時既に遅く、ベアトリーチェ(彼)のエプロン姿を見る事は叶わなかった。
非常に残念な気持ちを抱えつつ、本来の待ち合わせ場所である庭へと向かう、ベアトリーチェ(彼)の手を揉むリチャードの姿を目にし。
つい、嫌味を言ってしまいたくなったライリーだったが、結界内までは我慢する事にした。
《リチャード理事長代理、未婚のご婦人に未婚者が手を触れてはマズいかと》
「いやコレは」
『まぁまぁ、労いですよ、労い』
「君の方も、相当だと聞いたが」
《まぁ、ですがそれ以上に胃痛が軽くなる情報を提供出来るかと》
「おぉ、流石ライリー騎士爵、の子」
そうしてコーディの話をし、次にマーカスの話になると、ベアトリーチェ(彼)の顔色はかなり良くなった。
《顔色が幾分戻りましたね、どれが切っ掛けでしょうか》
「マーカスが、あの方の成婚相手に良さそうだなと思ったんだが」
『ね、このまま評判を維持してくれればね』
「ですなぁ、少なくとも彼のご両親に悪い噂は無い、しかもブリストルとニューポートもココに倣って農民にもしっかり教育させてるみたいだし」
「確かに、治安が良くなったとの礼状は来たが、実際に見てみない事にはだな」
『なら、夏休みには遊びに行かせて貰ったら良いんだよ』
「ちょっと待て、休暇中もコレで過ごさせる気か」
『もし候補者なら下見はしておくべきだと思うけど』
《そうですね》
「はぁ」
「叔父上」
リチャードがベアトリーチェ(彼)の肩に手を添えただけ、なのですが。
《リチャード、今は未婚のご婦人なんですから》
「あぁ、そうだったね叔父さん」
「この格好の時はベアトリーチェと呼んでくれ、混乱する」
『ベアトリーチェ、深呼吸』
ライリーがトリスタンを大好きだと言う事は、公然の秘密と言うか、偏見が無さ過ぎる鈍感なトリスタンだけが気付かない状態だったのです。
そうした何とも言えない状態だった事に加え、そもそも色恋沙汰に関わるのが面倒だとしてギャレットもリチャードも放置しており、かつ特に邪魔する者が居なかった為。
現状維持が続いている状態だったのですが。
ココへ来て、こうした複雑な状態になるとは、流石のギャレットも予想出来無い事でして。
「すまない、もう大丈夫だ」
『後でとびきりの飲み薬を』
「あ、俺にも軟膏を頼みますよ、どうやら唇を噛み締めるクセが有るみたいで」
『ならトリス用に作った軟膏の余りで良いかな、無味無臭だし色も無いけど少ししか無くて、多めに欲しいならベス用のも有るけど』
「じゃあ色無しで」
《なら俺にも、俺には同じモノで結構ですよ》
「それだと少し色が入ってしまうぞ、男なら色無しを貰っておけ」
《はい》
残念がるライリー、残念がるライリーが何故残念がっているのか分からないベアトリーチェ(叔父1号)、少し困った様子のガラテア(叔父2号)。
この様相に、つい、またリチャードが唇を嚙み締めそうになり。
「それで、だ、今後の話でもしますかね」
『うん、そうだね』
庶民、農民の味方は程々に。
ギーに教えられ、俺もそれが理想的な貴族の考え方だと思ったんだが。
どうやら他の貴族は、そうでは無いらしい。
今回の件で改めて実感させられた、子は親の鏡。
愚かな貴族は庶民や農民をゴマを擂る生き物か、使い捨ての道具だとしか思っていない貴族が多いのだ、と。
ギーの作戦としては、トリスタンとしては爵位持ちから同志を募り、時代錯誤の旧貴族思考を排する所からだと。
そしてベアトリーチェとしては、派閥では無く学園内部の新しい組み分けが必要になる、と。
では、具体的にはどうするべきか。
「その、ギーの前はどうだったんだ」
『お針子組とか料理組とかだったけど、それは庶民だったし、基本的にはずっと同じ場所で働くから嫌だったな』
《定期的に、ある程度の人員入れ替えが行われるのが理想的ですが》
「ですね」
『うん、そうしよう』
《なら、騎士科も関わって貰える様にしたいんですが》
『そうだね、様子見とは言えど授業も何もかもを男女別にしていたからね』
「そこだと思うんですよねぇ、他の目が無いと暴走しがちなんで、お互いに目を気にして貰った方が良いのかなと」
「確かにな」
『限られた者の出入りが出来る様に、後援会、応援会とかはどうかな』
「だとして、どう活動すると言うんだ」
『そら差し入れやお針子をしてお助けするって感じで、如何に出しゃばらずに気配りが出来るかの訓練。で、どう?』
《出しゃばらずに、が可能ならですけどね》
「だからこそ、クラブとして教師も制御出来る方が良いでしょうね」
『うん、まだまだ鞭も鞍も必要みたいだし』
「だが、出来るなら、子供だけの自治を完成させたいんだがな」
《素地を育ててる最中なんですし、もう少し長い目で見ていきましょう》
「ですね」
「他にも、そうだな、クラブの活動を増やすべきかも知れないな」
『それを爵位持ちが喜んでしてくれれば最高なんだけどねぇ』
《俺を使えば良いのでは、少なくとも女子には使えますよ》
「あぁ、ならアレはどうでしょう、要望の有った社交クラブ。男子も負けじと反骨精神を持って頑張ってくれたら、良いんですけどねぇ、はぁ」
『そう煽るのは私達、だよ』
「私にも出来るかは甚だ疑問だがな」
《我々もご助力を、そうですね、隠密の御者をココへ入れたいんですが》
「何かそれ怖いなぁ」
《大丈夫ですよ、直属の隠密部隊ですから》
「なにそれもっとこわい」
《連絡をスムーズに取れた方が良いかと、暗殺等の物騒な事は起きないとは思いますが、王都での悪質な行為はかなりのものなので。非常事態には必要かと》
『君も、それだけ危険視してるって事?』
《修道院解散の件も有りますし、念には念を入れるべきかと》
『あぁ、そうだね、他国からの牽制も有り得るのかぁ』
「は」
「え?叔父さん?」
「いや、私は何も」
『前も話したじゃない、無知なバカは扱い易い、知識の有る賢い人間は征服し難い』
「それって例えじゃなくて」
《一部では無く一国が関わる、となれば脅威認定をされてもおかしくは無いかと》
「ぅう」
『こうなるから直接的な言及は避けてたんだけど』
《全く無いとも言い切れないかと、コレだけバカですし、親の力や何かを借りる可能性も有りますので》
「あぁ、叔父さんの平和な学園が」
「いや、だが、まだかの方が来てない今こそだ」
『うん、そうだよ、果ては私達の国の為。この程度、火が上がる前に消せば良い』
《火種と燃料を片付けるだけで良いんですしね》
「まぁ、戦争よりはマシですしねぇ」
「まぁ、確かにな」
《大丈夫ですよ、俺達が居るんですから》
『そうそう』
「王族の後ろ盾、つよい」
こうして、個々人でクラブと内容を考え、記し。
ディナータイムに回し読みをする事になった。