LINE交換を自分から持ち掛けるときってドキドキしません?
「LINEを、交換しませんでしょうか!」
九月三日の朝早くの教室。
御影は声を多少うわずらせながら、隣の席にやってきた雫に対してスマホを差し出した。
教室内は御影と雫以外に誰も居ない。
珍しく康太はテニス部の朝練もあり、教室には居なかった。
雫は登校の直後に唐突に自分に差し出されたスマホをジッと見ている。
御影は、その読めない無表情に内心心臓をバクバクさせている。
というのも、御影は女子に連絡先を聞くという行為が初めてなのである。
否、正確には小学生の頃に、連絡網を無くし、独自の連絡網を作成した幼き日以来なのだ。
そんな生粋のピュアボーイである御影が、自らの意思で殻を破ろうとしたのには、もちろん訳がある。
御影は昨夜ベッドの中で一人考えに考えていた。
どうすれば、自分が両親の助けになれるかを。
夏休み中はそのような発想を抱くことはなかった。
それは、御影が冬二と裕子の計画に関して、経営的な面でも、料理の面でも介入する余地がなかったからである。
実際、御影もただただ、冬二と裕子の話を右から左へ聞き流していたわけではない。
御影なりに理解しようとはしていたのだ。
ただ、悲しいかな。
高校生男子が伝手も無く学ぶ手段というのは、非常に少ない。
まず、真っ先に思い浮かぶ案はネットである。
しかし、ネットは淺井知識を吸収するには、適しているかもしれないが、何事も本格的に学ぼうとする場とは、とても言えない。
『経営 飲食店』などと検索して、出てきたサイトやブログの果たして何割が正しく有益な情報を載せているのか。
かつ、その情報の正誤の判別を付けようとしても、その判断も結局ネットに頼らざるを得ないので、堂々巡りである。
正しい情報も存在はしているので、膨大なデータを比較しまくることで、ある程度学習することは可能かもしれない。
それが非現実的なことであることは、御影にも分かっているから手を出さなかったのだが。
料理に関しても同様だ。
最後にした料理は半年前のインスタント麺。本格的な料理になると、中学二年の頃に行った調理実習の鮭のムニエルが最新の記憶である。
そんな人間が料理に口を出せるわけもなく。
ということで、御影としては、もう全てを見守ることしかできないとなっていたところで、光明が差し込む。
そう、倉下雫である。
精肉店の娘である倉下雫だ。
ここにきて、焼肉にとって、最も重要と言っても過言ではない、お肉について、あらゆるサイトよりも、正確な情報を入手する伝手が手に入る可能性が出てきたのである。
更に、雫視点も、檜森家に売れるなら売りたいと、告白紛いの呼び出しをしてきたくらいである。
その関係は、もはやウィンウィンと言っても過言ではなないだろう。
という、理由で、御影も雫との関係をずぶずぶに深くしてしまい、色々と学ばせてもらおうと決意したからの、LINE交換である。
ヘタレな御影ではあったが、朝一でかつ二人以外に教室には誰も居ないことも功を奏し、LINE交換も持ちかけることに成功。
しかし、内心では断られるのではないかと、びくびくである。
断られた際に、何と言って取り繕うべきか、必死で脳をフル活用している。
しかし、その懸念も杞憂に終わるのだが。
「良いよ?」
ということで、檜森御影の初めての異性との、業務連絡のためではない連絡先交換という一大イベントが、幕を閉じた。
多くの人は、たかだかLINE交換に何をビビっているのかと思うかもしれないが、人間何事も初めてとは緊張するものなのである。
流石は現代っ子同士、パパっとアカウントの交換を済ませる。
ちなみに、御影のアカウント名は『檜森御影』フルネームそのままだ。
一方、雫のアカウント名は『!(^^)!雫!(^^)!』と顔文字に挟まれ非常に見づらいことになっている。
そして早速、ピコンと御影のスマホが音を立てながら僅かに震える。
メッセージの送り主は雫だ。
『ヽ(゜∀。)ノウェ~い』
「どう検索すればこの絵文字は出てくるの⁉」
御影がツッコんでいる横で、当の送り主は相変わらず読めない表情を浮かべているだけだ。
(倉下さんってやっぱり、文章だと性格変わるタイプだよね?)
そんなタイプの人が存在するのかと、内心の疑問を禁じ得ない御影であったが、居るものは居るのだからしょうがないのである。
と、LINE交換をしていると、ぽつぽつと御影と雫以外のクラスメイトも、教室にやってき始めた。
御影と雫が会話をしていようが、席が隣という事もあるので、特に誰も注目も集めない――
というわけでもなく、話しかけられこそしないが、そこはかとなく視線は集めている。
それもそのはず、倉下雫が、授業以外で誰かと世間話をしている姿が稀であるからだ。
清楚で落ち着いた雰囲気を纏いながらも、その整った顔立ちから、どこか近寄りがたい空気が教室の中にあり、用事がある時以外に話しかける度胸のある人がいなかったのである。
もちろん、春の頃には雫を狙って話しかける男子は多々いたが、会話が続いてる様子は誰も見たことなく、あえなく撃沈していた。
まあ、御影も会話と言えるほどのことをしていたわけではないのだが。
少なくとも、御影は知る由もないが、倉下雫のLINEの中に、男性として登録されるのは、家族以外では初である。
初めてのLINE交換でありながらも、実は高難易度クエストをクリアしていたことに、御影が気づくことは、この先もなかった。