名が知れてりゃ美味いは嘘(美味しい場合が多いだけ)
ここから書きたかったことになります。
お茶とお菓子で一息ついたところで、話題は『丸喜精肉店』から移り、檜森家がどのような開店計画を進めているかの話題に。
「お店の場所は、決まっての?」
御影は『松月』に関しての説明を雫に行う。
「そうなんだ。じゃあ、今は焼き肉屋用にリフォームしている、のかな?」
「そうだね。『松月』のマスターの伝手で、もう改装し始めてるんだって」
檜森家からしたら、何から何まで至れり尽くせりで『松月』のマスターには頭が上がらない。
そもそもが個室ありの定食屋だったので、飲食店に必要な基本的設備は既に整っている。
鉄板であったり、換気の設備が主なリフォーム内容だ。
「で、ちょうどそこら辺の話が一段落着いたから、メニューとか仕入れをどうするかっていうところみたい」
ゆえに、檜森家にとっても『丸喜精肉店』にとってもタイミングはすこぶる良かったのだ。
「じゃあ、まずはターゲット層をどうするか、だね?」
「う~ん。結構、田舎よりだから、やっぱり常連客を作るしかないよね?」
立地としては、過疎地のような極端な田舎ではないが、交通の便が優れている都会なわけでもない。
住宅街の中に店を構えることになるので、そこの家族層がターゲットとなってくるという読みである。
「なら、やっぱり値段はリーズナブルなところ、かな? 近くに焼肉チェーン店とかって、あったりする?」
「えっと……。車で一〇分もかからない場所に一軒あるね」
いわずと知れた安さが売りの全国チェーン店が存在している。
「そっか、じゃあ、安さだけじゃ、ダメだね。何か工夫しないと、ね?」
「やっぱり、競合があると難しいのかな?」
「うん、そうだね。何か特質を出すか、そんな邪魔なお店は潰すかしないと、やっていくのは難しいと思う」
物騒なことを言いながら、手に持っていたチラシをぐしゃっと握りつぶす雫。
「つぶすって物理的な話⁉」
あまりにも雫が表情を変えずに淡々と言うので、御影は背筋が冷えるのを感じる。
界隈を牛耳ってそうな、精肉店の孫娘が言うので、迫力が尋常じゃないのだ。
「嘘。冗談だよ?」
「あはははは…………」
御影としても苦笑いしかできない。
背筋には冷や汗が。
「じゃあ、何で、特徴を出すか、ということが問題」
「う~ん。素人的な考えだと、ブランド牛的なやつ? えっと、松坂とか神戸とか、あとは近江とかが有名なんだっけ?」
「うん。それは日本三大和牛、だね。私も食べたことある。確かに、すごく、おいしかった」
雫はその時の味を思い出したのか、少しうっとりとした表情である。
「でも、あんまりブランドを推す売り方は、おすすめしない、かな?」
「なんで? 美味しいんでしょ?」
先ほど浮かべた蕩けた表情とは、打って変わって真面目な雫に、首をかしげる御影。
御影からしたら美味しいし、有名なお肉を使わない理由が逆に思いつかない。
「まず、すごく高価。地元の人なら、特別なルートもあるかもしれないけど、ここら辺で、そんな伝手がある人は、たぶんいない」
高価というのは、当然と言えば当然の話である。そもそも、三大銘柄和牛と謳っているのだから、安価なわけがないのだ。
そして、雫はさらにもう一点ブランド牛をおすすめしない理由を語る。
「あとは、ブランドだからって良い牛だっていう確証はないんだよ?」
「うん? それって、どういう……?」
「——ちょっと、待っててね」
雫は少し思案した後に、何か思いついたのか、パタパタと部屋を出ていった。
待つこと数分で、雫は戻ってきた。
その手には二枚の大きさの異なる二枚の紙皿が。
そして、その両方の紙皿の上には、焼肉用として長方形にカットされた牛肉が各四枚ずつ乗せられていた。
「うわ、どっちも美味しそうだね!」
「いわゆるロース、だね。どっちの方が、美味しそうに見える?」
「えっ⁉ どっちが…………」
御影は机の上に置かれた合計八枚の牛肉を凝視する。
どちらも、霜降りと呼ばれるように、脂、つまりサシがしっかりと入ってはいる。
ただ、よくよく観察してみると、そのサシの入り方も細部が異なっている。
薄い紙皿に乗せられているロースは、少し太めの脂の線が網目状になっており、その網目と網目の間にもキメ細かく点々とサシが入っている。
色も赤色と言うよりは、ピンクっぽい色をしている。
一方、厚底の皿のロースは、薄い紙皿のロースと同様に太めの脂の線は入ってはいるものの、目立つサシはそれくらいで、少し赤色が目立つ。
「こっちの薄い紙皿のやつの方が、美味しそう――というか高そうな感じがするね」
「ファイナルアンサー?」
「うん、ファイナルアンサー」
「…………………………………………………………………………………………………残念」
「——溜めたね」
「ちょっと、やってみたかった」
少し満足そうな雫。
そして、ずいぶん溜めた後の雫の正解発表はハズレだった。
「そっか、こっちの方が高いんだね」
御影は以外そうに、厚底の紙皿に並べられたロースをまじまじ眺める。
「うん。そっちの方が値段は高い。でも、間違った目利きじゃ、なかったよ」
「と、言いますと?」
間違ったのに間違えていないとはこれ如何に。
御影の頭は混乱してしまっている。
「まず、こっちの高いロースは、実は飛騨牛です。知っている?」
御影は当然とうなずく。
飛騨牛。それは岐阜県発祥の銘柄和牛である。御岳をはじめとする北アルプスの山々に囲まれた広大な大地で育てられた牛である。
「たまたま、おじいちゃんが仕入れていたから、ちょっと源さんにカットしてもらったんだけど、このロースは部位的には、もも肉になるの。等級は四等級で、一〇〇gだいたい四五〇円くらいで仕入れてる。逆にそっちの安い方のお肉も同じ部位の名前もついてない和牛で、そっちは一〇〇g四〇〇円くらいで仕入れている。単価的にはもちろん、飛騨牛の方が高い」
今までにないくらい饒舌にしゃべる雫の様子に、御影は少し面食らう。
「飛騨牛の方が高いんだけど、お店としては、というより、私含めておじいちゃんや源さんも、檜森くんと同じでそっちの安い無名の和牛の方が、美味しそうに見えるし、実際に美味しかったっていうことです。うん、あとで、焼いて食べようね?」
妙案が思いついたとうんうんとうなずいている雫。
その雫を前に御影は、今された説明を脳内で繰り返し、なんとなくだが雫が伝えたいことは理解した。
「つまり、ブランドっていう名前で高くなっているだけで、実際には特に名前もついてないようなお肉の方が美味しいってこと?」
「まず前提として、お肉は生き物だから一頭一頭個体差がある、の。もちろん飛騨牛でも、すごく出来の良くて、美味しい牛さんはいっぱいいるけれど、今回みたいに個体としては無名の牛よりも良くない牛さんも、どうしても出来てしまう」
つまりは水物ということである。
どれだけ名前でカテゴライズしたところで、生き物を飼育しているのだから、すべてがすべて狙ったような上出来な銘柄和牛にはならないということだ。
もちろん、名前が付けられているという事は、決められた飼育方法があるということで、ある程度の品質の特徴が担保はされるが。
それでも、完全に同じ個体の牛が生まれることはない。
その出会いは一期一会なのだ。
「今は、結構、大手のメーカーさんが、自分たちの農場で独自のブランドを、作ったりもしている」
「それは、昔からある有名なお肉じゃないってことだよね? 美味しいの?」
「もちろん。ピンキリだけど。美味しいことも多い。そもそも、和牛が美味しいから、ね?」
「それは確かに」
日本の誇る和牛なのだから。そもそも美味しいのが前提なのだ。
和牛の話にひと段落が付き、雫は机のお肉たちに目を向ける。
「じゃあ、これ、ちょっと、焼こうか?」
そう言うと雫は立ち上がり、部屋から出ていく。
一分もしないうちに雫は戻ってきて、その手には今度は家庭用の小さ目なクッキングヒーターが。
雫は慣れた手つきでセッティングを済ませ、電源を付ける。
温めている最中に、雫はふたたび部屋を離れ、またすぐさま戻ってきた。
その手には少し赤みがかって黒色の液体が入った小皿が二枚。
「これ、うちのオリジナルの焼肉のタレ」
「ありがとう! すごいいい香り……」
小皿を受け取った御影の鼻孔をくすぐるのは、芳醇な甘い香り。
その中にある、少しの醤油の香ばしい匂いが、とても空腹を煽ってくる。
たれの表面にはゴマと刻まれた唐辛子が点々と浮いており、ピリ辛であることを連想させ
そうこうしていると、鉄板も十分に温まり、雫がお肉たちを焼きにかかる。
まずは飛騨牛の四枚からだ。
肉たちは鉄板に置かれた瞬間に、ジュウゥと芳しい音を立ててその色を鮮やかな赤から、茶色へと変貌させていく。
雫は。十秒くらいで四枚全ての肉をひっくり返し、その後再び十秒ほど焼いたところで、肉たちを鉄板から救出する。
取り出された肉たちはまだ少しだけ、赤みを残している。
その絶妙な赤みと茶色のコントラストが、御影の食欲を刺激する。
「ちょっと赤いけど、新鮮な和牛だから、これくらいが、一番おいしい、よ?」
「うん、ありがとう。いただきます」
御影は受け取った肉の一枚をたれに軽くくぐらせ、口に運ぶ。
「——美味しい!」
御影が口に入れたお肉は、溶けるという感覚はなく、しっかりと肉肉しさを残しつつも、柔らかく、また和牛独特の濃厚な甘みが噛めば噛むほど溢れてきて、それがピリ辛のたれとマッチして、美味しさが口の中で広がっていく。
感動しながら、咀嚼している御影を確認しつつ、雫も一切れ、お肉を口の中に運ぶ。
「……うん。美味しいね」
雫もうっとりとした表情を浮かべながら、口の中のお肉を味わっている。
「なんか、ブランド牛とかって初めて食べたきがするけど、めちゃくちゃ美味しいね!」
そして、もう一枚のお肉を食べながら、御影は思う。
やはり、少し見た目が悪くても、こんなに美味しいなら銘柄牛を使用した方がいいのではないのか、と。
その御影の思考を察したのか、雫はもう一つの紙皿に手を伸ばす。
今度は、名もなき、しかし、御影含め見た目は高評価を得た和牛である。
同じく四枚、鉄板の上に敷かれ火を通していく。
雫は先ほどの飛騨牛と同様に、少しだけ赤みを残して、お肉たちを救出していく。
焼かれてしまうと、飛騨牛との違いは判別つかない。
御影は飛騨牛の味を覚えているうちに、と思い素早くたれにくぐらせて口に運んでいく。
「…………え?」
口に入れた瞬間。御影に電流は知る。
何故なら、その味が先ほどの飛騨牛に比べて、味わいがあっさりとしていたからである。
見た目は明らかに、今口に運んだ無名の牛の方が、脂が乗っており、悪く言えば、くどそうであったのに、全く脂のキツさを感じないのである。
かといって、旨味がないのかと言うとそういうことではない。
和牛ならではの旨味、甘みはしっかりと感じることもできる。
御影は、触感や肉肉しさにさほど違いは感じなかったが、同じ和牛でもここまで味に違いが出るのかと、驚きを隠せない。
「うん、こっちも、美味しいね」
こうなることが分かっていたのか、雫は特に驚きもせずに、焼肉を味わっていた。
「同じ和牛でもこんなに味が違うんだね……」
「育て方が違うから、ね? 今回は、後のお肉には、特に味がさっぱりしているイメージのある、農場からのお肉を使ったから、余計に、かも」
「これは……何ていうか、もうどっちが美味しいかは好みの問題かも」
前提として、どちらも非常に美味だったのだ。
前半の飛騨牛は、どちらかと言えば、濃い味の好きな若者向けの味。
後半の和牛は、少しくどさが気になるお年頃の大人や女性向けの味。
食べる人によって、優劣は異なるだろうと御影は思った。
「うん、ごめん。飛騨牛じゃない方が、良いお肉って言って。正直、ここまで、味のある良いお肉だとは、思わなかった。むしろ、私は、ここまで味があるなら、飛騨牛の方が、美味しいと、思っちゃった」
雫も少し、しょぼんとしている。
目利きの自信があったからこその落胆だろう。
「いや、そんな謝らないでよ⁉ ごちそうしてもらった立場だし、お肉の違いも味で理解できたし」
「私の、プライドが、許さない」
「あれ、そんなキャラだった?」
雫は苦々しい表情を浮かべている。よっぽど堪えているようだ。
「でも、そんな倉下さんや源さんですら、食べてみないとわからないんだね」
「うん、そう。それだけ、お肉は難しい。源さんですら、お勧めしたお肉が味がなかったって、クレームを貰うことは、結構ある」
「あー、そうなんだ。大変だね。ていうか、買う人って、そういう味とかってしっかりわかるんだね」
御影は思わず『丸喜精肉店』の客層の、味覚の鋭さに感嘆する。
御影は食べ比べてみたからこそ、今回の飛騨牛と一般和牛における味の差異は理解できたが、とある日に単体で買った和牛が、上等な味をしているかどうかなど、判断できる自信は微塵も湧かなかった。
「特に、奥様たちからの、クレームが多いの」
「それは、余計にややこしいことになっちゃいそうだね……」
御影の脳裏には、ド派手なギラギラした服を着こなしたマダムたちが、源に文句をつけている場面が浮かんだ。
「まあ、何故か、その奥さんたちと減産が、数時間、どこかに行ってきた後に、仲直りしてるんだけど、ね」
「それは、別の意味でややこしいことになっているんじゃ……」
御影の脳裏から先ほどの妄想は消え、ピンク色のイメージが脳内を支配する。
ただ、源の筋骨隆々でダンディな容姿もあり、非常にしっくりくる妄想であった。
「何、してるんだろうね?」
雫が御影に爆弾質問を投げかける。
御影は思わず反射的に、ナニをしているのでは? と答えそうになるが、グッとこらえる。
「いや……、何してるんだろうね? ワカンナイナー」
「今度、ついて行ってみようと、思っているの。檜森くんも、一緒に行く?」
「いや、絶対に行かないし絶対にやめたげて!」
書き溜めはここまでなので、ちょっと遅くなると思います。
どのようなものでも感想などいただけたらうれしいです。