「ごめんなさいね。私と彼は運命の赤い糸で結ばれてるのよ!」と元・婚約者が言っているが、お前の赤い糸は何本あるんだよ?
新作短編小説になります。
どうぞよろしくお願いします。
「アルヴィン・リグウルフ! 貴方との婚約を破棄いたしますわ!」
「…………はあ? 急に何を言ってるんだ、お前は?」
王都にある国立貴族学院。
王族や貴族が通っている学園の卒業パーティーで突如として放たれた婚約破棄宣言に、アルヴィン・リグウルフは呆れて肩を落とした。
3年制の学園においてアルヴィンは2年生であり卒業生ではない。
しかし、本日は卒業生を見送る側の立場。運営スタッフの責任者としてパーティーに参加していた。
卒業パーティーをつつがなく終わらせるために身を粉にして働いていたというのに……婚約者である女性から婚約破棄されてしまった。
「……キャロライン、ここをどこだと思っているんだよ。少しでも状況判断能力があるのなら、ちょっとは場をわきまえていただきたいんだが?」
呆れ返ったアルヴィンは嫌味混じりの溜息をつく。
アルヴィンの視線の先にいるのは、悪趣味なほど派手なピンクのドレスを身に纏った女子生徒である。
彼女の名前はキャロライン・ウルベルティア。
この国――ウルベルティア王国の王女であり、現・国王の唯一の子供。いずれは女王となって王位を継ぐことになる『王太女』だった。
アルヴィンの父親であるリグウルフ公爵は国王の弟にあたるため、キャロラインはアルヴィンにとって従妹にあたる。
王女を相手にぞんざいな口調が許されているのもそのためだった。
さらに、悲しいかな……アルヴィンはキャロラインの婚約者であり、いずれは『王配』となってキャロラインの治世を支えることが決定している。
アルヴィンにとってワガママな従妹の暴走はいつものことだったが……それでも、卒業パーティーという祝いの場をぶち壊しにしてくれるとは思わなかった。
「ええっと……とんでもなく頭の悪いことを言っていたような気がするが、何だっけ? 婚約破棄とか言ってたか?」
「まあ! 流石は『加護無しの無能者』ねえ! 私の言葉を聞き逃すなんて、とうとう耳まで腐ってしまったのかしら!」
キャロラインが傲然と胸を張り、婚約者に向けて高々と中傷をぶつけてくる。
アルヴィンとて聞き逃したわけではない。
言葉の内容があまりにも場にそぐわず、荒唐無稽なものだったから確認しただけのことである。
「キャロライン。もう一度確認するが、ここがどういう場であるのかわかってるのか? 婚約破棄だとか喚いてたけど……後にしてもらえないか? こっちは見ての通り忙しいんだよ」
アルヴィンは鬱陶しそうに舌打ちをする。
現在は卒業パーティーの真っ最中。アルヴィンはその企画運営の責任者だった。
本来であれば、卒業パーティーの進行は在校生の中でもっとも高い身分を持つキャロラインがやらなくてはいけない仕事である。
だが……先ほどの言動からもわかるようにキャロラインは非常に残念な性格をしていた。
彼女に任せれば卒業パーティーが滅茶苦茶になるのは明白。悲惨な未来を予想していた教員から頼まれ、婚約者のアルヴィンが代わりに責任者を任されたのである。
(どっちにしても滅茶苦茶にしてるけどな! 本当に、コイツはどんだけ足を引っ張ってくれるんだよ!?)
アルヴィンは心の中で叫ぶ。
今日は卒業生を送るための祝いの場なのだ。騒ぎを起こすなどもってのほか。
婚約破棄などという個人的な理由で台無しにするなど、あっていいことではなかった。
現に、周囲で王女の宣言を聞いた卒業生からはざわめきが生じており、先ほどまでの和やかな空気がぶち壊しになっている。
「もちろん、わかっているわよ! この場にいる皆さんには真実の愛の証人になってもらいたくて、あえてこの場を選んだのだから!」
「真実の愛だと……?」
「ええ! 私はアルヴィン・リグウルフとの婚約を破棄して、ここにいるジュリウスを新たな婚約者にすることを宣言しますわ!」
キャロラインの横に1人の男が進み出てくる。
豪奢な白スーツを着て、不敵な顔で現れたのは卒業生の1人。ジュリウス・カイル伯爵子息だった。
「すいませんね、リグウルフ殿。僕は王女殿下と真実の愛で結ばれているのです。未来の王配という、貴方の地位を奪うことになって本当に申し訳ない」
ジュリウスが嘲るような目でアルヴィンを見やり、ニヤリと唇を吊り上げた。
アルヴィンの家は公爵家。ジュリウスは伯爵家の人間である。格下の貴族からあからさまに無礼な態度を取られ、アルヴィンの目が険しくなる。
「……カイル伯爵は子供の教育に失敗したらしいな。御子息は貴族の序列すらわかっていないらしい」
「僕は王女殿下の婚約者となるのですよ。王配となる人間に無礼をしているのは貴方のほうではないですか?」
「勘違いをしているようだが、国王陛下の承認が得られるまでは俺がキャロラインの婚約者だ。非常に残念なことにね。つまり……現時点において君はただの伯爵子息でしかない。確認させてもらうが、カイル伯爵家はリグウルフ公爵家を敵に回すつもりかね?」
「うっ……それは……」
正論で言い含められて、ジュリウスが悔しそうに言葉を濁らせる。
この程度で言い負かされるということは、特に深い考えもなくこの場にやってきたらしい。
アルヴィンは頭痛を堪えるように額を押さえて、さらに追撃の言葉をぶつける。
「ついでに言っておくが……今は学園の卒業パーティーの最中だ。国王陛下が筆頭理事を務める貴族学校の式典を私物化する権利を、貴方がお持ちなのかな? 王家を軽んじる者が王配になろうとは、ずいぶんと舐めた話じゃないか」
「う、ぐっ……」
「黙りなさい、アルヴィン! 次期女王である私が許可しているのだから文句はないでしょう!? それ以上、私の夫となる男を貶めることは許しませんわ!」
追い詰められた恋人を見て、キャロラインが目をつり上げて割って入ってくる。
「私とジュリウスは『運命の赤い糸』でつながっているのです! 貴方ごときに私達の仲が引き裂けると思ったら大間違いですわ!」
「『運命の赤い糸』ね……」
「それにジュリウスは『剣聖』のギフトを持っているのですよ? ギフトを持たない加護無しの貴方と違ってね!」
ギフトというのは文字通り神からの贈り物であり、『加護』とも言われる特別な力だった。
ギフトを授かることができるのは100人に1人ほど。貴族でも持っていない者のほうが多く、『加護無し』であったとしても別に差別されたりはしない。
しかし、王家に嫁入り・婿入りする人間は『加護持ち』が選ばれることが多く、キャロラインはそのことをあげつらっているのである。
「俺も一応ギフトを持っているんだがな……知らなかったか?」
「ふふんっ! 『縁使い』なんて胡散臭いギフト、本当は嘘っぱちなのでしょう!? 目には見えない『縁』を操るなんて、そんな力があるわけないじゃない!」
実のところ、アルヴィンもまた加護持ちだったのだが……その力はアルヴィン以外の目には見えないものであるため、キャロラインはその存在を認めていなかった。
アルヴィンを『加護無し』であると決めつけ、別の男に乗り換えようとしているのだ。
(あーあ、こりゃあダメだ。さすがに限界……これ以上は付き合いきれない)
アルヴィンはゆっくりと首を振った。
アルヴィンがキャロラインの婚約者に選ばれたのは、女王となる彼女の治世を支えるため。公爵家の生まれであるアルヴィンが後ろ盾となれば、女性であるキャロラインが軽んじられることなく王として君臨できると国王が判断したためである。
別にキャロラインに恋愛感情を抱いていたわけではない。伯父である国王がどうしてもと頼んだために仕方がなく婚約者となったのだ。
(こうして公の場で中傷されてまで縋りつくほど、王配という地位に未練はない。国王陛下……伯父上には申し訳ないが、この辺りで見捨てさせてもらうか)
キャロラインは気がついていなかったが、アルヴィンはずっと陰になり日向になり婚約者のことを支えていた。
暴走しがちなキャロラインが問題を引き起こしたときにはフォローを入れ、彼女を王位から引きずり降ろそうとしている人間の悪意を秘かに取り除いていた。
そんなアルヴィンの働きに報いることなく、目に見えたギフトの力がないからと婚約を破棄する王女にはいよいよ愛想も尽きてしまった。
「従妹ということで甘やかしてきたが、それもここまでだな。婚約破棄は確かに承った。公爵である父には俺から伝えておく」
「フンッ! わかればいいのよ! これでもう愚図な貴方の顔を見ずに済むのだから清々するわ!」
「……そうかよ。良かったな」
アルヴィンは短く答えて、周囲で見守っている卒業生らに向き直る。
「皆様、私事にてお騒がせして申し訳ございません。後日、公爵家よりお詫びの品を送らせていただきます故、どうかご容赦くださいませ」
優雅に頭を下げるアルヴィンに、卒業生らから感嘆の溜息が漏れる。
対して、一方的に場を騒がせたキャロラインとジュリウスには非難の視線が突き刺さった。
「うっ……!」
「な、なんなのよっ! 私は何も間違ったことはしていないわよ!」
ジュリウスが顔を引きつらせ、キャロラインがたじろぎながらも悪態をつく。
そんな2人を放っておいて、アルヴィンはさらに言葉を重ねる。
「それでは、少し早いですがここで楽団の演奏を始めさせていただきます。皆様、どうぞ一流の演奏者が奏でる音楽をお楽しみください!」
アルヴィンが右手を会場前方に向けると、そこでスタンバイしていた楽団が優雅な音楽を奏ではじめる。
ある者は卓越した演奏に聞き入り、ある者は親しい友人の手を取ってダンスを踊り出した。
会場の空気は一変しており、先ほどの悪い空気は吹き飛ばされている。
「何なのよ、もう!」
自分を取り残して進んでいくパーティーにキャロラインは悔しそうに歯噛みして、ずかずかと会場の出入口に向かっていく。
恋人であるジュリウスも慌ててそれについていく。
「……どうかお幸せに。なれるものならね」
そんな2人の背中にアルヴィンはそっとギフトを発動させた。
アルヴィンの視界に無数の『糸』が出現する。それは『縁使い』のアルヴィンだけに見える『縁』の糸。人と人とのつながりが視覚化された糸だった。
例えば、友人同士であれば青い糸で結ばれている。家族であれば緑の糸。悪意を持つ敵対関係であれば黒い糸。職場の同僚や上司部下といった事務的な関係であれば、灰色の糸が人と人とをつないでいるのだ。
そして……恋愛関係は赤い糸。いわゆる『運命の赤い糸』というやつである。
(なるほどね……確かに、あの2人は『運命の赤い糸』とやらで結ばれているらしい)
会場から出て行くキャロラインとジュリウスの小指には赤い糸がついており、お互いを結び付けている。
だが……その糸はあまりにも細く、今にも千切れてしまいそうなほど拙く見えた。
糸は『縁』が強ければ強いほど糸は太くなり、細ければ細いほどに関係が薄くなる。あの2人の間に確固たる絆はないことをアルヴィンは確信した。
加えて、キャロラインの小指に結ばれている赤い糸は1本ではなかった。
10、20、30……数えられないほどの糸があちこちから伸びてきて、小指に絡まって毛玉のようになっている。
どうやら、浮気相手はジュリウスだけではなかったらしい。他にも関係を持った男が大勢いるようだ。
(まあ……知ってたけどな。だいぶ前から。いつかこうして破局する日がやってくると思ってたよ)
アルヴィンにとってキャロラインとの婚約は嫌々結んだ政略としての関係である。
それ故に彼女が数多くの男性と浮気をしていることを知りながら、ずっと放置していたのだ。
仮に注意をしたところで、あのワガママ王女が改めるとは思えない。
キャロラインを甘やかしている国王に相談したことはあるが、「娘はまだ学生だから見逃して欲しい」などと言って強く叱ることはしなかった。
「『運命の赤い糸』で結ばれている……だったか? 笑わせてくれるよな」
アルヴィンは元・婚約者の言葉を反復して、皮肉そうに嘲笑う。
「お前の赤い糸は何本あるんだよ。そんなグチャグチャに絡まった赤い糸で幸せになれるものならなってみやがれ」
小さな騒動は起こったものの、貴族学園の卒業パーティーは無事に終了した。
ハプニングの渦中にいながら見事に役割を果たしたアルヴィンは、教員や生徒から信頼を深めることになった。
対して、王命によって結ばれた婚約を勝手に破棄したキャロラインは、国王からこれでもかと叱られることになってしまう。
自分に甘いはずの父親からの叱責に、キャロラインは涙目になって必死に言い訳を重ねたとのこと。
その後、国王が公爵家にやってきて、非公式ながらも頭を下げて謝罪を繰り返した。
『婚約破棄は取り消すので、これからも王配として娘を支えて欲しい』などと言い募る国王であったが……公衆の面前で行われた婚約破棄を無効になどできるわけがない。
アルヴィンの父親であるリグウルフ公爵も珍しく感情を荒げて、「ふざけるな、息子は貴方達の玩具ではない!」と国王を追い返していた。
アルヴィンとキャロラインの婚約関係は無事に解消され、アルヴィンは自由の身となったのである。
◇ ◇ ◇
あの婚約破棄騒動から数週間後。
3年生に進級したアルヴィンは、いつものように学園の中庭で昼食を摂っていた。
芝生の上に広げられたシートには料理を詰め込んだ弁当箱が並べられている。肉、魚、野菜……バランスの取れたメニューは栄養が豊富なだけではなく、彩りも鮮やかで食欲を誘ってくる。
「アルヴィン様、どうぞ召し上がってくださいな」
ニコニコとした笑顔を浮かべ、アルヴィンに手作り弁当を薦めてくるのは2歳年下の小柄な少女だった。
幼さが残る可愛らしい顔。肩の上で揃えられた青みがかった髪。タレ目がちの目元は大人しそうな印象を与えるものの、キラキラと輝く青い瞳には強い意思が宿っているように見える。
アルヴィンと2人で昼食を食べている後輩の女子──彼女の名前はティトラ・イルティーナ。アルヴィンの新しい婚約者であり、今年から貴族学園に入学してきた新入生の少女である。
前の婚約が解消されてから2ヵ月と経っていないにもかかわらず、アルヴィンはすでにティトラという新しい婚約者を得ていた。
そのきっかけとなったのは……意外なことに、卒業式で勃発した婚約破棄騒動である。
キャロラインとの婚約が解消されてから、アルヴィンは浮気相手であるジュリウス・カイル伯爵子息について調査をした。
婚約破棄について恨んでいるわけではなかったが、やはり格下の伯爵家に泥をかけられたとなれば、リグウルフ公爵家としても泣き寝入りするわけにはいかない。
しかるべき抗議と圧力をかけるべく、カイル伯爵家を調査することになったのである。
調査をはじめてすぐに気がついたことだが……キャロラインの不貞相手であるジュリウスにもまた、将来を約束した婚約者がいた。
その婚約者こそがティトラ・イルティーナ。イルティーナ侯爵家の令嬢である。
驚くべきことに、ジュリウスは格上の侯爵家の令嬢との婚約を蹴り、さらに格上の公爵家のアルヴィンから婚約者を奪い取ったのだ。
もちろん、カイル伯爵家には抗議の手紙を送ったが……いまだにその返答はない。対応に困っているのか、ジュリウスが王女と婚約したことで公爵家を下に見て侮っているのか、どちらにしてもいい度胸である。
カイル伯爵家に相応の報復をすることに決めたアルヴィンであったが、その前にイルティーナ侯爵家に訪問することにした。
アルヴィンがキャロラインの暴走を止めることができなかったせいで、ティトラまで婚約者を失うことになったのだ。キチンと面と向かって謝罪をしておくべきだと思ったのである。
幸いなことに、イルティーナ侯爵はジュリウスに対しては憎しみを抱いていたが、アルヴィンには含むところはなかったようだ。
侯爵家の屋敷まで謝罪に来たアルヴィンにも丁寧に対応してくれて、すぐにティトラにも会わせてくれた。
『アルヴィン・リグウルフ様。私などのためにわざわざお越しいただき、誠に…………え?』
『ティトラ・イルティーナ嬢。急に押しかけてしまった無礼を許して…………あ?』
初めて顔を合わせたアルヴィンとティトラであったが……2人は申し合わせたかのように同時に言葉を失う。
同席したイルティーナ侯爵が怪訝な顔になって2人を交互に見るが、もはやアルヴィンとティトラにはお互いの顔以外は目に入っていなかった。
(なんて愛らしいんだ……優しげな相貌にアクアマリンのような青い瞳。まるで宝石に宿った精霊のようではないか)
(なんて逞しいのかしら……精悍なお顔立ちに力強い身体つき。まるで伝説に語られる竜殺しの英雄のようではありませんか)
後に馴れ初めを語り合った際に知ることになるのだが、2人はほぼ同時に同じような感想を抱いていた。
初対面の相手に同時に一目惚れをする……それはまさに、運命のような出会いだったのである。
「…………!」
さらに……アルヴィンはすぐに気がつくことになる。
アルヴィンとティトラの小指からはそれぞれ赤い糸が伸びており、お互いをキッチリと結びつけていたのだ。
『縁使い』の加護が宿った瞳だけが視認できるその糸は、キャロラインとジュリウスの指についていたものとは比べものにならないほど太い。まるで頑丈なロープのようである。
おまけに金糸を編み込んであるように黄金色に輝いており、ただの赤い糸でないことは明白だった。
(赤い糸は『恋愛』の糸。それにこの金色は……まさか『幸運』の糸か!?)
金色の縁の糸は『幸運』を表しており、滅多に見られるものではなかった。
『幸運』の糸で結ばれた者同士は互いが互いにとって幸運をもたらす者。一緒にいることでお互いに幸福を招き寄せ、周囲にいる人間にまで運気を分け与えることができる稀少な糸なのだ。
つまり、アルヴィンとティトラは単なる恋人や夫婦以上に、お互いに幸運をもたらす選ばれたパートナーということになる。
そこから先は話が早かった。
アルヴィンはすぐさまティトラに結婚を申し込み、ティトラもまた二つ返事で求婚を了解したのだ。そのあまりにも早すぎる展開に2人の両親は呆れ返ったものである。
とはいえ……アルヴィンとティトラの婚姻は両家にとって悪くはない政略だ。2人とも婚約者を失っているし、原因を作った王家への牽制にもなることだろう。
リグウルフ公爵家とイルティーナ侯爵家という上級貴族同士が結ばれることも、両家の発展に大きく寄与するに違いない。
2人の婚約は出会ってから半日とかからずに成立することになった。
卒業式後の春休みが明けて、ティトラが貴族学園に入学してからは毎日のように逢瀬を交わしている。
昼休みには、中庭でティトラが持ってきた手作り弁当を食べるのが日課となっていた。
「うん、美味いな。ティトラは本当に俺の好みを知り尽くしているな」
「アルヴィン様は私と趣味嗜好がよく似ていますから。私が好きなものを作れば、アルヴィン様にも喜んでもらえるのです」
「そうか。相性バッチリってことだな。本当に君と婚約できてよかったよ。俺の愛するお嫁さん」
「もう……こんなところで恥ずかしいですわ……私の素敵な旦那様」
学園の中庭には大勢の生徒が行き交っていたが……そんな視線をはばかることなく、2人は公然とイチャイチャしている。
婚約破棄されてすぐに婚約したアルヴィンとティトラに対して、学園に通う生徒達は色々と下世話な想像をしていた。だが、それもこんな仲睦まじい姿を見せつけられれば悪い噂も吹き飛んでしまう。
中庭を通りかかった生徒達は甘ったるい空気にあてられたように顔を引きつらせ、邪魔をするまいと無言で立ち去っていく。
だが……そんな親しげな恋人達を素直に祝福できない人間もいる。
「何なのよ……幸せそうにしちゃって、私に当てつけているつもりかしら!」
その人物はもちろん、ヒステリックな王女──キャロライン・ウルベルティアである。
アルヴィンと同じく3年生に進級したキャロラインであったが……その容貌は以前とは大きく変貌していた。
目の下にはくっきりと色濃い隈ができており、頬は痩せこけている。美しかった金髪も手入れがされていないのか、艶を失ってボサボサになっていた。
離れた場所にいる元・婚約者を睨みつける眼球は血走っており、深い妄執の色が浮かんでいる。
美しい顔だけが取り柄だったというのに、まるで鬼女のごときやつれっぷりである。
周囲には取り巻きの令嬢らを侍らせているものの……普段であればキャロラインに見え透いたお世辞を送る令嬢らも恐々とした目になっている
キャロラインが短期間でこうも変わり果ててしまった原因は、アルヴィンが婚約者でなくなってしまったことだった。
国王の唯一の子供、次期女王となる未来を約束されているキャロラインであったが、彼女がそれだけの資質と能力を有しているかと聞かれれば、そうではない。
学業の成績は平凡以下。とてもではないが、王として手腕を振るえるレベルには達していなかった。
そのため、優秀な配偶者としてアルヴィンが選ばれたのだが……キャロラインが自らそれを手放してしまった。
新しく婚約者に選んだジュリウスは『剣聖』の加護を持っていて武術は優秀だったが、勉学はキャロラインよりもさらに下回るほど。とても王の補佐を任せることなどできない。
結果、婚約者に頼ることができなくなったキャロラインは一から帝王学を学び直すことになったのである。
娘に甘い国王も今回ばかりは容赦をすることなく、キャロラインの再教育に手を抜く様子はない。ここで再教育に失敗すれば、キャロラインはもはや女王になれないとわかっているから必死である。
そして……寝る間も惜しんで勉学をすることになってしまった結果、キャロラインの肌は荒れ、頬はくぼみ、以前とは見違えるほどに凄惨な顔立ちになってしまった。
「私がこんなに苦しんでいるのに……どうして、捨てられた貴方はそんなに幸せそうなのっ! 誰のせいでこうなったと思っているのよ!?」
楽しそうに昼食を摂るアルヴィンを見つめ、キャロラインはギラギラと瞳を憎悪に燃やす。
キャロラインが受けている苦境は100パーセント自業自得なのだが、元々、自分本位な上に寝不足も重なっている彼女にはそんなことすら理解できない。
アルヴィンとその新しい婚約者に文句を言わなくては気が済まないと、イチャイチャしているカップルへと向かって行く。
取り巻きを引き連れて近づいてくるキャロラインに、さすがにアルヴィンも気がついて眉をひそめる。
「アイツは……今さら、何のつもりだ?」
「あの方はひょっとして……アルヴィン様のかつての婚約者……!」
「お、おいおい! ティトラ!?」
「アルヴィン様はご心配なく。そのままご飯を食べていてください! 私が話をつけますから大丈夫です!」
ズンズンと近づいてくるキャロラインに、ティトラがシートから立ち上がって臨戦態勢をとっている。まるで天敵に立ち向かう子ネズミのようである。
可愛らしい容姿。柔和な顔立ちから控えめな印象を人に与えるティトラであったが……実のところ、彼女はかなり意思が強くて前向きな性格だった。
おそらく、愛しい恋人を捨てて傷つけた……と思っている女に対して、一歩も引くことなく立ち向かうつもりなのだろう。
毅然とした表情でキャロラインを迎え撃とうとしている。
「勘弁してくれよ……可愛い婚約者があんなのと話して、余計なちょっかいをかけられるなんて見過ごせないぞ?」
口喧嘩の勝ち負けはともかくとして、キャロラインという女は関わった人間すべてを傷つけるような地雷女である。
そんな元・婚約者と愛するティトラが関わりを持つのは避けたかった。
「仕方がない……『縁使い』」
小さくつぶやき、アルヴィンはギフトを発動させる。人と人とのつながりを司る不可視の糸がアルヴィンの瞳に映しだされた。
アルヴィンは目の前にある無数の糸のうち、キャロラインからアルヴィンとティトラに向かって伸びている漆黒の糸に狙いを定めた。
悪意から邪悪な色に染まった糸めがけて、加護の力を行使する。
「悪縁断絶」
2本の指を立てた手でハサミを作り、パチリと糸を断ち切った。
キャロラインから伸びた黒い糸が失われ……その結果として、身勝手な王女との『縁』が消失する。
「え……?」
次の瞬間、こちらに向かっていたキャロラインの頭に何かが落ちてきた。
「アホー、アホー!」
「きゃあああああああああああっ!? と、鳥のフンですってええええええええッッッ!?」
キャロラインの頭に落ちてきた物の正体は、頭上を飛んでいたカラスが落としたフンだった。
髪を汚している鳥のフンを見て、周囲にいる令嬢を巻き込んでパニックに陥る。
「いやああああああああっ! 私の、私の美しい髪があああああああっ!」
「キャロライン殿下っ!?」
「落ち着いてくださいませっ!」
「ああもうっ! ちょっとアンタ達、早く取りなさいよ!」
「え、わ、私がですか!?」
「えーと……手で取るのはちょっと……」
「汚いですし……」
「そんなことより早く洗わないと……あちらで着替えを……」
「わー」「ぎゃー」と騒ぎながら、王女とその取り巻きは校舎のほうに逃げ帰ってしまう。
肩透かしを食らった形になり、ティトラがパチクリと瞬きを繰り返す。
「な、何だったのでしょう。あの方たちは?」
「さあな。俺達には関係のない奴らだよ……今までも、そして、これからもな」
『縁使い』の能力は縁の糸を見るだけではない。
アルヴィンは指につながれた糸を切ることにより、キャロラインとの間に結ばれた『悪縁』を断ち切ったのだ。
『縁』は必ずしも良いものばかりではない。『悪縁』や『因縁』のように悪い影響を与えるものもある。アルヴィンの『縁使い』はそんな悪い縁を断ち切ることにより、他者から向けられる悪意を祓うことができるのだ。
縁を絶たれた以上、どうやってもキャロラインは2人に接触することはできないだろう。時間が経てば新しい縁が結ばれるかもしれないが、その時はまた切ればいいだけのことである。
「……もう、アイツと関わることもないだろうよ。どうせ時間の問題だ。忘れたほうがいい」
校舎に消えていくキャロラインの背中を見つめるアルヴィンの目には、先ほどとは別の縁の糸が見えていた。
走り去るキャロラインの全身に蛇のように巻きついた無数の糸。毒々しいまでに赤黒い。まるで斑に固まった血液のようである。
恋愛の『赤』。憎悪の『黒』──2つの感情が混じりあった糸だった。
数週間前、アルヴィンに婚約破棄を突きつけたキャロラインの指には赤い糸が数えられないほど巻きついていた。
その『運命の赤い糸』が、現在は憎悪と悪意を孕んで悍ましい色へと変貌している。
(キャロラインは多くの男と関係を持っていた。そして、その中からジュリウスという男を選んだ。捨てられたその他大勢はもちろん、自分を弄んだ王女を恨んでいるだろう。狂おしいまでに)
「……俺はもう、アイツを狙っている悪縁を切ってはやらない。これからは自分の力で何とかするんだな」
これまでにもキャロラインは人から恨みを買うことがあった。あの性格だから当然である。
しかし、アルヴィンがさりげなく悪縁を切って悪意を祓っていたために、大事になることなく済んできたのだ。
もう悪意を祓ってくれる婚約者はいない。
ワガママな王女は遠からず破滅することだろう。己を取り巻く、悪意と憎悪の糸に絞め殺されて。
「アルヴィン様? どうかされたのですか?」
「……何でもないよ。昼ごはんの続きをしようか」
アルヴィンとティトラは昼食を再開させた。
アルヴィンは可愛い恋人の手料理に舌鼓を打ち、ティトラはそんな恋人を幸せそうに見つめている。
幸福な恋人たちの間には何の悪意もなく、ただただ穏やかな空気に包まれていたのであった。
それから1ヵ月後。アルヴィンの予想は的中することになる。
王女であるキャロラインは何者かに毒を盛られ、生死の境をさまようことになったのだ。
辛うじて一命を取り留めたものの、毒の後遺症として全身に紫のアザが残り、手足が動かなくなってしまった。
もはや女王として国の頂点に立つことはできそうもない。キャロラインは廃嫡されることになったのである。
王家を追われたキャロラインは遠く離れた田舎の療養地で生涯を過ごすことになり、婚約者であるジュリウスがその介護を任されることになった。
ジュリウスは醜く変わり果てたキャロラインを嫌がって抵抗したが……拒否は認められない。
実家であるカイル伯爵家がアルヴィンとティトラの実家の追い込みによって没落させられてしまったこともあり、助けも得られずに田舎に追いやられたのである。
さて、王家の唯一の嫡子であるキャロラインがその資格を失うことになったが……代わりに次期国王として任じられたのはアルヴィンだった。
アルヴィンは筆頭貴族である公爵家の人間。おまけに、国王から見れば甥にあたる続柄である。兄がいたが、公爵家の当主としてすでに家督を継いでいることもあって、アルヴィンへと王冠が回ってくることになった。
現・国王が娘の失脚によるショックで憔悴しきっていたこともあり、翌年、学園を卒業すると同時に王位を継ぐことになったのである。
そして、王として即位したアルヴィンの隣には青い髪と瞳の小さな王妃の姿があった。
婚約者に捨てられた哀れな少女から一転して、王妃へとシンデレラストーリーを描くことになった彼女には、数多くの人間から妬み嫉みが向けられることになった。その中には、暗殺者を雇う者までいたくらいだ。
しかし、そんな悪意は不自然に断ち切られたかのように王妃に届くことはなく、かすり傷の一つも負うことはなかったのである。
2人の間に結ばれた朱金の光を宿した運命の糸は、それから先も多くの幸運をもたらすことになる。
やがて、その祝福は国中に広まることになり、ウルベルティア王国はかつてない栄華を築くのであった。
終わり
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