第三十二話 怖いもの
仲良く“話し合い”を終えた後、一人と一羽で部屋を出て長く真っ白な廊下を歩き、数分かけてようやく広間へ辿り着いた。
高い天井からぶら下がるシャンデリアが光を降らせて大理石の床がキラキラと輝く様は、とてもとても『最近掃除ができていない』ようには思えない。
そんな事を頭の隅で考えつつ下へ降る階段に目線を落として足を一歩踏み出した時、進行方向の先から飛んできたアルトの声が広い空間でとんと響いた。
「やあやあ。ドードーちゃんを手懐けるだなんて流石だね〜アリスくん! いやぁ〜予想外だったよ〜」
ひどく聞き覚えのある音色に歩みを止めてゆっくりと顔を上げれば、そこにはいつの間にか白の王の姿があった。
パチパチと軽快に両手を叩き穏やかな笑みを浮かべる彼に対して特に言葉は返さず、無言で口の端を引き肩をすくめたあとで斜め後方に立つドードーさんを首だけで振り返る。
(小心鳥ね)
突然の声に驚いたのか、月白色に染まった顔にはじわじわと汗が滲んで稲妻型を眉間に刻み、自身を安心させるかのようにガタガタと震える両手で自分の体をぎゅっと抱くドードー鳥。
けれどそれもほんの数秒で、私が声をかけるよりも先に白の王の存在に気づいたらしい彼は途端に顔を綻ばせ、薄い唇の隙間からテープカッターのようにギザギザと波打つ歯をのぞかせる。
(仲が良いのかしら?)
そういえば……激昂していた際、あの鳥の語る内容は『白の王』へ異常なほど信頼を寄せているように感じる口ぶりだった。
あの人がそう言ったから、あの人は味方だから。そう、まるで──……、
(……まるで、何?)
ああ、おかしい。どうして今“私と同じ”だなんて考えを抱いたのかしら。
白の王が誰にでも平等に優しいということは揺るがない事実であり、信頼に足る存在であると判断するのも普通のはず。赤の王と違って完全なる善人なのだから、他人を利用してやろうだなんてきっと考えもしないでしょうね。
(そうよ。彼が私やドードーさんに付け入るはずがない)
一瞬でも違和感を覚えてしまった自分自身が腹立たしいわ。
(……自己嫌悪したのなんて、生まれて初めてかもしれない)
「う〜ん。アリスくんならもしかすると、ドードーちゃんの『怖いもの』を払拭してくれるかもね〜」
私の思考を遮るかのように落とされた白の王の言葉を聞いて、ゆっくりと視線を移動させ彼の綺麗な隻眼を真っ直ぐに見据える。
ドードー鳥の怖いもの。その意味をわざわざ私が問うより先に白の王は二度大きく頷いて、右手の人差し指を立てるとゆらゆらと上下に動かし、リズミカルに空中をなぞりながら口を開いた。
「ドードー鳥は火で炙る〜羽ばたく翼も抜けば美味かろう〜」
「──!!」
(……?)
てっきり理由を説明してくれる流れだとばかり思っていたのだが、広間に流れ始めたのは聞き覚えのない歌だった。
しかし、歌詞に名前の出たドードーさん本人……いいえ、本鳥にとっては『聞き覚えのない歌』ではないらしく、背後でコンと大理石の床を蹴る音がする。
「ドードー鳥は何味か〜昂ぶる血はさぞや甘かろう〜」
「ややっ、やめ、やっ、やめて……っ!!」
羽根も無いというのに瞬き二回分の時間でびゅんと風を切り空中を飛んで移動したドードーさんは、震える声で異議を唱え両手でポカペチと白の王の胸元を叩いた。
「あはは〜ごめんごめん〜」
爽やかに笑ってなすがままになる白の王は、どう見てもドードーさんの反応を楽しんでいる。鳥頭さんがご自慢のサバイバルナイフで腹を狙わない様子から察するに、ジョークを言い合える間柄なのだろう。
たいそう仲良さげに戯れ合う二人を眺めつつ階段を降りてすぐそばまで歩み寄り、意味が分からないと言う代わりに短い溜息をはあと吐いた。
すると聡明な白の王はすぐに私の意図を察知したらしく、ドードーさんの肩を叩いて落ち着くように促してからアクアマリン色の目を静かに細める。
「アリスくんもごめんね、話が逸れちゃった〜」
「いいのよ、気にしないで。それよりも、」
「うんうん、ドードーちゃんが何を怖がってるかって事だよね〜! あのね〜、この子は──……」
***
「ほん、ほほ、本当なんだろうな……!?」
「ええ、大好きな貴方に嘘をついたりしないわ。だからちゃんと案内してちょうだい」
白の王の口から出た“怖いものの名前”を聞いて、私の中に『会いに行かない』という選択肢は存在しなかった。
曰く、それは限り無く赤の王側に近い立ち位置──つまり白色ではなく赤色の駒だが、赤の王の味方と言うわけではないらしい。ならば『アリス』の味方に加えるしかないだろう。持ち駒は多ければ多いほど便利だもの。
居場所はドードーさんがよく知っているので彼に案内役を任せるのが適任だろうという白の王の判断のもと鳥を引き連れてきたは良いものの、足を進めている間「僕は絶対に一緒に行かない」「あんな奴に会いたいなんて気が触れたのか?」だの「建物が見えたらそこでお別れだ」「今からでも遅くない、やめた方がいい」だのとうるさくて仕方がない。
「そんなに嫌なら案内なんて引き受けなければ良かったじゃない」
「……だ、だって……ぼぼ、ぼ、僕のことが好きなんだろ……?」
私は彼のことが好きなのだから、自分が一緒に行った方が嬉しいだろう。本当であれば絶対に近づきたくない場所だが、こうして一緒にいられて自分も嬉しい。
クソ鳥さんは血色の悪い頬を朱に染めてそう主張する。
「……ええ、そうね」
ああ、呆れた。
しかしそうこうしている間に目的地が見えてしまったようで、ドードーさんはオーバーなほどに震える指先で一軒の建物を指差して「引き返すなら今のうちだぞ!!」と悲鳴に似た声で鳴く。
「さっきも言ったけれど、今さら引き返したりしないわよ。貴方の“怖いもの”と仲良くなってきてあげる」
「……っ、……っ! 馬鹿!!」
幼児のような捨て台詞を吐いたクソ鳥さんは、どんな手法を使ったのか一瞬で姿を消してしまった。
溜息を吐いて眉間を揉んだ私は、先ほど彼が教えてくれた建物に向かって足を踏み出す。
「ン〜、ンン〜、ンンッ、ン〜」
チリン、チリン。
風に乗り耳をくすぐった誰かの歌声に混ざって、鈴の鳴る音がした。




