海といろいろ(4)
続きです。
時刻は真昼。
迫るは海水浴。
眼前に広がるのは小さく波打つ水面。
スクール水着を見にまとい、みこ監修のもと水泳練習が行われていた。風呂場で。
「いや、風呂場て」
「いや......まぁ、身近なところから堅実にって思いまして......」
「それにしたって、みこの家じゃなくてもよかったんじゃないか?」
「それは私も思いました」
みこは服を着たまま、風呂椅子に座ってこちらを眺めている。
あたしは浴槽に張られた水の中に座っている。最初のうちは涼しかったが、今では少し寒い。これで風邪をひくなんてことがあれば本末転倒もいいところだ。
「と、とにかく!まずは水に慣れることからです!確かにあんまり深いと水って怖いですけど、基本的には怖くない!......っていうのを学ぶんです!」
そう言うみこの目は闘志に燃えている。このままインターハイを目指そうとか言わんばかりに、手を強く握りしめていた。
手のひらを水中で動かして渦をつくる。それはすぐにほどけて消えていった。
その水面に恐怖のようなものは湧かない。プールの授業でも同じだった。
「......別に怖いってわけじゃないんだけどな」
みこが椅子を引いて浴槽の縁に肘を乗せる。
「じゃあ何がダメなんですか?」
「いや、なんつーか......えっと、何で泳げないんだ......?」
「えぇ......」
過去を振り返ってみても、自分が何故泳げないのか分からない。
水中で手足をジタバタさせても何故かあたしだけ推進力にならないのだ。
動かし方もたぶんあってるんだけどな......。
「ま、まぁ、とりあえず浮いてみてください!全てはそこからです!」
「いや、無理なんだが」
「全てはそこからです!!」
みこが浴槽の縁を掴んで立ち上がる。
その熱意に応えるべく、あたしも水に顔をつけるのだった。
頭を沈めると、途端に音が遠くなる。水圧の圧迫感の中、目を見開いた。
映る景色はクリーム色のバスタブの底。それは徐々に近づき、最後には完全に顔と接触するまでになった。
鼻からこぼれた空気の泡が弾ける。
その音は水を通して、頭に響いた。
やがて息苦しくなって、頭を上げる。水滴が飛び散り、みこも少し濡らしてしまったみたいだ。
「あ、悪い。大丈夫か?」
みこが濡れた箇所を袖で拭う。
「別に大丈夫ですけど......なんで潜ったんですか?」
その無垢な瞳には純粋な疑問が転がっていた。
「いや、浮かないんだわ」
「いやいや、人間って普通浮くでしょ。え、人間じゃないんですか!?」
「いや、純粋な目であたしの人間性を疑わないでくれよ」
みこはいまいち腑に落ちないようで「ふむぅ......」と顎に手をやる。
どうやら普通は浮けるらしい。
あたしが普通の人が何故浮けるのか分からないのと同じように、どうして浮くことが出来ないのか本当に分からないのだろう。
「いやですね?私は浮こうとして浮いてるわけじゃないですから......その、浮かないっていうのが全くピンとこないんです」
「んんー......」
水中に口まで沈めて泡を吹く。
ポコポコ音が鳴るだけで、何かつかめるわけもなかった。
「このまま泳げなかったら、あたし死ぬよな。百パーセント」
「別に死にはしないと思いますけど......」
もう一回、浮こうと試みる。
結果はそのままさっきの繰り返しとなった。
「なんか......もう少し力抜いたほうがいいんじゃないですか?それこそお風呂入ってるときみたいにリラックスして......」
「つってもなぁ」
言われてとりあえずいつもの入浴姿勢をとる。
天井を見上げ、全身を脱力させる。
水温が低いので入浴姿勢はしっくりこなかった。
「こんな感じだけど......って、あれ?」
視線をみこに送ると、みこは口を半開きにしてあたしを見ていた。
みこのこんな間抜けな表情は初めてだ。
「み、みこ......?」
「浮いてるじゃないですか!!」
「えっ、浮い......あ、ほんとだ」
足は底にべったりだが、背中は確かに浮力に支えられている。
「そ、それ!それで体の向きを変えて......!」
「わ、わかっ......ぶぶぶぶ」
「何故沈む......!!」
風呂から上がって、窓のそばで温まる。プールの後異様に眠くなるあの状態に陥っていた。
「......しかしきららも、よくあたしのこの有り様を見て海に誘ったよな」
「きららちゃん、自分が泳ぐのに夢中で他の人のこと見えてなかったですよ。先生も泳ぎだけは達者だなって褒めてましたし、きっと好きなんですよ」
「それ褒められてんのか......?」
日の光を浴びて、なんだか体がふわふわする。猫にでもなった気分だった。
「みこ......」
「なんですか?」
ソファからあたしを見下ろして、首を傾ける。
「かもーん」
なんで呼ばれたかわからないといった顔をしながらも、こちらへ向かってきてくれる。素直な子だ。
側まで来てくれたみこのその体を捕まえる。エサに舌を伸ばすカエルみたいな気分だった。
「ひゃ!?なんですか」
困惑するみこを抱き枕としてちょうどいい角度に調整する。
結果、背中側から抱き抱え後頭部に鼻先をうずめるのに落ち着いた。
すると途端にみこが黙り込んでしまう。
「あれ......みこ?」
「なんでもないです......」
みこの表情は見えない。
「あ、嫌ならやめるけど......」
「い、嫌なんかじゃないです!むしろ......」
みこが腕の中で縮こまる。
とりあえず嫌ではないらしいので、しっかりと堪能させてもらった。
その体は柔らかく、暖かく、間違いなく最高品質だった。
「いや品質て......」
「なんですか?」
あたしが居て、みこが居て、そこには微睡みがあった。
続きます。