海といろいろ(3)
続きです。
携帯電話のボタンをポチポチ。
もう何回だって押した番号を押す。
真っ白な照明に照らされて、眺めるのはその画面。
縦長の長方形のそれに先程打った番号が映し出され、すぐに呼び出しを始めた。
電話はすぐに繋がる。
私も電話に出やすいであろう時間を選んだが、それにしても早かった。
いつも電話をかけるときはこんな調子。まるでかかってくるのが分かってたみたいに一瞬で繋がる。色々なものを超えて。
「ママ。私、海に行くの......!」
繋がるのと同時に、私も用意しておいた言葉を言う。
少し食い気味というか......前のめりにつんのめってしまったとちょっと反省。
通話しながら、机の上の小さなカレンダーに目を落とす。
海に出向く日はそう遠くない。
それまでの日数を数えて、そして伝える。
『......なら』
通話先で紙のめくれる音がする。
そのすぐ後に鉛筆の走る音が聞こえた。
話を終えて、電話を切る。
「ふぅ」
一息ついてベッドに座ると、力の抜けた手のひらから携帯電話が滑り落ちた。
ベッドの上に投げ出されたそれは極めて無機的に光っていた。
手を被せるようにして、それを閉じる。
壁に寄りかかって目を閉じると、どこかの田んぼからカエルの鳴き声が壁を通じて体に染み込んだ。
いつもより少し早めに目を覚まして、そしていつも通りのんびり過ごす。
宿題をやったり、テレビを見たり。
そうしているうちにやっと時計の針が九時ごろを指す。
「ほれ、行くぞ」
時計の下で秒針を目で追う私に、パパが手のひらの中で車の鍵を鳴らして知らせる。
「うん、分かった」
家を車で出る。
行き先は駅だ。
そこからは私一人で電車に乗り、ママのもとへ向かう。パパも本当は着いていってママに会いたいのだろうけど、今回は二人きりにしてもらった。
今日の旅の目的は他でもない水着選びなので、パパには悪いが男子禁制ということになったのだ。
「じゃ言ってくる」
駅に着いた車から降りる。
パパに見送られながら改札を通った。
揺れる電車の中、いろいろなことが胸中を渦巻く。
あれから会うのは初めてだ。
本当に色々あったと思う。
だからきっと話すことも色々あって......いろいろ、色々だ。
目的の駅に着くと、ママが出迎えてくれた。
人は他にもたくさん居たけれど、お互いにすぐ分かった。
「さくら......!」
電話越しではなく、直接届く声。
その声と同時に、ママの腕が私を優しく抱き寄せた。
ああ、こんな匂いだったな、とその温度に包まれて思う。
額を胸に押し付けるようにして、それをすぐに離した。
「......ちょっと、ここ駅なんだけど」
「あっ......あらあら、ごめんなさい。つい嬉しくて......」
ママが頬を掻く。
「私も嬉しい」と言う言葉は呑み込んだ。なんとなく。
ああ、私って素直な子じゃないんだなとちょっと思った。
「最近どう......?」
「友達も嘘じゃなくて本当に居るし、勉強もちゃんとしてる。......あ、後海行く......ってそれは知ってるか」
話しながら、駅の近くのショッピングモールに向かう。
往来には人が溢れていて、田んぼなんてあるはずもない。
あの田舎とはわけが違う。
景色は私の思う都会そのものだった。
「そっちこそ、最近どうなのよ......?」
「私......?私は......」
こんなこと尋ねられるとは思っていなかったみたいで、ママの目が上を向く。別に何でもない会話なのに真剣に思い出しているみたいだ。
「ふふっ......」
その姿を見て笑い声が漏れる。
もしかしたらママが真面目すぎるというよりは、私がいくらか雑になったのかもしれない。
あんなのと真面目一筋で付き合ってたら熱を出しかねない。
頭の中にはきららの顔。
能天気な笑顔で、その前では何でも馬鹿馬鹿しく見えた。その笑顔含めてみんな馬鹿だと思う。
「......さくら?」
「あっ......ごめん、ママ。ちょっと意識飛んでた」
「ん......そう」
ママが私から進行方向に視線を戻す。そうして話を続けた。
「私の方はね......まぁぼちぼちってところ。あんまりうまくいかないことの方が多いかも知れない」
「ん......そう」
同じ言葉で相槌を打つ。
ママの毎日がどんなものかは分からないが、まだ時間が必要みたいだった。
「ママも......辛かったら私に電話してもいいのよ。私だってもっとかけるし」
言いながら顔を背けてしまう。
ちょっぴり......いや、かなり照れ臭かった。
「ふふ......ありがとう」
ショッピングモールに着く。
買う水着は実はもう決まっていたのだけれど、ママと一緒にたくさんの商品を見て回った。
「......でも、本当にそれで大丈夫?」
「大丈夫。あいつの言う通りにするのは気に入らないもの」
手に取ったのはスカート付きでワンピースタイプの水着だ。
たぶん足の傷跡は見えるだろう。
これにしたのは二つの理由がある。
一つは、きららを驚かせたいってだけだ。
そして二つもは、ママに「これからも残るかも知れない傷跡だけど、私はそんなの気にしないで生きていける」という態度を示したかったからだ。言いはしないけど。
お会計を済ませて、フードコートへ向かう。まだ少し早めの時間なので、人はまばらだ。
女子中学生がどこへ行くでもなく一人席に座っているくらいで、その他の人は通り過ぎるだけで座ることはない。
フードコートに入ってすぐのテーブルについて、荷物を置く。
水着以外にも色々余分なものを買ったので、思いのほか重荷になってしまった。
ここで食事をしたら、それで今日はおしまいだ。またしばらく会えないと思う。
色々と話はしたが、まだ話そうと決めていたことが話せていない。
性格上なかなか言い出せなかったのだ。
しかしもう後がない。
「ねぇ」
水を取りに行こうとしたママを呼び止める。
「ん......?」
「こんなときに言うことじゃないと思うし、言ったらちょっと気まずいと思うけど......ママはちゃんと私のママだから。その......ちゃんとだ、大好きだから......だ、だからその......待ってる」
顔に熱が走る。
真正面からママの顔を見ることが出来なかった。
唇を噛んで恥ずかしさに耐える。
ママはしばらく何も言わないし、身動きすらとらない。
いや、身動きがとれてないのは私も一緒だった。
ママの手のひらがそっと肩に乗せられる。
その手のひらは弱い力で私の肩を撫でた。
「ありがとう......」
ママがゆっくりと一音一音丁寧に言う。どんな顔をしているのか気になったが、やっぱり顔を上げることは出来なかった。
続きます。