鏡の中の“私”(11)
続きです。
呼吸の音が耳に触る。
一歩進む度に、血液が滴った。
服にまでそれは滲み、燻んで消えなくなった。
頭の中で声がこだまする。
それは私自身の声だ。
きっと今も苦しんでいる。
「辛かったね。苦しかったね。悔しかったね」
すっかり耳に張り付いた幻聴に、慰めの言葉をポツリポツリと零す。
私の目からも涙がポツリ。
静かに頬を伝った。
「私、ちゃんと知ってるよ。あなたのこと。あなた自身なんだもん。だから、顔を上げて......あなたはあなたでいいの」
砕けた世界で、重いだけの体を引きずる。
「もう少し......もう少しなんだから......!」
私自身が砕け散る前に、彼のもとへ......。
目の前に光が広がる。
滲んでボヤけて、その光がなんなのかは分からない。
けれども、私は手を伸ばした。
冷え切った指先を光の方へ。
もう私の体に奇跡は残ってない。
それでも足は前へ、指先に力を入れて踏ん張って......!
指先が光に触れる。
その瞬間、手のひら全体が柔らかく暖かいものに包まれた。
「触れるのは......初めてだね」
私の手を包むその手を握り返す。
やっと会えた。
今の自分が泣いているのか笑っているのか分からなかった。
僕の前に現れたのは、変わり果てた姿の彼女だった。彼女と呼ぶのが適切かどうかはまだ分からない。
ボロボロで、傷だらけで、訳わかんなくって、亀裂の走る歪な割れた鏡には、ぐしゃぐしゃの表情で笑う“私”がいた。
「......何で、そんな......」
「へへ......君を助けにきたのさ」
精一杯の笑顔をみせてくる。
その根本にあるものは無理そのもので、だから負った傷の重さ、疲れを隠しきれていない。
世界の狭間で手を取り合う。
これじゃどっちが助けに来たのか分からなかった。
そして、どっちも助かるかは分からなかった。
僕も“私”も、死にかけだ。
「僕は......僕は、どうすればいい?」
“私”は頷く。
「どうすればいいか、どうしたいか......知ってるでしょ。私が知ってるんだから」
知ってる。
知ってる......けど、それでも僕は......。いや、知ってるからこそ二の足を踏んでいる。
「ぼ......」
口を開くが、人差し指で塞がれる。
うっすら血の匂いがした。
「大丈夫!勇気を出して!君なら大丈夫。だから私が今ここにいるんだもの」
足の先から鏡のように砕け始める。
その破片は鏡の世界に吸い込まれていった。
それを見て、眉を顰める。
僕も“私”も時間がないことを悟る。
「......君は、どこへ行くの......?」
僕が聞くと、彼女は笑って答えた。
「どこにも。鏡を見ればいつだって、私はそこにいるよ」
たった一人の理解者が、砕けていく。しまいには顔にヒビが入る。
長い間一緒に居たわけでもないのに、僕の瞳からも涙が溢れた。
不安そうな僕の顔を覗いて、彼女最期には再び笑って見せた。
手のひらに残った破片を胸に抱き寄せ、狭間の世界に背を向ける。
「分かったよ。ぼ......私は......!」
埃っぽい匂いの中、割れた鏡を背にして立つ私が居た。
手のひらにはまだ、あの時の感触が残っていた。
空になった手のひらを握りしめて、目を閉じる。
瞼の裏には心地良い闇が広がっていた。
目を開く。
「私は......私で生きてみせる」
「海行こうぜ、うみぃ」
またみこちゃんの家に集まって駄々をこねる。夏休み中はここは溜まり場になるかもしれない。
「急に言われてもなぁ......」
「私は良いですよ。海」
どらこちゃんの視線がさくらにずれる。
「私は良いわよ。なーんも問題無い」
そう言ってさくらはジュースを一気に飲み干した。
「ん......でもなぁ......」
どらこちゃんの目が泳ぐ。
大抵の場合どらこちゃんは乗り気だからなんだか珍しい。
そのどらこちゃんを見て、みこちゃんが「あはは」と乾いた笑い声を上げた。
どらこちゃんが頭を掻きながら折れる。
「もう、分かったよ!行く!行くから!」
そう言ってその場で仰向けになってしまった。
「じゃあ、そろそろ今日の本題に戻るニャ」
「「あ、うん......」」
ちょっとうんざりした感じで私たちの声が重なる。
テーブルに広がるのは夏休みの宿題たち。進度で言えば何故か私が一番遅れていた。
台所でみこちゃんのお母さんが肩を窄めて小さく笑うのが聞こえた。
続きます。




