鏡の中の“私”(4)
続きです。
少し埃っぽい自室で、無言の時間は続く。
頭は順調に出来上がっていくが、ただひたすらに黙ったまま頭をいじられ続けるというのもなんだかむず痒かった。
「ねぇ?あなたの言う......大切な人って誰のこと?」
静寂に耐えかねて言葉を発する。
聞いたところで誰だかはわからないし話は広がらないだろうが、それでもこの静寂を埋めずにはいられなかった。
「それは......」
アリスの手が止まる。
その人差し指はアリスの口元で止まり、くるくる円を描いた。
「そうね......私自身、かな?」
「どう言うこと......?」
アリスは再び作業に戻り、話を続ける。その目はどこか遠くに意識を飛ばしているようだった。
「私の大切な人。鏡の外側の私だよ」
「ふーん......」
聞き流して鏡を見つめる。
そこには当然私とアリスが映っていて......。
「......って、え?じゃあアリスって人間じゃないの!?」
「まぁ......そうなるのかもね」
アリスは何でもない様に言うが、私はその事実に少なからず驚かされた。
つまり今私の髪を結っている少女はゴローと同じようなものという事になる。
「ほぇー......」
鏡越しにアリスをまじまじと見つめていると、アリスと目が合う。
ほとんど反射的にアリスは微笑んでいた。
「向こうの私は、お洒落を怖がってて......だから私がこんなに楽しいんだよって、こんなに可愛くなれるんだよって、そうやっていつも言ってたの!」
「......お洒落を、怖がる?」
めんどくさいだとか、興味がないとかだったら分かるが、怖がるというのには理解が及ばない。何を怖がることがあると言うのだろう。
「自分に自信がないの。大人も子供も、女の子も男の子も、みーんな可愛くなっていいし、せっかくなんだから可愛くならなくちゃ!なのに、私はそれが怖いって言ってるの......」
アリスの眉が八の字に曲がる。
拗ねる様に唇を尖らせていた。
「......でも着たい服が着られないとか、そういうのはあるのかもしれないね。私はアリスのこと、よく知らないけど......」
思い浮かぶのはさくらのこと。
さくらが水着を着たいかとかそういうことは分からないけど、きっと何か思うところはあるのだろう。態度には出さないが、プールサイドから覗く視線は寂しそうだった。
「きららもお洒落が怖い......?」
アリスが不安そうに私の顔を覗き込む。もちろん鏡越しにだ。
「いや、私は別に......ただ友達が......ね、ちょっとハンデを背負ってるっていうか......」
本心は言いたかったけど、押さえる。たぶんどこの誰とも知らないアリスに詳細を伝えるわけにはいかないだろう。
それを察したのか、アリスも深掘りはしない。初めはその屈託の無さに目がいったが、案外色々分かるみたいだった。おそらく私以上に。
「なるほどね。お互い大変だ......」
まぁ結局私は海に行きたいというだけなのだが......。
密かに動機の不純さを恥じた。
「......どうすればいいんだろね」
どうすればいいのか、それは本来私が探す事ではない。さくらのことだ。
さくらはどうしたくて、そしてこれからどう折り合いをつけていくのだろうか。
「よし......出来た!」
アリスが私の両肩に手を乗せる。
鏡に映る私はかなり印象が違って見えた。
だが不思議とミスマッチな感じも、違和感もない。
自然に、可愛かった。
自画自賛......は恥ずかしいから、アリスの技量を讃えたことにしておく。
「へぇー......なんて言うか、へぇー......」
角度を変えて、隅々まで観察する。
まぁ自分では出来ないな......と、そう思った。
アリスは私の反応が満足のいくものだった様で、後ろで嬉しそうに笑っている。
「じゃあ次は......服かな?」
「え......?」
「え?」
アリスの表情はあどけない。
どうやらまだ続きそうだ。
どうしていいのか分からなかった。
おかしいのは僕。そうやって無理矢理納得していた。
それなのに、それは突然崩れる。
僕が、僕自身の憧れが鏡に投影されたその日から、燻っていた感情に再び火が灯った。
それがいいことなのか、悪いことなのか今はわからない。
ただ結果だけ見れば......。
包帯を巻かれた拳がズキズキ痛んだ。
続きます。