草陰の虚像(19)
続きです!
窓の向こうで、サーっと言う雨の音がする。
雨粒は思いのほか屋根を強く叩き、激しく降っていた。
「不安かニャ......?」
正直不安だ。
あの後どらこちゃんたちに聞いた話では、母親の方も問題について話すつもりはあるようだが良い方へ傾くかは心配だと言っていた。向こうも向こうで難しいのだろう。
「ゴロー......」
「まぁ......さくらも、そのお母さんもいずれはぶつかる問題だったニャ。その時期を早めただけって思えば、多少気は楽になると思うニャ......」
ゴローの言葉に、私の弱い心は責任逃れに流れていく。
頭を振って、その邪な思考を振り払う。
「ダメだよ。ちゃんと受け止めないと」
「......きららは強いニャ」
自室の天井を唇を噛んで見つめる。
「......ゴロー」
不安で一杯の胸を誤魔化すために、ゴローを抱き寄せた。
降り続ける雨の音に別の音が混じる。
それはおばあちゃんの床を踏む音だ。
「きらら」
呼び声と同時に自室の扉が開かれる。
「なに......?」
その手には電話が握られていた。
無言でそれを受け取り、耳にあてる。
『もしもし......?』
聞こえてきたのは、知らない声だった。
女性の声だが、その声には焦りが滲んでいる。
「はい......」
『あなた......きららちゃん......よね?さくらの母です。さくらが家で話してた子があなただけで......。もしかしたら今日来た子かもしれないと思って電話をかけたんだけど......」
今日来た子というのはおそらくみこちゃんたちのことだろう。
「はい」
返事だけをして、続けるよう促す。
すると、震えた声が受話器越しに聞こえた。
「さくらが......家を出ていっちゃったの......」
あなたの家に来ていないかとか、そういう風に話し続けていたけれど、その話の内容が微塵も入ってこなかった。
「探してきます......」
失敗したのだ。
ゴローに受話器を渡して、部屋を飛び出した。
「ちょっと!どこ行くの!?」
おばあちゃんの制止の声が聞こえるが、私の足は止まらない。止めるわけにはいかない。
こうなったのは全て私の責任なのだから。
靴に雨水が染み込む。
一歩進むたびにパシャパシャと水が飛び散る。
辺りはすっかり真っ暗で、時折遠くを走る車のライトが見えるくらいだ。
極端に数の少ない街灯が、雨に濡れた道を頼りなく照らしていた。
どこに居るのか。
そんなの皆目見当がつかない。
それでも大きな雨粒が容赦なく降り注ぐ。
「......」
夜の町は昼とはまるで違う姿を見せる。同じ道が同じに見えない。
毎日通るような田んぼの傍も、石を蹴って渡った横断歩道も暗く冷たく見えてしまう。
それとは対照的に、家屋から漏れる明かりがどうしようもないくらい暖かく感じた。
籠って聞こえるテレビの音が、私を酷く惨めな気持ちにさせた。
帰りたい。
自分で飛び出したのに、そんな言葉が溢れそうになる。
「そんなの......」
最低だ。
雨を吸った服が重く肌に張り付く。
指先から水滴が飛び散るたび、何をやっているんだろうという気持ちになってしまう。
こんなことをして見つかるのかと、弱虫が丸くなる。
だんだんと、足取りが重くなる。
曲がり角が来る度に、あっちこっちとウロウロしてしまう。
帰り道も選びかけた。
胸中が自分のことで一杯で、それが分かっていたから、悔しかった。
既に服は重りとかしてしまう。
それは着実に体温を奪う。
けれども、走り続けた。
馬鹿みたいに。
離れれば離れるほど、帰りたいという思いが強くなる。
さくらもきっと似たような思いで......。
「そっか......さくらも帰りたいと思ってるはず......」
でも帰れないのはさくらも同じ。
なら、私だったらそういう時最終的にどこに居るだろうか。
その答えは、簡単に見つかった。
進路が定まる。
目指すのはさくらの家だ。
とても情け無い話だけど......帰りたくても、帰れない。そういうとき、私はどうするかっていうと、近くに隠れて見つけてもらおうとすると思う。
だから、きっとさくらも......。
顔を伝う雨を拭いながら、さくらの家に向かう。
果たして、さくらの姿はそこにあった。
さくらの家の一番近くの街灯の側で、しゃがみ込んでいた。
傘も何も持っていなくて、私と同じびしょ濡れだった。
さくらの目が、私に向く。
「あんたね......余計なことしたのは」
そう言って直ぐに俯いてしまった。
「そうだけど......だって......」
「だってじゃないわよ!」
さくらが立ち上がって、睨む。
その目からは、雨粒だか涙だか分からない液体が流れていた。
「私がどんな気持ちで......!」
肩にさくらの指が食い込む。
が、直ぐにその腕は下された。
「......分かるわけないわよね」
雨に濡れて、いつもは分けている前髪から水滴が滴っていた。
「分からないよ。分からないけどさ......」
「ママから別々に暮らそうって言われた。あんたは勝手に善人気取ってるのかもしれないけど、私はそんなの......!」
「そ......そんな言い方......。ごめん......」
確かに、悪いのは私だと思う。
それは今のさくらを見れば、誰だって納得できる事実だった。
「ふざけないでよ......」
「......」
雨が屋根を打つ音が響く。
冷え切った体は、何をするでもなくただ立ち尽くしていた。
「帰ろうよ......」
ただそうとだけしか言えなかった。
「あんたもあんただけど、ママもママよ......。唆されて、勝手に一人で決めて......」
「それは......相談するべきだと思う......」
「うっさいわね。あんたに言ってないわよ......」
「......」
街灯がチカチカ点滅する。
雨の音以外、何もない。
嫌になるくらい静かだった。
「ねぇ?その......いつから、なの......?」
「言うわけないでしょ。全く......」
「......」
「いつまで居るのよ......。ほんっと......そう言う顔ムカつくのよ」
さくらが私の頭をはたく。
水滴が一気に落ちた。
黙ったままでいると、さくらが話し出す。
「......分かったわよ。帰る。......帰ればいいんでしょう?だから......あんたも帰んなさい」
「......え」
「ほんと馬鹿ね。でも......今日ばかりは私も流石に馬鹿だった。だからこれからもう一つ馬鹿を重ねるわ」
「それは......?」
さくらがこちらを見ることはない。
「あんたみたいに......馬鹿正直に文句言ってやんの。いつぶりかしら?ちゃんと話すの......。自分を偽らないで、等身大の私をさらけ出すのは」
「えっと......」
「あんたのおかげ......ではないけど、色々整理がついたわ」
さくらはもう怒っている風でも、落ち込んでいる風でもなかった。
翌日。
ベッドに横たわる私を、どらこちゃんたちが正座で覗いていた。
「今日はさくらちゃんも学校来ませんでした。......たぶんきららちゃんと一緒で風邪をひいたんだと......」
「これ、今日の宿題」
どらこちゃんが布団の上に、プリントの入ったファイルを投げる。
布団が分厚いのもあって、それらしい感触もなかった。
「お待たせニャ!」
ゴローが二人にジュースを持ってくる。
そして、私には受話器を持って来た。
「また......?」
今度はなんだろうと、受け取る。
『もしもし?』
「!」
その声はさくらだった。
多少鼻声だが、間違いない。
『あんたの所為で無事別居になったわよ......』
「えっ......」
その言葉に心臓が止まりそうになる。
「ご、ごめん......」
なんて、いくら謝っても仕方ないのだろうけど......。
『馬鹿言ってんじゃないわよ。これはちゃんと話し合って決めた。ママも、パパも......当然私も。あなたに押し付けられた結末じゃない。ちゃんと私たちで決めたのよ。だから、あんたのやったこと全部無駄でしたって伝えに来たの』
聞き慣れた意地の悪い笑い声が、小さく聞こえる。
『それからもう一つ......。ママに携帯電話買ってもらったの。どう?羨ましい?』
「別に......あんまり」
『嘘でも羨ましいって言いなさい。......っと、まだもう一つあったわ。これはママから。断じて私からじゃないわ。......ありがとう......ってさ。お二人にも伝えておきなさい』
「は、はぁ......」
『それじゃ......』
ブツっと、電話が切れる。
「なんでした?」
「なんだったって?」
二人ともジュースに手を伸ばしながら、訊く。
その表情は大体知っているみたいだった。
「あーっと......携帯買ったって」
外はすっかり晴れて、日の光が窓から差し込んでいた。
続きます!