草陰の虚像(18)
続きです。
さくらが倒れる最中、時間がゆっくりと流れるように感じた。
あともう一撃いけるか......!?
加速した意識が、もう一度下から斬りあげるべく手首を返す。
ところが、私の目は別のものを捉える。
「なっ、何......?」
さくらのその顔は笑っていたのだ。
背後で嘲笑う声が聞こえる。
「ばーか」
関節に膝がめり込む。
その感触は植物じゃなくて、間違いなく膝だった。
目の前のさくらが姿を消す。
いわゆる膝カックンを食らった私は、ストンと姿勢を崩す。
その時の視界に、曇り空とニヤケ面のさくらが写った。
倒れそうな私の脇に、さくらが腕を通し支える。
「冥土の土産に教えてあげる。私の能力は光を操るツルの操作。ただ透明なんじゃないの。偽物の私を見せることだって出来る。あんな分かりやすい動きで近づいてきてるのに棒立ちなわけないでしょう?」
剣を振りながら飛び退く。
さくらはその私を見て、未だニヤニヤ笑っていた。
「馬鹿にしやがって......!」
顔をしかめて悪態を吐く。
勝ちを確信していたので、酷く頭に来た。さっきのさくらの気持ちがよく分かった。別に知りたくはなかったが。
「くっそ......一体どうなってんの!?」
私が今まで相手にしていたのが、偽物だったと......?それじゃ馬鹿そのものじゃないか。
さくらがゆっくり歩み寄りながら笑う。
「せっかく説明してあげたのに、まだ分からないの......?ほんとにしょうもないおつむしてるのね」
「っるさいなぁ......」
「あなた......人間が何でものを見てるか知ってるかしら......?」
さくらは私を馬鹿にし続ける。
「そんなの目に決まってるでしょうが!」
怒りに任せて剣を振る。
風を切る音が鳴った。
「......」
さくらは無言で一歩ずつ進んでいる。
その姿は隙だらけに見えるが、実際はツルで厳重に守られているのだろう。
「少し言い方が悪かったわね......。あなたは何があるからものが見えると思う?」
「は?だから目じゃん」
「............」
「............」
さくらが立ち止まる。何を企んでいるのかは全く分からない。
「あなた......それはさっきの能力の説明を踏まえた上での回答?」
「さっきからなんなのさ......」
流石にしつこいぞと、困惑の色が強くなる。つまり何が言いたいのだ?
「......まぁ、この際それはどうでもいいわ。ともかく私の能力は光を操るの。だからね......こんなことも出来るの」
さくらが右腕を顔の横まで持ち上げる。
そして......その指を鳴らした。
その音は暗闇にこだまする。
曇り空も、住宅街も、さくらの姿さえもそこにはない。
あるのは、今まで見てきた中で最も暗い闇だった。
「な......!?どういう!?」
私の正面から声が響く。
突然の声に思わず身を引く。
「あなたとお話してる間にあなたをツルで取り囲んだわ。あなたからは何も見えない。あなた自身の姿ですらね」
声に向かって剣を突き出す。
しかし、それらしい手ごたえはない。
「惜しいわね。あと少しで届いたのに」
その言葉と共に、剣に微弱な振動が伝わる。
「......!」
今突けばと思った矢先に、剣が引っ張られる。
「わっ......」
いつもなら離すことなどないのだが、暗闇に動揺してしまい奪われてしまった。
「結構重たいじゃない」
さっきとは別の場所で声が聞こえる。
コツコツと足音は聞こえるが、はっきりとした居場所がつかめない。
辺りを見回せど見回せど、何かが見えることはない。
「ほらほら」
背中に衝撃が走る。
斬られた......のだろうか。
「そっちか......!」
振り向くが、また背中から斬撃を浴びさせられてしまう。
「くっ......」
今度は一撃ではなく、二撃、三撃と立て続けに衝撃が走る。
これはまずい......。
「あんまり一方的なのも面白くないわね」
腹に何かが突き立てられる。
咄嗟に手を伸ばすと、その感触からリコーダーであることが分かった。
「これで正々堂々戦えるわね」
「何が正々堂々だっ!卑怯だぞ!」
武器が有ったって、何も見えやしない。
デタラメに振ったって、そうそう当たるようなものじゃない。
剣の攻撃範囲では太刀打ち出来ないのだ。リコーダーじゃ勝ち目がない。
今度は背後から蹴りが飛ぶ。
肩甲骨のあたりを蹴られて、倒れる。
「くっそぅ......」
手のひらに砂利が張り付く。
何か手はないのだろうか。
今あるのはリコーダーだけ。
ただの楽器だ。姿を変えたとしても剣だ。どの道活路は見出せない。
起き上がろうとするが、今度は尻を蹴り上げられる。
顔面から道路に倒れ伏してしまう。
ゴローのおかげでケガや痛みはないものの、かなり屈辱的だ。
食いしばった歯の隙間から息が漏れる。
すると暗闇の中、風に混じって帰宅を促す町内放送が流れてきた。
「もう帰る時間だって......。終わりにしちゃおうかしら」
さくらが見下して言う。
その声は間違いなく私の耳に届く。
「音だ......」
アンキラサウルスの咆哮を思い出す。
あの圧倒的な攻撃範囲。
今手元にあるのは何の巡り合わせか楽器に他ならない。
「......何のつもり?」
さくらが変化に気づいたようだ。
私の目には見えないが、リコーダーはトランペットに姿を変えているはずだ。
息を吸って、それに口をつける。
リコーダーとは異なる金属の感触だ。
そして、息を吹き込む。
瞬間何かが弾けるように、大きな音が響く。最早それは破裂音のようですらあった。
地面が小刻みに揺れる。
引き裂かれたツルの隙間から、光の筋が見える。
そこでさくらは両耳を塞いでしゃがみ込んでいた。
トランペットを吹き続け、立ち上がる。
そこでやっと、吹くのをやめた。
「ふぅ......。これで見えようが見えまいが、偽物だろうが本物だろうが関係ないね」
音が届く範囲全てに有効なのだから。
「へぇ......」
さくらが頭を押さえてよろよろ立ち上がる。
私自身も音が頭の中で何度も跳ね返っている。自ダメージまで再現してしまったみたいだ。
それを悟られまいと、表情を変えないように振る舞う。
「そう......そうですかっ!!」
頭を押さえたまま、声を荒げる。
この感じはまた攻撃だろう。
トランペットに息を吹き込む。
短く音を発するだけで、さくらの体が吹き飛ばされた。
音が押し出した空気が爆風となって吹き抜ける。
さくらの取り落とした剣を拾って、うずくまるさくらに近づく。
そして今度こそ
「たぁっ!」
斬撃を浴びせる。
「くっ......」
さくらが身を翻して、握りこぶしをつくる。
でも......。
「まだっ......!」
その握りこぶし諸共斬りつける。
遅れてやってきたツルが私の横面を叩くが、無視して三太刀めを入れる。
これで......トドメ!!
垂直に刃を突き立てると、さくらの体から光の粒が溢れ出した。
その粒子は電柱の傍で目を回しているゴローに吸い込まれていく。どうやらだいぶうるさかったみたいである。
さくらの上に跨ったままよそ見をしていると、さくらの手が私を突き飛ばした。
「うわっ......」
私の下から慌てて這い出すさくらの捲れたスカートから覗く足には、無数の切り傷や痣がついていた。
さくらは無言で走り出し、コンクリート塀に飛び乗ると、誰の家の敷地かもわからない庭に飛び込んでいった。
「あっ......ちょっと......!」
まだ肝心の話が出来ていない。
急いで塀をよじ登って覗くが、さくらの姿は見つからなかった。
「そんなぁ......」
言っているところに、声をかけられる。
「きらら......?」
振り返ると、そこにはどらこちゃんたちの姿があった。
「あっ......」
「どうだった......?」
どらこちゃんが訊く。
少し躊躇うが、口にする。
「話する前に......逃げられちゃった」
ずり落ちるようにして、塀から降りる。ポツポツと雨が降り出していた。
「そうか......こっちは多分うまくいった」
「さくらちゃんのお母さん......たぶん覚悟は出来てると思います。なんなら私たちが行かなくても、いつかは話したと思います」
しかし、みこちゃんは難しい表情のままだ。さくらの方が心配なのだろう。
「ごめん......。探さないと」
走り出そうとする私の手を、どらこちゃんが掴む。
「いや......さくらを信じよう。きっとあいつなら大丈夫だ。......雨も降ってきたしな」
私のためにそうは言ってくれているが、どらこちゃんの顔にも不安が色濃く滲んでいた。
雨は次第に強まっていく。
暗い空の下、うかない顔で俯きがちに歩いていった。
続きます。