救世主II(32)
続きです。
「悪いね。助かったよ。本当に・・・・・・」
とりあえず三人を帰して、陽子はそばにおいたまま少年の顔を見る。
「別にいいさ。どうせ地元だし・・・・・・」
少年は本当に何も感じていないような顔をして答えた。
僕の隣の陽子といい、この少年といい、今は表情が色褪せたやつばかりだ。
もちろん僕は除いて。
表情と言えば、さくらの表情も気になりはする。
幸い・・・・・・かどうかは分からないが、僕の前でさくらが目覚めることはなかった。
いずれは目覚めるのだろうが、少なくとも僕の目の前じゃなくてよかった。
いったい何を言われるか分かったものじゃない。
いや、大体何を言われるか察しがつくから嫌なのか。
「じゃあ俺、帰るから」
少年は何か焦っているかのように落ち着きが無い。
この表情の乏しさというか、希薄さはその焦りからのものなのだろう。
少年の目はここにある今を見ていない。
たった一つの目的のために、未来のために、焦って足掻き続けている。
その姿は傍から見れば酷く不健康だ。
「帰ってもらって構わないが、あの場所に戻ろうなんて思うなよ。さっきも言ったが、君には勝てない。というか誰なら勝てるんだか・・・・・・」
最後の言葉は僕自身の愚痴だ。
ユノなら止められるだろうが、そうするはずもない。
ユノとしては自分の犯行をなすりつけられる丁度いい存在だからだ。
同じ姿で、アンキラサウルス。
そいつが一連の事件の犯人。
怪我人も死人も、全部救世主の所為だ。
「行かねぇよ。もっと大切なことがある。そのためにお前の呼び出しにも応える。まぁ今回はそういうことだから収穫無しだったが」
少年は本当のことを言っている。
少年は救世主のもとには行かないだろう。
少なくとも、今は。
「夏休みももうじき終わる。学校行けよ」
少年は何も言葉を返さない。
頷きも、首を振りもしない。
僕の帰っていいという言葉を受け取って、ただちにその姿を消してしまった。
少年にこんなことを続けさせるべきじゃないという思いもあり、また邪魔するべきじゃないという思いもある。
帳担当で呼ぶのは、次からはノワールでいいかと思った。
アイツ相手なら僕が思うことも特に無いし。
「さて、後は・・・・・・」
最後に残った陽子を見る。
手を繋いでいるわけでもないし、何ら行動を制限するようなことはしていないが、あの時のように逃げ出す様子はなかった。
「ああ、行きたくね・・・・・・。行きたくねぇー・・・・・・けど・・・・・・」
行かなきゃな。
自分の言ったことくらい、責任を持たないと。
陽子は、帰るべき場所に帰す。
どう転ぶかは分からないが、絶対に・・・・・・だ。
着々と準備は進んでいく。
一つの段階の終わりに向けて。
そして始まりに向けて。
ユノの神殺しに向けて。
誰も居なくなった研究室。
しかし沢山の道具は残っている。
百鬼夜行も、そしてアレも。
必要なものは揃っているのだ。
けれども・・・・・・。
大切なものが、欠けてしまっている気がしていた。
「ユノ・・・・・・」
不安で、心配で、その顔を見上げる。
「大丈夫だよ。心配要らない」
ユノに付き従う者は、もう私以外誰も居ない。
ユノのために働き、そしてユノを、進化を求める気持ちを忘れて、去って行った。
しかし、その一人が突然戻って来る。
以外な人物を連れて・・・・・・。
「やぁ、二人とも・・・・・・元気そうで何よりだよ」
やって来たのはスバルちゃん。
さっきはユノに付き従っていた者の一人と言ってしまったが、それだと語弊がある。
思えばこの人はユノを救世主と崇めたことも、進化を求めたことも無かった。
多くの人を騙してきた私の魅了も効きはしなかった。
だがスバルちゃんが戻って来たこと自体はそこまで驚くべきことではない。
問題は、その連れだった。
「陽子・・・・・・ちゃん・・・・・・」
その名を呼ぶと、心の奥で何かがねじ曲がる。
ぐにゃりと、何かを押しつぶす。
酷く、気持ちの悪い感覚だった。
たぶんそれの名は、罪悪感。
「トップアイドルと救世主様のところなら安心だろ? 誰に狙われてるのかは言うまでも無いな」
陽子ちゃんが私の顔と、それからユノの顔を見上げる。
そのユノの顔を見上げて、暗い瞳で少女は言った。
「・・・・・・助けてくれなかった、お姉ちゃん」
「・・・・・・!」
その言葉にユノが何を思うか、私には計り知れない。
だからそんなこと言われたくない。
けれど、当然その言葉を否定することも出来ない。
どろり、と心の流れが滞って、息が詰まる。
酷く、悔しい。
「大丈夫だよ。心配要らない」
見上げたユノの表情に、感情の色は滲んでいなかった。
続きます。