救世主II(30)
続きです。
炎の勢いはとどまる事を知らず、壁を伝って物から物へと燃え移る。
火の手は天井まで伸び、どこかで瓦礫の崩れる音がする。
あたしが爪で切りつけた場所から覗くのは、夢の中のような虚無の空間ではなく青空。
場違いなくらいにのどかに流れる白い雲。
「いや・・・・・・場違いなのはあたしらか・・・・・・」
炎の中心。
銃に囲まれ、あたしたちの視線にも囲まれ・・・・・・炎の中の影はゆっくり揺れていた。
「ふ・・・・・・ふふ、ふふふふ・・・・・・」
燃えながらも、救世主は不気味な笑い声を上げる。
「・・・・・・まだ、ダメなのかニャ・・・・・・」
ゴローがダメージを喰らっていないことにはとりあえず安堵するが、まだ油断は出来ないようだった。
「みこ、念のためいつでも撃てるようにしといてくれ」
「分かりました・・・・・・」
みこの表情は険しい。
流石にきららの姿をしたものがあそこまでボロボロになっているのを見てしまったら、きららじゃないと分かっていても攻撃しづらいのだった。
あたしもそうだから、よく分かる。
「君たちには・・・・・・勝利は・・・・・・ありえない・・・・・・。初めから用意されていないものは、手に入れることは出来ない。・・・・・・私と、同じで」
救世主の声は、何かを憎んでいるようだった。
アンキラサウルスに憎むというものがそもそもあるのかは分からないが、少なくとも人間からすればそう捉えられた。
「おまえは・・・・・・おまえらは、何なんだ・・・・・・?」
炎に包まれても、呻き声一つ上げない救世主に問う。
返ってくるのは、不気味な笑い声だけだった。
「とりあえず今は陽子・・・・・・あの女の子を保護したい」
スバルが救世主が動かないうちにと口を開く。
その言葉を聞いたゴローがきららに突き飛ばされた位置で唖然としている陽子という名らしい女の子に歩み寄った。
「・・・・・・来てくれるよニャ?」
ゴローの腕に噛みつきまでした少女は、あっさりとゴローに捕まる。
全くの無抵抗で、再びその腕の中に収まった。
「待て」
離れようとするゴローを、救世主が呼び止める。
だがもちろんゴローはそれを聞き入れない。
「待てと言っているだろ!」
そう叫んで、救世主は再び動き出した。
「ゴロー・・・・・・!」
「分かってるニャ!」
救世主が動き出したのと同時に、ゴローが全速力で駆け出す。
救世主は残った左腕の一振りで自分を包む炎はおろか、廊下に燃え広がっていた炎をも消した。
「みこはゴローたちを守ってくれ!」
「分かりました!」
みこにそう言って、あたし炎の中から現れた救世主の方へ、ゴローとすれ違うように駆け出す。
救世主はあたしの一歩目と同じタイミングで、俯き気味にボソボソと口を開いた。
「・・・・・・変成・・・・・・」
救世主が、残された左腕で、切断された腕の傷を撫でる。
流血しない所為で、鮮明に見える筋繊維。
それは救世主の指が触れると、脈打つように収縮した。
そして・・・・・・。
「な・・・・・・!?」
身体中の虫食いが塞がる。
右腕が断面から膨れ上がり、もう一度完全な右腕を形作る。
救世主は、ボロボロの肉体を完全な肉体に作り変えた。
「そんな無茶苦茶な・・・・・・」
みこがその様に困惑する。
その言葉の通り、無茶苦茶だった。
「クッソォ・・・・・・ッ!!」
舌打ちしながら、距離を詰める。
「こいつはいい。本当にいい。君たちは彼女の能力だけで始末してあげよう」
救世主はあたしが来るのを待っている。
圧倒的優位に立っているが、その表情に油断は見えなかった。
しかしその表情が今はありがたい。
きららの顔でも、全然きららに見えない。
「これなら・・・・・・遠慮なく殴れるッ!」
跳躍し、距離を一気に縮める。
その勢いも乗せて、拳を打ち出す。
しかし初撃は救世主の腕で受け止められてしまった。
だがそれならそれでいい。
もう一度、その腕をぐちゃぐちゃにしてやる!
意思の高まりに共鳴するように、拳に炎が灯る。
炎の明るさは一瞬にして最高潮まで上り詰め、その光だけで周囲を発火させてしまう。
そしてその光は裏返った。
光は反転し、闇となる。
濁った血液のような赤黒い炎。
内包するエネルギーはこの一瞬で極限を超えていた。
「ふん・・・・・・」
救世主はその変化に一瞬表情を変えるが、しかしすぐに元の顔に戻る。
「変成」
その声と共に、籠手は灰と化して散ってしまった。
「ありゃ・・・・・・!?」
いくら破壊力が凄まじかろうと、ただの灰に変えられてしまえば効果は無い。
残ったのはあたしの拳だけだった。
だがそれでも構わないと殴り抜ける。
その拳打は、救世主の腕を弾くことに成功した。
そして、まだ左腕の籠手は残っている。
「もう一度・・・・・・!」
やろうと思って出来るのか、それは分からない。
しかし再び黒い炎は拳に灯った。
今度こそ・・・・・・!
「炸裂しろ・・・・・・!」
救世主は拳を再び手のひらで受け止める。
だが変成は間に合わない。
黒い炎が、十字に炸裂する。
救世主の反応速度を超えて、その腕を吹き飛ばす。
あたしの拳を受け止めた腕は、肩から消滅した。
だがそれだけじゃ意味が無い。
だからもう一撃、確実に仕留めないと・・・・・・。
ところが、それは許されない。
音もなく、突然床に全身が叩きつけられる。
「これは・・・・・・重力・・・・・・!」
またもきららの能力だった。
顔だけで見回せば、その場に居た全員が倒れ伏している。
触れたものを変化させる能力でもそうだったが、きらら本人の能力よりも明らかに強力。
広範囲にのしかかる重力は、完全にあたしらを無力化することに成功していた。
誰も立ち上がれない中、救世主は悠々と一人歩く。
あたしらを重力で押さえつけたまま、更に別の重力を発生させて切り落とされた腕を剣ごと浮き上がらせていた。
「変成」
救世主の肉体に触れた腕は、再生し、そして再び腕としての機能を取り戻した。
更に握られていた剣は、鞭へと姿を変える。
「みんな死ね」
そしてそれを視認すら叶わないスピードで振り回した。
風を切る音が通り抜ける。
その度にその通り道が切れる。
その速度が異常すぎて、同時に複数箇所が切れる。
壁が、天井が、床が、粉々になる。
更には被害は屋外まで及び、近くの街路樹を切断し、道路を分断する。
奇妙な重力の所為で、一部の瓦礫が舞い上がるように宙に浮いていた。
「くそ・・・・・・ダメだったか・・・・・・」
この状況で生きていられるわけがない。
抗いようがない。
だが、スバルはニッと笑みを浮かべた。
「いや、間に合ったよ」
「どわっ・・・・・・!?」
重力の範囲内に踏み入った誰かが、空から落下してくる。
見たことも会ったこともない少年だった。
「何だよこれ! 動けないじゃないか!」
スバルは間に合ったと言ったが、その少年が既に大丈夫そうに見えない。
「少年、済まないがトンボ帰りだ。相手が相手だから思うところはあるだろうが、君には勝てない」
「で! どうすりゃいいんだよ!」
少年は重力に抗おうとするが、結局立ち上がることが出来ずにへばりついている。
「君は帳が使えたろ。それで帰るんだ」
「この状況じゃ無理だ!」
「大丈夫・・・・・・」
スバルがその先を口にしようとするが、それよりも早く答えが明らかになる。
降り注ぐ、見たことのある光。
青い、まるで液体のような光。
それが重力圏外の機械の目玉から照射されていた。
「操重力光だ」
それでもってしても打ち消しきれないが、それでも立ち上がれる程度にはやわらぐ。
少年も早く退散したいのか、体が動くのが分かると、すぐに何も言わずに指を鳴らした。
その瞬間、景色が歪む。
これまた見たことのある現象。
「帳って・・・・・・これだったか」
ノワールがやっていた、いわゆるワープ。
闇の帳が、世界を包む。
救世主も気づくが、それは既に手遅れ。
あたしらにとっては、まさしく間に合った。
そうして、景色が切り替わった。
続きます。