秘密基地侵攻(28)
続きです。
冷房から吐き出される微風に、前髪が揺れる。
夏の暑さはカーテンに蝉の声ごと遮られていた。
瞼を閉じれば、まださっきまでの情景が詳細に思い起こされる。
むしろまだ帰って来たという実感の方が薄いくらいだった。
クッションに腰を沈めて、自らの膝を抱き寄せるようにしてベッドに寄りかかる。
ベッドの上ではみこちゃんの家だって言うのに我が物顔でどらこちゃんが寝ていた。
冷房も全開なのにお腹を出して、時々意味もなくぺちぺちやりだす。
なんだかんだでお疲れの様子だった。
それは私も同じことで、体が重い。
新しい能力も遠慮無しに使った所為か普段よりずっと疲れていた。
ただ本当なら傷だらけだったわけで、それを考えるとだいぶマシだろう。
「ん・・・・・・」
確認するように、自分の二の腕や脇腹を撫でる。
触っても痛まないし、骨もしっかり繋がっている。
肌も滑らかで傷も傷跡もない。
ちょっと不気味なくらいに無傷だった。
そんなことをしていると、突然部屋の扉がゆっくり開く。
下の階で間食なり入浴なり各自自由に過ごしていたみんなが上がって来たのかと思って見れば、ドアを開けたのはゴローだった。
遅れて、階段を登ってくる足音が無かったことにも気付く。
「ゴロー・・・・・・?」
座ったまま、その顔を見上げる。
その私の顔を覗き込むようにゴローもまた視線を合わせた。
「話さなきゃならないことがあるニャ。分かるね?」
「う・・・・・・」
かち合った視線を逸らす。
心当たりはありまくりだった。
実際に怒られて当然のことをしたと思っている。
でも。
「でも、だってしょうがないじゃん。最終的には、ほら、このとーりだし・・・・・・」
腕を広げて、五体満足ですよーと見せつける。
他にどう出来たと言うのか。
けれどもその間も視線を合わせることも出来なければ、言葉に勢いも無かった。
「結果は結果ニャ。頼むから危険なことはやめてくれニャ。ボクの為にそうしてくれたのは分かる。けど、それできららがあんな目に遭うようじゃ、元も子もないニャ」
「・・・・・・」
言い返す言葉が出ない。
そもそも何かを言い返すことが正しいんじゃない。
私は約束を破った悪い子だった。
ゴローが何かを言おうとするが、それを階段を勢いよく登ってくる音が遮る。
そしてゴローが遠慮がちに開いたドアを蹴破る勢いでさくらが入って来た。
その髪は濡れて毛先が垂れ下がっていて、入浴後だとすぐに分かる。
そのさくらは何を言うでもなく早歩きでこちらに詰め寄り、そしてゴローを押しのけて目の前でしゃがんだ。
その勢いに、思わず体が硬直する。
抱いた膝がキュッとする。
さくらは鼻先が触れ合ってしまう程の至近距離で私の目を覗き込んでいた。
「え・・・・・・と、さくら・・・・・・?」
さくらの表情から何を考えているかは窺えない。
そしてさくらはその小さな唇を、小さく動かした。
「ばか」
空気が抜けるみたいに、息を多分に含んだ声。
少し掠れたようなそれは、言葉が風のように吹き抜ける錯覚をもたらす。
そして次の瞬間、その風を散り散りにして破裂音が弾けた。
「あ、さくら・・・・・・!」
ゴローの驚くような声が届くが、それどころではない。
咄嗟に瞑った瞼の裏側に火花みたいな光が明滅する。
左頬にジンジンと熱が広がる。
痺れたみたいな痛みが顔の表面に張り付く。
さくらにぶたれた。
「・・・・・・」
叩かれた頬に半ば無意識的に手を触れて、いきなりぶたれたことに驚きを隠せないままさくらを見る。
さくらもまた、何故か驚いたような表情をしていた。
私の頬を押さえる手に、さくらの手が重なる。
「・・・・・・ごめん」
至近距離を保ったまま、さくらは低い声で静かに言った。
その声は微かに震えている。
「さくら・・・・・・」
ゴローがそれを後ろからなんとも言えない表情で眺めている。
その後ろから残りのメンバーの階段を登る音が近づいてくるのが分かった。
もうみんなが来るっていうのに、私は何だか泣きそうになってしまう。
既に目の奥が濁るように熱く、喉はひくついている。
ただ辛かった。
ぶたれたのが痛かったとかそういうのじゃなくて、さくらが心配してたのがそのまま伝わって来て。
心配されるのは、頬の痛みよりずっと辛かった。
そのまま抗う術もなく、涙がこぼれ落ちる。
声だけは抑えようと噛んだ唇が震えた。
私が零した涙がさくらの指に伝う。
小さな雫を作ってから、しばらくしてポタリと落ちた。
「その・・・・・・ほんとにごめん。違う。違うの」
泣き出した私にさくらが焦る。
違うよって言いたかったけど、それは無理そうだった。
さくらが私をぶったことを帳消しにするつもりなのか、泣いてる私の顔を胸に抱き寄せる。
さくらには悪いけどそれは今の私には逆効果で、肩の震えが悪化した。
「ごめん・・・・・・。ゴローもごめん」
さくらの腕の中で、涙が染み込むのも気にしないで頭を押し付ける。
涙声で懺悔する。
「いや・・・・・・」
さくらが否定しかけるが、すぐにその言葉も否定する。
「いや、そうね。あんた大バカよ。こっちの気にもなってみなさいっての」
「まぁ、そういうことニャ・・・・・・。ボクが言うより効いたみたいだね」
ゴローも、後ろでそう頷いた。
「あれ? 何やってるんですか?」
階段を登り切ったみこちゃんとノワールが部屋に立ち入る。
慌ててさくらは泣いてる私を隠すようにぎゅーっと抱きしめた。
いい感じに首の骨と噛み合って、正直さっきのビンタより痛い。
その痛みの所為で、涙の種類も切り替わる。
「え・・・・・・? 本来に何やってるんですか?」
「さ、さぁ・・・・・・?」
さくらの苦し紛れの言い訳が無軌道に放られる。
もはや言い訳にもなっていない。
「まぁ、色々ニャ」
別に色々は無かったけどゴローが適当にまとめる。
みこちゃんは納得しかねるようだったけど、特にそれ以上のことは言わなかった。
「あ、どらこちゃんまた寝てるんですかぁ!?」
私の後ろのどらこちゃんを見つけて、みこちゃんの注意が切り替わる。
「いや、起きてる」
そのどらこちゃんの返答に、今度はさくらの体の向きが急角度で変わった。
その所為で私の首にかかる負荷も大きくなる。
「い、いた・・・・・・痛い・・・・・・」
流石に我慢ならなくて、その腕をぺちぺち叩いた。
「あ・・・・・・いや、ごめんなさい・・・・・・」
そこでやっとさくらの腕から解放される。
しかし鈍い痛みが首の骨の節目にクサビのようにささったまま抜けなかった。
何度か首を鳴らすみたいに傾ける。
その度に痛いけど、なんとなく繰り返してしまった。
たぶん骨には悪い。
さくらはどらこちゃんが何か余計なことを言わないかと、その動向を気にしている。
いや、別に何言われてもよくない?
しかしさくらにとっては、ようは私を泣かせたってことだし、あまり言われたくはないのかもしれなかった。
その意図を察したのか、どらこちゃんがちょっと意地悪な笑みを浮かべる。
だけど浮かべただけで特にそれに続くものはなかった。
「もぉ、私のベッドですよ!? それに寝てたと眠ってたは別ですから! 起きてても寝てたは寝てたです!」
みこちゃんがどらこちゃんの態度に形ばっかりぷんすこしながらベッドに飛び込む。
珍しくみこちゃんが能動的にじゃれついていた。
さくらもそれを見て一息ついたようで、私の隣に私と同じような姿勢で座る。
クッションの高さの分私の方が背が高くなってるのに頭の位置は横並びになる。
私の方が足が長いのだと無理矢理都合よく解釈しておいた。
「さて、一息ついているところ悪いが、あまりのんびりしている時間はないよ」
そんな中、部屋に入ってすぐのところに立ったままのノワールが開口する。
いかにも大切な話そうなので、みんなの視線は一斉にノワールに集った。
じゃれあっていた二人の声も静かになる。
その静寂を受けて、ノワールは続ける。
「間違いなく、そう遠くない未来、ユノの襲撃があるはずだ。既に君たちの住処は把握されている。いつ何があってもおかしくない」
確かに、今回の戦いで水面下で起こっていたことが表出した感がある。
基地だってぼろぼろにしちゃったし、相手はお怒りで間違いないだろう。
涙に誘発された鼻水をすする。
まだ湿った目元を拭う。
「分かった。じゃあ準備が要るね」
具体的に言えば、奪われてしまった球をもう一度用意しなければならない。
「ああ、そうだ。よろしく頼むよ」
ノワールが頷く。
みんなも真面目な顔でその場を見守っていた。
一体いつ襲撃があるのやらさっぱり分からない。
ただユノたちも目立ちたくはないだろうから、白昼堂々というのは考えづらい。
とにかく。
「ゴロー、粘土!」
「分かったニャ」
私たちは急がなければならない。
戦いは準備段階から既に始まっている。
だから今日のうちに球を作り、そしてみんなに渡す。
そのためにゴローをパシらせた。
太陽が傾き、オレンジ色で街を溶かしている時間帯。
少年は一人その光の中を歩いていた。
少年の服は汚れ、さらには無数の細かい傷がついている。
その目は虚ろで、しかし確かに何かを渇望するように見つめ続けていた。
「まだだ。まだ足りない・・・・・・」
少年の頭の中に、一つの名前が浮かび上がる。
「芹」
しかしその浮かび上がった名を口にしたのは、少年ではなかった。
突如光の中から姿を現したのは、一人の少女。
その少女はつまらなそうな顔をして、ヘッドホンを外す。
しかし何よりも目を引くのは、その少女が左手にぶら下げた巨大な機械の剣だった。
その刀身には紫色の宝石がはめ込まれている。
それでも、少年は剣ではなく少女が告げた名前に言及する。
「何故・・・・・・? どうして・・・・・・!?」
少年は面識の無い少女からその名が出たことに驚きが隠せないようだが、少女は気にせずに続けた。
「僕も悪いとは思ってる。原因の一つである自覚もある。流石にね」
「何を言ってるんだ!? 原因って何だよ!!」
少年の表情に敵意が滲む。
「お前が・・・・・・!!」
少年が牙を剥く獣のように、怒りを露わにするが、少女は無視して勝手に話し続けた。
「君にプレゼントだ。禁忌武装煌大剣・・・・・・なんてかっこいい名前をつけてみたがどうだろうか?」
少年の表情に違和感が満ちる。
目の前の少女が何を言っているのか分からないという表情だ。
怒りはその違和感に蹂躙され、少年から勢いが消える。
「何を言ってるんだ・・・・・・?」
少女は無視する。
「キ石を解析して作り上げたものだ。それ・・・・・・擬似キ石ね」
紫色の宝石を指差す。
「それはキ石と同じように、君が集めているものを貯めることが出来る。それもキ石より効率よくね。だから自由に使うといい」
そう言って、半ば強制的に巨大な大剣を少年に押し付ける。
流れでそれを手にしてしまった少年は、渡されたそれをゆっくりと眺める。
はめ込まれた宝石がいかにもパチモン臭く輝いていた。
「その代わり、必要なときが来たら力を貸して欲しい」
少女は勝手に押し付けたにも関わらず、条件を付け足す。
「おい・・・・・・!」
少年はそれに噛み付くが、相変わらず少女は反応しない。
自分の言いたいことだけ勝手に言っていく。
少年も何を言っても無駄だと悟ったのか、諦めて言葉を呑んだ。
しかしふとした疑問が口をついて出る。
「て言うか、必要なときっていつだよ・・・・・・」
すると、少女はその質問には答えた。
「そのときが来れば分かるさ」
しかしその言葉はほとんど答えになっていないのだった。
「やれやれ・・・・・・結局あの後捕まって、約束事を増やされちゃったもんな・・・・・・。忙しいよ」
勝手に急いで、少女はその場を立ち去ろうとする。
「お、おい待てよ・・・・・・!」
少年が叫ぶが、少女は真面目に取り合わない。
最後にうっすら笑って少女は言い残した。
「少年、君は世界を救うんだ。それを使ってね。もっとも最終手段だが・・・・・・。まぁいい。僕とヒーローになろうという話さ」
それだけ言って、その姿をオレンジ色に溶かしてしまう。
「結局・・・・・・何がなんだか・・・・・・」
取り残された少年がボヤく。
「何だったんだ・・・・・・」
少年は手のひらに乗っかる重さに顔をしかめる。
しかし捨てることも出来ず、細切れの雲が流れる空を見上げた。
続きます。