台風一過(6)
続きです。
それから少し経って、みんなでボーっとテレビを眺めていたとき。
そのときに、インターホンの電子音が、テレビ番組の付け足し笑いに被さった。
「あ、来ましたかね?」
最初に反応するのは、みこ。
みこが玄関の方を向くと、みこの母がその視線を追い越すように玄関に向かって行った。
なんだかんだで私たちも気になって、玄関のところまで行くことはしないが首を伸ばしてそちらを覗く。
「あ、来たな」
「来たみたいね」
扉の向こう側に見えるのは、ほかの誰でもないきららのおばあさんだった。
具体的な年齢は知らないが、結構な歳のはず。
しかし、その立ち姿にはあまり年齢を感じさせない。
やっぱり普段からきららみたいなのの面倒を見ているとそれなりに鍛えられるのだろうか。
「お迎えだね。おばあちゃんは外で待ってるって言うから、きららちゃん連れてこないと・・・・・・。歩ける・・・・・・かな?」
みこの母が玄関から戻って来て、そう告げた。
その言葉を聞いて、流石に歩けないなんてことは無いだろうと思うが、しかし様子を見に行ったときの状態を考えると少し難しいのかも知れなかった。
「あ、私が連れてきます。みこはさっき冷蔵庫に入れてもらったやつゴローに持たせて」
「はい、了解です。ゼリーですね」
みこがビシッと敬礼して応える。
なんとも無駄に頼もしかった。
「大丈夫、一人で・・・・・・?」
みこの母は既にきららが歩けないと想定しているらしく、私の顔をしゃがんで覗き込む。
それに意味もなく背伸びで対抗した。
「大丈夫よ。きららだし。最悪落としても・・・・・・」
「心配だから私も着いていくね・・・・・・」
私の言葉は逆に不安を煽ったようで、みこの母は苦笑いした。
それを勝手に受け流して、きららの居る二階に向かう。
みこの母とどらこはとりあえずといった具合で、私の後に着いてきた。
別に一人で運びたいだとか、そうする意味があるわけじゃないけど・・・・・・でもなんとなく二人を振り切ろうと足が急く。
気持ち的には小走り程度だったけど、気がついたらわりと全力だった。
階段を登り切ると、二人の姿が三、四段下に見える。
まぁこんなものかと思いながら、部屋のドアノブを捻った。
またノックもせずにドアを開くと、虚ろな瞳でボーっと天井を見上げているきららが居た。
額には少し角の部分が捲れた冷えペタが張り付いていて、しかし頰にはうっすら赤みが刺したままだった。
そこで背後を見る。
別に何か悪いことをするというわけでもないのに、妙な後ろめたさがあった。
二人はもう階段を登り切っている頃のはずなのに、部屋に入って来る感じはない。
別にそれを確認したというわけでもないが、きららに被さる分厚い羽毛布団の上にボフボフ足を踏み入れた。
掛け布団に沈んだ足の指先には、じんわりと熱が滲み出す。
「冷えペタにこの布団って・・・・・・冷やしたいんだかあっためたいんだか分からないわね・・・・・・」
愚痴かも分からない独り言を言いながら、まだボーっとしているきららの脇にしゃがんだ。
「きらら・・・・・・。迎え。起きなさい」
別に寝ているわけでもないが、その肩を叩く。
きららはそれにゆっくりと首を傾けた。
「うん・・・・・・」
帰ってくる返事は、細くはないが弱々しい。
「ちょっと大丈夫・・・・・・?」
これは一人では歩けなさそうだと、その肩に手を回して、ゆっくり体を起こさせた。
その後、どうしたものかと少し悩む。
悩んだ結果、後ろ側に回って、脇に手を通してその体を持ち上げた。
なんとか立ち上がるが、その足は今にも絡まりそうにふらつく。
内心ヒヤッとしながら、その肩を支えた。
そんなことはお構い無しに、きららは自分の話を始める。
「この後・・・・・・私、病院行くのかな・・・・・・」
その語り方はまるで独り言のようで、だから答えるかどうか少し迷う。
が、結局答えた。
「あんたまだそれ気にしてたの・・・・・・。もうあんまり言ってられないじゃない・・・・・・」
医者じゃないから詳しくないが、きららの状態はそこそこ酷いように思う。
歩くこともままならない状態になんて、少なくとも私はなったことがなかった。
「ほら・・・・・・!」
言ったそばからきららがバランスを崩す。
ちょっと体を強く掴むことになってしまったが、危なくその体を支えた。
「・・・・・・ちょっと頭痛い。あと気持ち悪いかも・・・・・・」
「だから・・・・・・ね?病院行くのよ」
私の手に触れるきららの体は、既に熱の塊。
ずっと触れているとこっちまで熱に侵されそうだった。
「しかし・・・・・・これじゃちょっと階段降りるのは無理そうね・・・・・・」
ただ立っているだけでこの有り様だ。
たぶん平坦な道ならなんとか歩けるが、階段となると無理くさい。
「仕方ないわね・・・・・・」
自分で言っていて何が一体仕方ないんだかと思う。
肩をポンと叩いてから、きららの支柱を一旦やめる。
そしてきららの前に出て、身をかがめた。
「・・・・・・?」
きららが私の行動に首を傾げる。
そのまま頭の重さに引っ張られて倒れてしまいそうだった。
「乗りなさい、背中。あんたくらいなら・・・・・・まぁイケるでしょ」
尚、根拠はない。
まぁ、どんぐりの背比べではあるが、一応きららは学年で一二を争うチビだから少なくとも私よりは軽いはずだ。
「・・・・・・ぅん」
対するきららは既に何かを考える余裕もないようで、大人しくのたのたと私の背中に体重を預ける。
「む・・・・・・」
その瞬間、私の背中を熱が覆った。
伝わるきららの感触は、柔らかく、希薄。
しかし、わりとしっかりと重かった。
これが人一人の重さか、と実感する。
きららは振り落とされないように、私の首にその手を回した。
暑いのと熱いので、やな相乗効果だ。
おまけに重いし。
想像より、ずっと。
「ふん・・・・・・」
力を込めて、曲げた膝を伸ばす。
マンホールの蓋を、下から肩で押し開く。
そんなイメージだった。
重さの所為かは分からないが、関節がピキピキ鳴る。
きららをおぶる私自身がよろめいた。
しかし、きららをそのまま立たせておくよりはずっと安心感がある。
私の背中に身を寄せたきららの呼吸が、私の首をくすぐった。
「病院やだぁ・・・・・・」
何が一体そんなに嫌だというのか、まだそんなことを言う。
もう言い訳もクソもなく、ただ行きたくないとぐずるだけだった。
そんなきららの腿を両手に抱えて、部屋を出る。
扉のすぐ近くに居たどらことみこの母が私の姿を見てギョッとしていた。
それでもお構い無しに、階段を降りる。
降りる。
少し踏み外しそうになる。
二人の腕があたふたと背後から伸びるが、なんとか踏ん張った。
階段を降り切る頃には、私の額には汗が浮かんでいた。
どの道家に帰るときにもっと汗をかくのだから構わない。
「あらら・・・・・・悪いね。・・・・・・大丈夫?」
玄関前で待っていたおばあさんが、私を見て笑う。
「大丈夫・・・・・・よ・・・・・・このくらい・・・・・・」
「どうも、お疲れ様。きららをありがとうね」
そんな私の強がりを見透かすように、微笑みながら私の背中のきららを抱き上げた。
「え・・・・・・」
あんまり軽々持ち上げるものだから驚く。
そうしている間に、すっかりきららをその背中におぶってしまった。
まるで赤ん坊をあやすように、その体を少し揺する。
「あの・・・・・・重く、ないんですか?」
思わず聞くと、返事はすぐに返ってきた。
「重い。そりゃあ重いよ。だけど私みたいな立場からすれば、重い方がずっと安心だ。私の娘は軽かったからね」
「は、はぁ・・・・・・」
その言葉に、いまいち反応に困る。
なんと答えるのが正解なのか、少なくともその答えは今の私にはなかった。
「ははは・・・・・・。まぁ慣れだよ。子供を背負うくらい歳をとったって出来るもの。どれだけ重くても簡単なことだよ。それに・・・・・・本当に背負えなくなる前にたくさん背負っておかないとね」
私の反応が煮え切らないのにも関わらず、おばあさんが盛大に笑う。
何歳なのかは分からないが、それでもやっぱりきららをおぶることを簡単なんて言えてしまうのはすごいことだと思った。
私自身その重さを味わったばかりだから。
やがておばあさんは、私たちに背を向ける。
「ゴローちゃん。行くよ」
「分かったニャ」
「あらら?その手に持ってるのは?」
冷えたビニール袋がガサリ。
「さくらが買ってくれたものニャ」
そこで、もう一度こちらに振り向いた。
その目は、私を見ている。
「ありがとうね・・・・・・本当に」
そう言って、にっこりと笑った。
「あ、それと・・・・・・この服は次会うときにきららに返させるからしばらく待っててね」
「あ、はい。まだまだ一杯ありますから、急がなくても大丈夫ですよ」
みこがおばあさんに向けて敬礼して笑う。
ハマっているのだろうか、敬礼。
それに眉を持ち上げて答えて、おばあさんは車に戻って行った。
体力に衰えを感じさせないし、車もまだ現役と来た。
「つえー・・・・・・」
なんだかよく分からない対抗意識が、言葉になってこぼれた。
続きます。