台風一過(3)
続きです。
ひとまず来客は二人に任せて、きららの居る部屋を目指す。
ノワールは私にも話を聞いて欲しいみたいだったが、私はそのためにここに来たのではない。
きららに会いに来た・・・・・・というと、なんだか語弊があるような気もするが、とりあえずはそんなところだ。
ノワールの話も、後で二人から聞けばいい。
歩みを進めるたび、私の手に握られたビニール袋がガサガサ音を立てた。
扉の前までやって来て、少し悩む。
別になんてことはないが、ノックはした方がいいのだろうか。
マナーとしてはそれが正しいのだろうけれど、眠っていた場合は起こしてしまう。
「・・・・・・て、別にきららなんだから何でもいいじゃない」
そう。
相手はあのきららだ。
私がそんなことでどうこう頭を悩ませるような相手じゃない。
でも、何故だろうか。
なんだか一度こう・・・・・・改ってしまうと、やけに緊張する。
その緊張を振り払うように、勢いに任せてドアを開いた。
全開になったドアから、ズカズカ部屋に踏み込む。
その間、私の視線は定まらず、自分でもどこを見ているのかよく分からなかった。
部屋に入ってすぐのところ、私の足元にきららは居た。
今は空っぽのベッドの脇に、そのベッドと向きを揃えて敷かれた布団にその体を丸めて埋まっている。
夏なのに厚い羽毛布団。
その中で、丁度カブトムシの幼虫のような姿勢で寝転がっていた。
カーテンの隙間から差し込む光が、丁度顔の位置を照らす。
だからなのか、それから視線を背けるようにして目を閉じていた。
きららを跨いで、ベッドの上に乗る。
そこからカーテンの隙間を閉じて、ベッドを降りた。
そしてまた、跨ぐ。
きららの顔が見える位置まで来て、そこでしゃがんだ。
目を閉じたきららの瞼が微かに揺れる。
そうして目を閉じたまま浅い呼吸を繰り返していた。
「寝てる・・・・・・のかしら・・・・・・?」
携えて来たビニール袋を脇に置く。
その中には、ここに来る前に寄って来たコンビニで買ったものが入っていた。
冷えた飲み物に、いくつかのゼリー。
アイスも買ってこようかと思ったが、流石に溶けてしまうかと諦めた。
この中に、一つでも食べられるものがあればいいのだけれど。
どらこと電話した時も、特に何かを飲み食いしたという話は聞いていない。
だからとりあえず、自分が風邪を引いたときどんなものを買ってきてもらっていたかを思い出しながら買ってきたのだ。
きららの呼吸は、荒い。
生唾を飲み込んで、ゆっくりとその額に手を伸ばした。
指先で柔らかい前髪をかき分けて、その小さな額を手のひらで覆う。
「熱い・・・・・・」
その額は、確かに熱かった。
念のため逆の手で自分の額と比べてみても、やはり熱い。
というか、むしろ私は顔を洗ったばかりなので冷たかった。
「・・・・・・さくら?」
布団の中で小さな体がもそりと動く。
聞こえて来た声は弱々しく、場違いにも「こんな声、きららから出るんだ」というようなことを思ってしまった。
私の手のひらを払い除けもせず、潤んだ丸い二つの瞳がこちらを見つめる。
「あら、起こしちゃった・・・・・・?」
「ううん・・・・・・起きてた」
きららの額から手を離す。
きららは私の手のひらが遠ざかるのを虚な瞳で追った。
動きが、反応が、鈍い。
隙だらけの額を、人差し指でつついた。
「あんた、暑くないの?そんな大袈裟な布団かぶって・・・・・・」
「・・・・・・分かんない。でもたぶん、暑くない・・・・・・」
「そう・・・・・・」
きららの頭が枕から少し持ち上がる。
どうやら起きあがろうとしているようだった。
「ああ、ちょっとちょっと・・・・・・もう、危なっかしい・・・・・・」
ただ体を起こす。
それだけの動作なのに、危うく倒れてしまいそうなほど半身がふらついていた。
きららの体重を支えるように、そっと手を添える。
そうして体を起こすのを手伝った。
「・・・・・・もう、大丈夫?どうしたの・・・・・・?」
聞くが、きららはボーッとしていて答えなかった。
「もう・・・・・・。夏風邪って、お腹の調子も悪くなるみたいだけど・・・・・・それは大丈夫なの?」
「これって・・・・・・夏風邪なの?」
きららの寝癖が、体を支える私の頬をくすぐった。
「だって・・・・・・夏にひいた風邪なんだから夏風邪でしょ・・・・・・え、違うの・・・・・・?」
「分かんない・・・・・・」
じゃなくて・・・・・・。
そんなことはどうでもよくて、今はきららの体調だ。
「で、どうなの?お腹の具合は?」
きららが何もない空間を見つめながら、パジャマ越しに自分のお腹をさする。
少し悩む素振りを見せた後、答えた。
「大丈夫、だと思う・・・・・・たぶん」
その言葉はなんとも頼りない。
本人の申告だというのに、まるで信憑性が感じられなかった。
「なら、いいけど・・・・・・。それで、急に体起こしたのは?トイレ?」
「あ、違くて・・・・・・さくらが来たから・・・・・・」
「そんなことだったの・・・・・・。寝てなさいよ・・・・・・」
きららの全く働いていない頭にため息をついて、その熱っぽい体を布団にゆっくり押し付ける。
きららは特に抗うこともなく、されるがままだった。
きららが最初のような姿勢に戻ると、特に意味もなくその頭を撫でた。
「ねぇ・・・・・・ここみこちゃん家だけど、どうすればいいのかな?」
きららが私を見上げる。
手の甲に、その熱い息がかかった。
「ほーんとバカねぇ・・・・・・。あんたがそんなこと考えることないわよ。じきにあんたのおばあさんが迎えに来て、そして病院連れてくってから・・・・・・。だから心配要らないわ」
「病院・・・・・・」
きららの視線が私から外れる。
枕のカバーを握りしめて、その自分の手に視線を注いでいるようだった。
ややあって、視線が私に戻る。
「病院は、別に行かなくていいよ・・・・・・。ただの風邪だし・・・・・・」
「何言ってんのよ・・・・・・。辛そうにしてるし、結構重そうじゃない・・・・・・。ただの風邪だって、舐めちゃいけないわよ」
「でも、でも・・・・・・」
きららの瞳が、キョロキョロキョロキョロ動き回る。
何か言いたいが、それでも言葉が出ないようで、半開きの口が小さく動くだけだった。
やっとのことで、その唇は言葉を紡ぎ出す。
「そう・・・・・・そうだ。病院行くと、病院の人にうつしちゃうから・・・・・・」
「あんたねぇ・・・・・・」
薄々勘づいて、呆れる。
どうやら病院行きたくない症候群も併発しているようだった。
その後も、きららの瞳は病院に行かない方がいい理由を探し続ける。
一体この部屋の中に何があるというのか。
「ま、でもそんなこと私に言っても仕方ないわよ。病院送りは確定ね」
「えぇ・・・・・・」
きららがわかりやすくしぼむ。
布団に隠れるようにして、薄暗がりから私を覗いた。
「何がそんな嫌なのよ・・・・・・。別に注射とかそういうのじゃないんだから・・・・・・」
「いや・・・・・・だってさ・・・・・・なんかさ・・・・・・」
そう呟きながら布団の中でもにもにするが、一向に具体的なものは出てこなかった。
本格的にこの部屋に居座ろうと決めて、姿勢を変えて座る。
その時に指が引っかかって、ビニール袋がガサッと揺れた。
「あ、忘れてた・・・・・・。あんたさ、食欲ある?」
せっかく買って来たのだから、何かしら食べてくれたら嬉しい。
そういう気持ちも込めて聞く。
「食欲・・・・・・あんま、無い・・・・・・たぶん」
ところが帰ってきた返事は芳しくなかった。
「そう・・・・・・。まぁでも、水分は摂らなきゃダメよ」
そう言って飲み物だけ枕元に置く。
そして未練がましく、きららに袋の中身を見せた。
「どう・・・・・・?食べられそうなのある?」
「分かんない・・・・・・けど、ゼリーなら食べられるかも・・・・・・。でも、今はいらない」
「そう・・・・・・。じゃ持って帰るだけ持って帰って、家で冷やしておきなさい」
「うん・・・・・・」
きららは素直に頷く。
そうして、疲れたのか目を閉じた。
邪魔をしてしまっただろうか?
少し不安になりながらも、その顔を眺める。
なんとなく、どく気にもなれなくて再びその頭を撫でた。
「・・・・・・」
きららの瞼が開く。
「いいのよ、気にしないで」
なんだか居た堪れなくて、無理矢理目を閉じさせた。
その後も、サラサラ流れる髪を楽しむように、頭は撫で続ける。
また風邪か・・・・・・と、少し懐かしく感じた。
まだそんなに昔の話でもないけれど、思えば不思議だ。
そんなことを思うと、なんだかくすりと笑えてくる。
少し前では、こうしてこいつのそばに居るなんて想像も出来ない。
だから、もしかしたらこれから先も予想外な未来が待っているのか・・・・・・。
少なくとも、それは悪くないものだろう。
そう根拠なく思えてしまうのだから、私もすっかりきららに毒されたなと思った。
続きます。