最大風速(32)
続きです。
天気は最悪。
けど、視界は明瞭。
最初より、ずっと見えてる。
アンキラサウルスが、怒っているのかその肩を震わせる。
握りしめた拳は肥大化したままだった。
アンキラサウルスがその巨大な拳を振り上げる。
巻き起こった風に前髪が揺れ、雨粒は頬を伝った。
「お、おい!きらら・・・・・・!?」
どらこちゃんが、その場から動き出そうとしない私を見て、困惑の声を上げる。
だが、それより早くケリをつけるつもりだった。
握った剣を、真っ直ぐ空に向けて伸ばす。
その剣は私の手から離れ、少し上で浮遊した。
「何や・・・・・・って・・・・・・」
その光景に、どらこちゃんが言葉の勢いを失う。
「見てて・・・・・・!」
私はそれを尻目に、変化を始めた。
大地から、何かが湧き上がるのを感じる。
足の裏に感じる地の鼓動、そのエネルギーを剣へ送る。
ビリビリと空気が震え、足元からはぼんやりとした光が登った。
ピシ、と。
手のひらの上の剣にヒビが入る。
そのヒビの隙間からは、大地から溢れるものと同質の光が覗いていた。
「きらら・・・・・・あの、ほんとに大丈夫か・・・・・・」
どらこちゃんが、私の顔とアンキラサウルスを交互に見ながら頬を掻く。
それに釣られて、私もちらりとアンキラサウルスの方を見た。
「あ、ダメだ」
「ダメなんかい・・・・・・!」
エネルギー集めに集中していたが、アンキラサウルスの攻撃は思っていたより発生が早かった。
気づいた時には、その拳はロケットのようにこちらに向かっている。
「あっと、えっと・・・・・・どうしよう・・・・・・」
ちょっと逃げるには遅すぎみたいだ。
というか、どっしり構えすぎてしまって、足が地面にぴったり。
反射的に動かせそうもなかった。
「やれやれ・・・・・・ニャ」
ゴローが現実逃避するようにアンキラサウルスに背を向け、ふて寝する。
「だって!仕方ないじゃん!もうなんかいけそうだったんだもん!!」
そんなことを喚いている間にも、拳は迫る。
その水の匂いもはっきり分かる程の距離まで。
これは、やばい。
つまりやばくて、すなわちやばい。
少なくとも、まともな言葉が出ないくらいには動転していた。
よぎるのは死の予感。
私の詰めの甘い性格は健在だった。
「やれやれ、仕方ねぇな」
耳元で、囁くような声が響く。
それはゴローの「やれやれ」よりずっと頼もしかった。
その静かな声が一本の糸となり、乱れた思考をまとめ上げる。
どらこちゃんは「ふっ」と笑って、私の前に飛び出した。
もうすぐ近くにあるアンキラサウルスの拳。
ブロック塀を発泡スチロールみたいに簡単に壊したその拳を、どらこちゃんは自らの両の拳で受け止める。
瞬間、衝撃が風になって駆け抜けた。
ゴローはその風に吹き飛ばされ、私もどらこちゃんの真後ろとはいえよろめいた。
「どらこちゃん・・・・・・!」
そんな中、どらこちゃんはピクリとも動かない。
アンキラサウルスが何度も拳に力を入れ直すが、それでも微動だにしなかった。
「気にすんなって・・・・・・いや、やっぱ気にしろ!とにかく、なんか手があんだろ?だったら、それまでは押さえとく」
あのパンチを押さえるだなんて正直まともな考えじゃない。
しかも、壊れかけの籠手で。
それでも、現実としてどらこちゃんはほとんど意地だけでその拳を受け止めていた。
「ごめん、ありがと!この借りは、あー・・・・・・後で考える!」
再び、大地のエネルギーを集めるのに集中する。
止まっていた変化が再開した。
アンキラサウルスも、これ以上拳を押し付けるのは無意味と感じたのか、ゆっくりとその手を引いた。
私の頭上に浮かぶ剣が、内側から砕け、膨れ上がる。
それは光を発しながら、丸い土の塊へと姿を変えていった。
「増殖バグ起きてんぞ」
「仕様です・・・・・・!」
その異常な体積の増え方に、どらこちゃんが呆れる。
どうしたって説明がつかないが、これはこういうものだから、こういう風になったとしか言えない。
ちらりとアンキラサウルスを見る。
その両手で、空気をこねるようにして何かを作っていた。
その手のひらには、小さな水の塊が浮いている。
ちょっと厄介そうだ。
更なる成長を、拡大を、頭上の土の塊に求める。
ついには片手で支えきれなくなって、両手を万歳みたいな具合で上げた。
浮いているものを手で支えているのか、という疑問も湧くが、これも“こういうもの”だった。
後もう少しというところで、急にアンキラサウルスの動きが止まる。
糸の切れた操り人形みたいに、ピタリと魂を失ったようだった。
「何・・・・・・?」
一瞬意識を引っ張られるが、とりあえずは好都合ということで、存分に利用させてもらう。
そして遂に、頭上の泥団子は隕石と見紛う程の大きさに成長した。
アンキラサウルスの動きが元に戻る。
しかしもう遅い。
こっちの準備は整ったのだ。
アンキラサウルスが泥団子を見て、水を捏ねるのを中断し、両手を交差させ防御姿勢をとる。
「せー・・・・・・のぉっ!!」
私はその体めがけて、遠慮なく特大泥団子を放った。
およそこの世のものとは思えない土の塊が夜空に放物線を描く。
それがアンキラサウルスに衝突する瞬間、一瞬世界が光に包まれた。
「な・・・・・・」
なにこれ、とその眩しさに目を伏せる。
どらこちゃんは咄嗟に私に被さるようにして、その光を遮った。
その体に押されて、私たちは二人して転ぶ。
後頭部を思い切り、路面にぶつけた。
放った特大泥団子が、アンキラサウルスを巻き添えにして地面に激突する音が響く。
べちゃっと茶色い泥が、辺りに飛び散った。
その泥が頰にかかったそのタイミングで、咄嗟に閉じていた瞳を開く。
覆い被さるどらこちゃん越しに見た空は、当然のように夜だった。
まるでさっきの光が嘘みたいに。
「何だったんだろ・・・・・・」
私が呟くと、どらこちゃんは背中にかかった泥を気にしながら立ち上がった。
「やっぱ流石にきららじゃないだな、さっきのは」
「泥は私」
「知ってる」
そう答えて、びしょ濡れの路面を手のひらで押して立ち上がる。
そこでまた新しいことに気がついた。
「あれ・・・・・・雨、止んでる」
それどころか、蓋でもするみたいに空を覆っていた分厚い雲も無くなっている。
字面通り、雲一つない空。
「そういや・・・・・・そうだな」
まだ少し強い風に、どらこちゃんのサイドテールが揺れる。
その背中はかなり泥まみれで、なんというか申し訳なかった。
「それより、なんか微妙に強化されてねぇか・・・・・・アレ」
どらこちゃんがアンキラサウルスを指差して言う。
水で出来ていた体が、今ではドロドロの泥になっている。
アンキラサウルス自身、自らの重さに対応し切れていないようで若干形が崩れている。
しかし、その質量は単純に泥団子の分増しているわけだ。
だから透明の水とは存在感がまるで違う。
その視覚的に伝わってくる重さは、アンキラサウルスに絶大な破壊力を与えたことを物語っていた。
「どらこちゃん・・・・・・火!」
「分かったよ・・・・・・」
私がせがむと、大人しく片手を差し出す。
その手から、炎の剣を引き抜いた。
アンキラサウルスの腕が、私たちに掴みかかるように伸びる。
相談したわけでもないが、私が左手に、どらこちゃんが右手に向かった。
その巨大な腕は、重く遅い。
だから、断ち切るのも簡単だった。
地を蹴って跳ね、空中で体を一回転させる。
水平に薙ぎ払われた赤い刃は、アンキラサウルスの指を確かに切った。
すり抜けるだけではなく、切ったのだ。
腕から切り離された指がぼとりと地面に落ちる。
ただの土塊と化したそれは、落下と同時に砕けた。
「なるほどな」
その言葉に、どらこちゃんの方を向く。
見れば、アンキラサウルスの手のひらが丸ごと無くなっていた。
燃え上がる拳の炎の奥で、乾いた砂が灰のように風に舞った。
そう、今や泥人形と化したアンキラサウルスは切れるのだ。
アンキラサウルスは自らの両手を見つめる。
乾いた断面からぼろぼろと破片が溢れた。
「どらこちゃん!」
「ああ、分かった!」
丁度、アンキラサウルスも隙を晒してくれていることだし・・・・・・。
どらこちゃんちゃんと一緒にアンキラサウルスの胴体に駆け寄りながら、おそらく最後になるであろうドリルの準備をした。
どらこちゃんも、拳に炎を溜める。
火の粉が前進するたびに後ろへ流れていった。
アンキラサウルスの胸を見上げて、足に力を溜める。
足の裏の感触に確かなものを感じながら、どらこちゃんと一緒に飛び上がった。
「「でぇりゃぁあっ・・・・・・!!」」
アンキラサウルスを、二つの衝撃と、そして火炎が襲う。
その胸を貫いた炎は、背中からまるで翼のように吹き出した。
アンキラサウルスの既に乾いた胴体を蹴って、着地する。
アンキラサウルスに背を向ける形になるが、その背中に確かな炎の温度を感じていた。
役目を果たした剣から、熱が消える。
顔だけで振り向くと、大穴を開けたアンキラサウルスが攻撃したときと変わらない姿勢のまま固まっていた。
穴は塞がらない。
体も乾いているし、もしかしたらそこにアンキラサウルスはもう居ないのかもしれなかった。
やがて、その脆い土塊は風に吹かれて崩れる。
さらさらとした砂が、私たちの足元まで流れてきた。
「やったな」
「うん」
その砂に足跡をつけながらこちらにやってきたどらこちゃんの声に、頷く。
私が手のひらを突き出すと、どらこちゃんもその意図を察して、私の手のひらを軽く叩いた。
達成感より、疲労の大きいハイタッチだった。
雨が止むと、途端にぐしょぐしょの服の冷たさが気になりだす。
砂もついてて気持ち悪いし、今すぐにでも脱ぎ去りたい気分だ。
張り付いた服を体から剥がすように、服の首周りを引っ張る。
「とりあえず・・・・・・ゴローどこだろう・・・・・・?」
口ではそう言いつつも、頼りない星々の明かりに照らされて、つま先は車の方を向いていた。
この明るさじゃ、探しものは大変だ。
女の子一人見つけるのだって一苦労だったのだから。
それに・・・・・・。
「置いてくなニャ・・・・・・!」
ほら、勝手に見つかった。
窓から手を振るみこちゃん。
その手を捕まえるように、車に向かって駆け出した。
続きます。