最大風速(20)
続きです。
ゴミ箱から不安そうに私たちを見つめる瞳は、暗闇の中でも決して見落とすことはなかった。
何せずっと探していたものだ。
思えばここまで本当に長かった。
何時間経ったか具体的には分からないが、辺りの暗さに拍車がかかっている。
おそらくもう夜だ。
鋭く降り続ける風に髪を弄ばれながら、振り返る。
また少しずつではあるがアメンボが集まり出していた。
「さぁ、手を・・・・・・」
どらこちゃんが近くにいたアメンボを殴り飛ばして、ゴミ箱の中の女の子に手を伸ばす。
伸ばすのと同時に、その手の籠手は空気に溶けるように消えた。
鎧を脱ぎ去ったどらこちゃんのその手のひらを、更に小さな手のひらが恐る恐る掴む。
やがてその温度に縋り付くように、どらこちゃんの手のひらを胸の前で抱いた。
「まぁ何だかんだ・・・・・・よかったニャ」
「そうだね・・・・・・」
傘を杖にして、ついでにゴローの尻尾も借りて立ち上がる。
帰り道のために、傘はもう一度剣に変えておいた。
「問題ない。捕まえたぞ」
どらこちゃんが胸に女の子を抱えてやってくる。
また徐々に増えつつあるアメンボを見て、その顔をしかめた。
「急ごう・・・・・・!」
進行方向のアメンボを切りつけて先頭に立つ。
どらこちゃんは頷いて私に続いた。
アメンボを切り払いながら、道を開いて進む。
最初よりずっと密度は薄く、ほとんど障害にはならなかった。
段々と車が近づく。
その窓からは驚いたように席を立っているみこちゃんが見えた。
その表情に安心感を覚えて、そちらに早く辿り着きたいという思いが強くなる。
それに伴って、足を踏み出す速度が上がった。
「きらら!ちょっと待つニャ!」
「な、何さ・・・・・・」
しかしその足も、ゴローの静止で急停止した。
あまり立ち止まりたくはなかったので、少し苛立って振り向く。
その瞬間、車と私の間に巨大な水球が飛来した。
「おわっ・・・・・・?」
突然現れたそれに飛び退く。
ゴローの静止を聞いていなかったら直撃だっただろう。
「今度は何だよ・・・・・・」
どらこちゃんがめんどくさそうに私の背後から覗く。
その腕の中で、女の子は震えていた。
「・・・・・・大丈夫。おねーさん達慣れてるから!」
特に根拠はないが、胸を張る。
この子の前で、不安そうな態度を見せるわけにはいかない。
自分で言った「お姉さん」の響きが、少しくすぐったく感じた。
「何か・・・・・・居るニャ・・・・・・」
現れた水球は大きい。
少し離れた位置にある車より間違いなく大きいだろう。
回り込もうにも、妙な緊張感で動けない。
動くことが危険だとすら感じていた。
水球がの表面が波立つ。
それは脈打つように胎動していた。
そして・・・・・・。
水球が弾ける。
破裂した水流が、波となって私たちを襲った。
「わ・・・・・・」
開いた口に水が流れ込む。
どらこちゃんも私も、女の子も。
みんな流されてしまった。
その水流の中で、私はそれの誕生を目にする。
それは、先程のアメンボたちが子供に見える程に巨大な、アメンボのような何かだった。
一瞬で波は通り過ぎ、私たちの体は道路を転がる。
車さえも波に押されたようで、位置が少し変わっていた。
「どらこちゃん・・・・・・!」
「大丈夫だ!それよりもあいつは・・・・・・」
巨大なアメンボのような何かが、翅を広げて飛び立つ。
体は水で出来ているのか半透明で輪郭が安定していない。
不気味な蛍光色の瞳模様もなく、青一色だった。
さらにその瞳の代わりと言わんばかりに、奇妙な特徴を備えていた。
本来頭部があるはずの場所から、女の子の上体が伸びている。
その長い髪が、風に揺れていた。
透明なその体は神秘的ですらあるが、だからこそより一層不気味。
その顔に見覚えがある気がしたが、それが何だったかは思い出せなかった。
暴風雨の中、その風を、その雨を全身で受け止めるように、アンキラサウルスは少女の腕を広げた。
機体を雨が打つ音を聞く。
風も唸るように夜空に吹き抜けている。
しかし、そんな音とは裏腹に、機体の中は快適なものだった。
阿形。
それが今私が搭乗している機体の名前だ。
「まぁ、アイドルには・・・・・・似合わない、かな」
機体の中で、知らせを待つ。
見上げた空には、渦巻くような雲の塊が光っていた。
一瞬のノイズとともに、機体内に仮想モニターが出現する。
そこから、スバルちゃんの声が響いた。
『いや、悪いね。今回は阿形と吽形に地形情報を取り込ませる時間がなかったから、二人に乗ってもらうよ』
吽形。
私の機体の隣に立つ黒い機体だ。
モチーフのシャチに倣って、その機体の頭部には白い模様がついている。
乗っているのは、ユノだ。
スバルちゃんの説明は続く。
『今回の仮称ウィンドシェル撃破については、説明した通り投擲武器の「牙」で行う。今からするのは細かい説明だ』
そう言うと、またもう一つ仮想モニターが増えた。
宙空に現れた映像には、あの雲の中心に居るアンキラサウルスの姿が映し出されていた。
とても貝には見えないが、その球体の体はぴっちりと白い殻で覆われている。
ウィンドシェル、そう名付けたアンキラサウルスが、この台風の正体なのだ。
『今表示したのは、強化型目玉のおっさん二機によって現在進行形で撮っているものだ。あの雲・・・・・・暴風域の内側に本体がある』
話を聞きながら、動作確認を始める。
機体が手に持っている銛状の武器が「牙」だ。
最初に見せられた時は「槍」と呼んでしまったが、そしたらスバルちゃんに物凄い早口で「これは銛だ」と力説されてしまった。
こだわりがあるのだろう。
吽形に乗るユノと通信を繋ぐ。
また一つ仮想モニターが増えた。
『その本体を覆う殻を、上空の目玉のおっさんで剥離する。そしたら君らに「牙」を投げてもらう。それぞれ一本ずつしかないし、まぁ・・・・・・上手くやってくれよ』
「そこ大切なとこじゃん・・・・・・」
スバルちゃんの無茶振りに笑う。
それは向こうに見えているらしく、すぐに返事がかえってきた。
『まぁそうだね。しかし、狙って投げる。それしか無いのだから、それ以上のことは言えないよ』
「無茶言うよねぇ・・・・・・」
『まぁ今までの僕への無茶振りの仕返しだと思ってくれて構わないよ』
今まで頼んできたことを思い出して、そして確かに、と笑いがこぼれる。
散々無理言ってきたなぁ・・・・・・。
一番の無理は、やっぱりステージのことだろう。
『まぁ頼んだよ』
その声と共に、通信が途切れる。
気持ちを入れ替えるように、深呼吸した。
「ユノ・・・・・・」
モニター越しのユノに話しかける。
『なんだい・・・・・・』
ユノは二人だけのときだけ聞かせてくれる少し優しい声で答えた。
「ううん、何でもない。頑張ろうね」
今日も、そしてこれから先のことも。
頑張らなきゃいけないことがたくさんだ。
『・・・・・・ミラ、そろそろだ』
「あ、うん・・・・・・」
その真剣な声を聞くと、私もスイッチが入る。
いつもより遠い地面を見下ろして、誰もいない夜に阿形の足を踏み出した。
続きます。