最大風速(15)
続きです。
遮蔽物のある家の敷地内から踏み出すと、密度の高い重い風が私に吹きつけた。
私を追って来たゴローも容易く風に呑まれてしまう。
慌ててその尻尾を捕まえた。
服の裾も激しく揺れ、容赦なくそこに雨粒は染み込んでいく。
秒数を数える間もなく、服は水着と何ら変わりないくらいに濡れてしまった。
暴れる髪を手のひらで押さえて辺りを見回す。
分厚い雲が空で渦を巻き、アスファルトの上には転がるゴミや木の葉で散らかっていた。
厚い雲の所為で日の光はほとんど届かない。
走る車も無いので、光源は民家の明かりのみだった。
しかしそのどれもが頼りない。
「何・・・・・・あれ・・・・・・?」
「分からない、けど・・・・・・たぶん・・・・・・」
渦巻く雲のその中央。
明らかに異質なものがそこには浮かんでいた。
天高く、悠々と、雲の塊が浮いている。
綺麗な球形になっていて、その中で雷が起きているのか度々青白く光った。
打ちつける雨に、すぐに体は冷える。
靴の中もぐしょぐしょで、ひどく気持ち悪かった。
だけど、歩けない程の風じゃない。
もちろん平時のようにまともに歩けるわけじゃないが、それでも一歩ずつ進むことは可能だ。
それで人探しをする、となると苦しいが。
「とりあえず、どらこちゃんを見つけないと・・・・・・」
私より少し早く家を出たくらいだ。
そこまで離れていないはず。
いくらどらこちゃんだって、この雨風には敵わないはずだ。
風によろめきながらも、なんとかブロック塀に手をついてゆっくりと歩みを進める。
足が地面を捉えるたびに、ぱしゃぱしゃ水が跳ねた。
ブロック塀を利用して歩いていると、雨粒で不明瞭な視界に人の姿を見る。
「・・・・・・ゴロー、あれは?」
「間違いないニャ」
聞きながら目元を拭う。
そこには危なっかしく風の中を歩くどらこちゃんが居た。
「どらこちゃん・・・・・・!」
塀に手をつけたまま、多少無理して小走りする。
危なく転倒しそうになるが、どらこちゃんの背中にしがみつくことでなんとか耐えた。
「きらら・・・・・・!ダメだろ!」
「ダメはそっちだっつーの!」
どらこちゃんの正面に回り込んで、行く手を阻むように立ち塞がる。
「ダメだよ・・・・・・。出てみて分かったでしょ?歩くだけで一苦労・・・・・・これじゃ無理だよ」
人探しだとか、戦うだとか、とてもそんなことが出来る状況じゃない。
「だって・・・・・・こんな状況の中で、ソイツは一人で居るんだろ?この状態で、明日まで外で生き延びるなんて・・・・・・それこそ無理な話だ」
どらこちゃんな顔は雨粒に塗れて、だからその表情もつかみ辛かった。
「それは・・・・・・!みこちゃんのお母さんとか大人たちが!」
「そうニャ!何もキミがやることはないニャ!」
引き留めようとする私たちに苛立ったように、雨粒を払う。
「無理だ。普通の状況じゃない。だから普通じゃ無理なんだ!」
どらこちゃんが、塀を押す。
その勢いのままに雨に濡れた道を走り出した。
「あっ、ちょっと!もう・・・・・・分からず屋!バカ!!」
私も塀の側を飛び出す。
踏み出した足に勢いよく水滴が跳ねた。
走り出したどらこちゃんは速い。
危なげだが、軽々とした身のこなしで私との距離を開けていった。
「くそ・・・・・・!」
どらこちゃんの背中が遠くなる。
その視界すらも雨粒で埋もれる。
水に滑った足はもつれ、絡まり、引っかかる。
それでも私は前を目指した。
がむしゃらに伸ばした腕が空を切る。
前のめりになった体に、容赦なく風は襲いかかった。
躓いて、転ぶ。
溜まった水の上を私の体が滑った。
擦りむいた膝に、雨水が染みる。
こういうときも肩代わりしてくれればいいのに。
せっかく選んでもらった服もぐちゃぐちゃになり、みこちゃんに申し訳なかった。
体を起こそうとすると、ぶつけた箇所がズキズキ痛む。
「きらら・・・・・・」
ゴローは悔しがるように震えた声を吐いた。
なんだか惨めで、嫌になってくる。
けれどももうみこちゃんのときのように泣きじゃくるつもりはなかった。
アスファルトに手のひらをべったりつけて、ゆっくりと立ち上がろうとする。
もう冷え切った肌を風が撫でた。
「・・・・・・」
唇を噛んで、転んだ痛みを我慢しながら腕を伸ばす。
すると、暗い視界にびしょ濡れの手のひらが差し伸べられた。
「・・・・・・ずいぶん言ってくれるな。きららだって同類のくせに・・・・・・」
見上げると、視線を逸らしたどらこちゃんが手を私に差し出していた。
催促するように、その指先が動く。
それを掴むと、私の体は一気に引き上げられた。
どらこちゃんが私の肩を掴んで、目を覗き込む。
そしてすぐにまた逸らした。
「まぁ・・・・・・悪かったよ。でも、今日ばかりは許して欲しい」
「嘘つけ・・・・・・。絶対今日だけじゃない。球、没収するよ?」
「厳しいな・・・・・・」
そう言って、「なら没収される前に・・・・・・」と呟いた。
どらこちゃんの両拳を炎が包む。
あの黄金の籠手が、その重厚な姿を現した。
その炎の温度が、今はとても暖かかった。
拳に灯った炎に辺りが照らされる。
「なっ・・・・・・」
「何アレニャ!?」
その明かりの中に、無数の蛍光色の瞳が浮かび上がった。
「アンキラサウルスだ。闇に紛れてたんだな。どーもいい餌が二人、いや三人居るから集まって来た見たいだ」
「え、餌って・・・・・・私とゴロー・・・・・・?」
「と、あたしだな」
よく見るとその瞳は眼球なんかではない。
アンキラサウルスの羽に浮かび上がった模様だった。
虫型の・・・・・・アメンボの姿をしたアンキラサウルスが私たちを取り囲んでいる。
「さて、とりあえずやれることはしないとな」
どらこちゃんがそう言って、籠手を構える。
鎧の隙間から、炎が噴き出た。
続きます。




