草陰の虚像(3)
続きです。
授業中。
国語の先生が、黒板に文字を書いている。メガネがトレードマークのいかにもって感じの女の先生だ。
それを眺めて私はノートの端に落書きをしていた。
近々漢字の小テストがあるらしいが、正直自信はない。
漢字ドリルも計算ドリルも毎日ちゃんとやっていたが、やはり実際に授業を受けてみると「私ってこんなに勉強出来なかったっけ」と言った具合の心理状態に陥ってしまう。
そんな気持ちの所為か、はたまた素の性格からか、あまり勉強も捗らなかった。
ノートの罫線の上に、シャープペンシルの芯が転がる。
理由は分からないがシャープペンシルの使用権は小学生には無いので持ってきていない。何故芯があるのだろう。
その答えは自らやって来た。
「あら、ごめんなさい。手が滑ったわ」
椅子の背もたれに肘を乗っけて、さくらが振り返る。
その表情は、またあの下卑た笑みだった。
「って、あんた何?一丁前に落書きなんかしてんの?何これ......ウミウシ?」
それは猫だ。
もっと具体的に言えばゴローだ。
「うっさいなぁ......」
こめかみの辺りの血管がピクピクするのを感じた。
極力目を合わせないように、ノートに視線を落とす。
するとシャーペンの芯が中央でポキリと折れたのが見えた。
それが再び中央から折れる。それを何度も繰り返し、バラバラになった芯がノートの上で転がった。
またあの見えないツタの仕業だ。
こんな陰湿な嫌がらせに使うなんて、しょうもない奴だ。
破片をノートから落とそうと、傾ける。
しかし全く動かない。
さくらの顔を見ると、にんまりと笑っていた。
ムキになって、ノートを引く手に力を込める。
「ぬっ......」
やはり動かない。
ノートを握り直し、更に力を込めて引く。
「うぉっ......と!?」
ノートを押さえる力が消えている。
無駄に力のこもった腕が、勢いを殺せず振り上がる。
途中でさくらの椅子の背もたれにぶつかり、手から離れたノートが宙を舞う。
私は遠心力のまま椅子から滑り落ち、尻を打つ。
尾てい骨の中で衝撃が何度も跳ね返るのを感じた。
その一方で、さくらの椅子が倒れているのを見て内心ほくそ笑んだ。
椅子が消えたさくらも姿勢を崩し、机に掴まったまま尻餅をつく。
そんな私たちの上に少し遅れて、シャーペンの芯が降り注いだ。
「あたたたた......」
尻をさすりながら、呟く。
「ちょっと!何してくれてんのよ!」
さくらが立ち上がりながら、私の机の脚を蹴る。
そんな私たちに、当然視線は集まるわけで......。
先生が眉毛をヒクヒクさせながら、出来るだけ感情を抑えて静かな声で言う。
「二人とも......廊下に立ってなさい」
メガネの奥から覗く瞳の色は怒り一色に染まっていた。
窓の外の木に留まる小鳥が無駄にのどかにさえずっていた。
かわいい。
隣で腕を組んで壁に寄りかかるのは、かなりお怒りのさくら。
こわい。
「あんたの所為で私まで立たされたじゃない!まったく......」
完全に自業自得じゃないか。
むしろ巻き込まれたのは私だ。
「ほんとに誰かさんの所為で......」
外を眺めたまま呟く。
「何よ!私が悪いって言いたいわけ!?」
「言いたいわけ」
口笛でも吹くように軽くおうむ返しをする。
徹底抗戦の意思表示だ。
「あんたねぇ......」
わざわざ前にまわって睨みつけてくる。
私の方が少し身長が低いので、やや気圧される。
「変な名前してるくせに、ほんとそういう態度ムカつくのよ!」
「あんたこそ、普通の名前してんのに戦争参加してんじゃねーよ!」
さくらが髪をかきあげる。
ただでさえ広い額が余計広くなった。
「馬鹿ね。ほんと馬鹿。雑魚。普通なんかじゃないわよ。私はあんたみたいな低脳じゃないから名前にコンプレックスがあるの!私がこんな思いしてんのに、あんたはいっつもへらへらへらへら......ほんとムカつく」
完全な八つ当たりと共に、デコピンが飛ぶ。
「あだっ」
避けようとしたが背後の壁に阻まれた。
額が少しジンジンと痛んだ。
「その......コンプライアンス......?だか何だか知らないけど、何?変な名前とか馬鹿にしてんのに私みたいな名前が羨ましいの?馬鹿にしてんのに」
さくらは呆れた眼差しでため息をつく。
「ほんと馬鹿。な訳ないじゃない。いい?私の名前はさくら。咲くに音楽の楽でさくら。つまり、あんたと同じ変なだっっさい名前なの!」
言い切ると同時に放たれたさくらの拳が私の顔のすぐ横を通る。
壁に拳の当たる鈍い音が響いた。
突然振り下ろされた拳に少し焦って、鼓動が早まる。
あれ、もし殴られてたらゴローのダメージ肩代わりは適応されるのだろうか。
もしそうでないならと思うと、ぞっとする。
もう痛いのはこりごりだ。怒られたし。
壁の音を聞きつけて、教室の戸が開かれる。
姿を現したのはもちろん先生だ。
「あなたたちにはバケツも必要......?」
その言葉だけ残して、戸は勢いよく閉じられる。次はないという警告だろう。
さくらが元の位置に戻って、何かを蹴る動作をする。
「あんたの所為で......」
「あんたの所為でしょーが」
動きに合わせて髪が揺れていた。
続きます。
 




