救世主(33)
続きです。
芹と私の足音が重なる。
どこへ向かっているかは分からなくても、今は芹が手を引いてくれる。
それが、何でだろうか・・・・・・こんな時なのに嬉しかった。
背後には少女の白い頭が揺れる。
光の粒たちは私たちの足元を照らした。
距離は、近い。
走る速さも、向こうの方が速かった。
「まずいね・・・・・・」
芹が背後を見て、顔を顰める。
少女は無表情のまま一定のスピードで迫っていた。
私はというと、芹に手を引かれるばかりで非常に情け無い。
ただ心は満たされていて、暖かかった。
鼻の奥の痛みが思考を阻害する。
ただ今は足をもつれないように動かすのが精一杯。
しかし、それでも芹は私の手を引いたくれた。
暗闇に伸びる道には、いくつかの横道。
それらの道がどこに通じているのかは知らない。
もちろん真っ直ぐに進み続けたとしてもどこへ着くかは知らなかった。
「次・・・・・・左に曲がるよ。直線じゃ勝負にならない」
「あの道は・・・・・・どこに・・・・・・?」
少し速度を上げた芹に尋ねる。
左側に伸びる道は明かりの点いていない建物の隙間にあるが、その先はよく見えない。
「どこにだって。まぁとりあえずは考えなしに家を目指してるけど・・・・・・。道なんて結局あちこちに繋がってるんだからそう深く考える必要はないよ」
言いながら、その道に入っていく。
水が腐ったような不快な匂いがした。
「次右・・・・・・!」
幾つかの小さな建物群の隙間は入り組んでいて、複雑だった。
芹の言葉に従って右へ左へと曲がっていく。
そうしている間に、もはやただの隙間で道と呼べるのかすら怪しいような場所まで来た。
正面にも後ろにも薄汚い壁があって、少女の姿も風景もよく見えない。
見上げれば道の形と同じ、細く複雑な夜空が見えた。
やがてほとんど迷路のような隙間を抜ける。
一気に開けた視界には人々の生活の光が溢れていた。
信号機や、電光看板の点滅、コンビニの明かりに音。
夜なのにそこには人が溢れていた。
「ここは・・・・・・?」
「繁華街・・・・・・というよりは飲み屋街?とにかく、ここまで来れば割とすぐだし・・・・・・何より相手は人目のつくところに居たくないでしょ」
「確かに・・・・・・」
芹がお酒の匂いのする男の人の横を通り抜ける。
夜の街を歩く人々の流れに逆らって、走る。
そして、その人の流れを抜けた先に・・・・・・。
「何で・・・・・・」
少女は居た。
「先回りされたね」
芹が体の向きを変えるが、一瞬で回り込まれる。
移動した気配すらない。
本当に一瞬でだ。
「で、でも・・・・・・こんな場所じゃ襲えないは・・・・・・」
私が言い切る前に、芹の体が頭から引っ張られるように横に吹き飛んだ。
営業中の居酒屋の壁に派手に衝突する。
「・・・・・・な、何で・・・・・・」
人々がどよめく。
芹がぶつかった店からも、何人かの酔っ払いが顔を出した。
そして距離をとる。
私がアンキラサウルスと戦っていたときと同じで、誰もが遠巻きに眺めているだけ。
「何で・・・・・・」
人目のあるところでは襲わないんじゃなかったの?
何でこんな・・・・・・沢山の人の中、何で・・・・・・?
頭の中に不純物が溜まり、濁る。
全身が冷たくなっていく。
少女は多くの人に見られながら、おそらく意識を失っているだろう芹の体をまるでパイプで殴打する。
パイプは店の壁を傷つけ、芹を道の中央まで転がす。
「やめて・・・・・・」
タイルの上に転がり出た芹の体に、パイプが振り下ろされる。
何度も、何度も・・・・・・。
「やめて・・・・・・!」
声を張り上げる。
私は手を伸ばして、少女の腕に掴みかかった。
腕の隙間から見える芹の額は血に濡れている。
何でついた傷かは分からないが、ぱっくり割れた傷口から血が溢れて止まらない。
少女を掴まえる腕に力がこもる。
しかし、呆気なく私の体は振り払われた。
転んだ私の体に、パイプが食い込む。
私の体は紙屑も同然に宙に打ち上がった。
浮遊感の中、痛みと熱が広がる。
しかし私の体が血につく前にさらにパイプが襲いかかった。
水平に薙がれたパイプは私の頭を捉え、芹から少し離れた位置まで私を吹き飛ばした。
地面を私の体が転がる。
その場で悶えたいくらいに痛いのに、指先を動かすことすら叶わない。
喉に血液が支えて、声も出なければ息もできない。
頭がくらくらして、右目が熱い。
おそらく潰れている。
沢山の血を垂れ流しながら、血かも胃液かも分からないものを吐き出しながら、ざらついた道の上で咳き込む。
ほとんど何も見えないが、光だけが突き刺さる。
再びパイプが体のどこかにぶつかったが、それがどこなのかもよく分からなかった。
血にまみれて、這いつくばる。
ほとんど動かないはずの腕を使って、芹の方へと重い体を引きずる。
皮肉にも、私は未来を変えられていたのかもしれない。
芹が倒れていた場所はこんなに明るくなかったし、それを見る私は立っていた。
変わったが、しかし何の意味もない。
少女が私の横を通り過ぎ、芹を再び殴る。
衝撃で芹の体が跳ねた。
それを見届けて、何を満足したのか少女は消える。
その場から、光を散らすようにして跡形もなく消えた。
今更怒りなど湧いてこない。
痛みすら希薄だった。
雑踏が遠退く。
光が遠退く。
ただ芹だけを歪な視界に映して、感覚のほとんどない体を動かし続けた。
寒い。
夏だって言うのに、寒くて仕方がない。
しかし、そこで私の指は芹に辿り着く。
私の指先が、芹の指先に触れた。
すると、芹の指先がピクリと震える。
芹がゆっくりとこちらを向き、そしてうっすらと笑った。
その表情に胸を締め付けられる。
寒くて仕方がなかったから、お互いに身を寄せ合った。
ぼろぼろの肉体から、音を絞り出す。
芹の指に、私の指を絡める。
遠い夜空には薄い雲が泳いだ。
「芹・・・・・・私、頑張ったよ・・・・・・」
こんな時にも、自分のことばかり。
私は自分がどう言う人間かをいいかげんに理解した。
だから、許してほしい。
「うん・・・・・・」
芹が弱い力で、私の手を握り返す。
目から血液に混じって涙が溢れた。
時間の流れを感じない。
まるで時が止まったみたいだった。
芹と身を寄せ合い、夜空を見上げながらすぐに気づく。
まるで・・・・・・じゃなくて、私たちは本当に止まったのだ。
ここで。
もうお互い、声を出すことは出来ない。
だからせめて出来るだけ一緒に・・・・・・。
お互いの体温を貪りあった。
繁華街の眩しい光たちの中に、小さな光が浮かぶ。
それは空を飛ぶ眼球型のカメラが、月の光を跳ね返した光だった。
その機械の眼球は、光の中に広がる人だかりを無感情に映している。
その中心には、手を繋ぎ血液の上に横たわる二人の少女の姿があった。
静かに、カメラは闇に消えていく。
残ったのは喧騒だけだった。
続きます。